北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-132

雨川水系の沢

8. 滝ヶ沢林道の沢の調査から

 森林地図によると、「滝ヶ沢や地獄沢」は、沢を含む森林区分に付けられた名称です。また、「仙ヶ沢と判行沢」も、同様な理由で森林区分の名称です。だから、水系としての沢を表していないので、私たちが使用するには不便です。そこで、地獄沢方面まで延びている林道名を採用して、「滝ヶ沢林道の沢」と呼ぶことにしました。また、標高950m二股からの左股沢は、「仙ヶ沢」と呼ぶことにしました。
 そうすると、「日本の海から一番遠い地点」の碑は、滝ヶ沢林道の沢の支流(左股沢)・仙ヶ沢の最上流部にあると表現すれば良いことになります。(下図【滝ヶ沢林道~仙ヶ沢のルートマップ】を参照)

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「滝ヶ沢林道」の沢のルート・マップ(仙ヶ沢との兼用)

 平成16年梅雨入り前の6月5日、不老温泉の橋の下から雨川本流に入り、合流点から「滝ヶ沢林道の沢」を調査しました。沢の標高1000m付近は、両岸が流水で激しく削られ渓谷となっていました。全体的に、玢岩による熱変質の影響を強く受けていました

 不老温泉(ふろう)の橋の下(【図-①】)では、熱変質した灰白色泥岩~細粒砂岩で、【図-②】では、閃緑岩(diorite)が見られました。
 合流点から沢の中を進み、標高935m付近(【図-③】)では、熱変質した灰白色泥岩層が25mに渡り分布していました。すぐ上流に、閃緑岩(幅25m)が見られました。
 標高940m付近(【図-④】)では、熱変質した灰白色泥岩(N50°E・20°NW)が2つの小さな滝を形成していて、その間に「十文字」を成すコングロ・ダイクが認められました。

 走向に沿うもの(幅30~40cm×長さ8m)と、直交するもの(40cm×6m)が交わっていました。滝の下流2.5mにもコングロ・ダイク(30cm×2.5m)がありました。

 標高950m付近に堰堤(高さ3.5m)があり、その上流へ水平距離15mで、仙ヶ沢に分かれる二股です。共に熱変質した灰白色泥岩(主)に、灰色砂岩(従)が入る砂泥互層が見られました。
 標高960m付近(【図-⑤】)では、熱変質した灰色砂岩層の中に、2つのコングロ・ダイク(東側:15cm×2.5m・N60°W・垂直/西側:5cm×1m)が見られました。
 林道の橋、標高965m付近(【図-⑥】)では、熱変質しているが中粒と粗粒砂岩の層理面が顕著で、走向・傾斜はN50°E・20~30°NWでした。ここで、林道は2つに分かれ、ひとつは本流から地獄沢方面へ、もうひとつは、仙ヶ沢の「日本で海岸線から一番遠い地点」の碑まで延びています。
 滝ヶ沢との合流点、標高975m付近(【図-⑦】)では、熱変質の影響は少なく、暗灰色細粒砂岩層や砂泥互層、黒色泥岩層が見られました。
 標高985m付近(【図-⑧】)では、暗灰色細粒砂岩~泥岩と灰色中粒~粗粒砂岩層の互層がみられ、N40°W・5~20°NEでした。風化すると黄土色となり、累帯構造に似た縞模様が現れるタイプの凝灰質な砂岩です。(岩相から、内山層の上部層のように思いました。)
 東に振れた沢が南に戻り始める標高990m付近(【図-⑨】)から、玢岩(porphyrite)が出始めました。

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クランク状になった渓谷

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クランクの中間にある目視できる断層

 そして、標高1000m付近(【図-⑩】)付近では渓谷となり、周囲の熱変質した灰色細粒砂岩の中に、玢岩(porphyrite)の節理(優勢な方向:N50°E・70°SE)が見られました。沢がクランク状態に湾曲していました。【上の写真】

 中間部に、断層と思われる構造(N70°W・垂直)が認められました。【上の写真】

(参考:こちらのクランクは規模は小規模ですが、矢沢の標高1000m付近にある第1クランク~第3クランクを思い出しました。)
 渓谷の終わる標高1010m付近(【図-⑪】)では、熱変質した砂泥互層で、N5°W・10°Eでした。

 そのすぐ上流、標高1015m二股では、左股と右股にわたり、【写真】のような熱変質した泥岩層(主)と砂岩層(わずかに挟まる)の互層が見られました。ほぼNSの走向で、緩やかにE~SEに傾斜しています。傾斜がいくぶん南東傾向であるので、ケスタ地形のように、段差のある小さな滝状地形がしばらく続きました。

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標高1015m二股の上、調査は左股へと進む

 また、分岐付近の右股沢で、【下の写真】のような「奇妙な石灰質物質」を見つけました。一見、サンドパイプ(生痕化石)のようですが、材質は石灰質です。色と形態から、やや大型動物の脊椎(背骨)かと期待しましたが、どうも違い、地層中に溶けていた石灰成分が作り出した造形のようです。

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奇妙な石灰質物質でできた構造

 

 二股から左股を進み、標高1040m(【図-⑫】)では、粘板岩が見られ、黄鉄鉱が晶出していました。なぜ、ここだけ粘板岩(熱変成)があるのか不思議です。
 短い区間に小さな滝(NS・10°E)が連続します。標高1050m【図-⑬】)では、熱変質した灰白色の泥~細粒砂岩層があり、三段の滑滝を形成していました。N30~40°W・10°NEでした。
 標高1060m付近(【図-⑭】)では、熱変質した灰色細粒砂岩層の中に、コングロ・ダイク(幅3~5cm×長さ2m・N20°E・垂直)が認められました。

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地獄の「お釜滝」 【図-⑮】地点・林道から

 標高1070~1080m付近(【図-⑮】)では、【上の写真】のような落差10mほどの滝があり、林道の上から撮影しました。滝壺が、きれいな円形をしていて、まさに「地獄のお釜」のようなので、お釜滝と名付けました。滝の下は、熱変質した灰色細粒砂岩層でしたが、造瀑層は、観察できませんでした。滝の上(【図-⑯】)では、新鮮な玢岩が見られたので、玢岩か熱変質した堅い泥岩層だと思われます。

 滝ヶ沢林道が、沢に沿っているので、林道と沢との間を行き来して観察しましたが、「お釜滝」は、登攀できませんでした。

 地図の「地獄沢」と合流する二股付近の林道に懸かる橋、標高1095m付近(【図-⑰】)では、風化して黄土色になった中粒~細粒砂岩層が見られました。熱変質したものが風化したのか、それとも熱変質の影響が少なかったのか、いずれにしろ、周囲に比べて沢がなだらかになる場所なので、風化・浸食に弱い岩質だと思われます。

 二股からは、左股を進みました。標高1110m付近(【図-⑱】)から、玢岩露頭が随所に認められ、標高1120~1130mの、いずれも沢との合流点付近で見られました。
 標高1135m二股の少し下流(【図-⑲】)では、熱変質した帯青灰色~暗灰色の細粒砂岩層が見られました。確認できた最後の露頭です。

しばらく沢を詰め、標高1150m二股(【図-⑳】)を確認して、下山しました。

 

【編集後記】

 地質構造的な話題は、次回の「仙ヶ沢の調査から」で、触れることにします。

「地獄沢」という奇妙な名前が出てきましたが、沢全体の名称ではありません。無名な沢なので、私たちが便宜上「滝ヶ沢林道」の沢と名付けた沢の支流に、「地獄沢」があります。残念ながら、支流には入っていませんが、地形図で見る限りは、特別な地形の沢(枝沢)とは思われません。しかし、何かがあるのかもしれません。

            *   *   *

 ところで、本文中に取り上げる話題がなかったので、以下のような石の芸術を紹介します。

 自然の中には、不思議な造形美があって感動します。

【アフリカ大陸】は、滝ヶ沢林道の沢・標高1030m付近にあった熱変質した灰白色泥岩の転石です。どこにでもありそうですが、なぜか感動しました。

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アフリカ大陸

 【龍】は、谷川本流の標高920mの河岸に転がっていた木の根です。横に延びた根が角のようで、こんな偶然はないだろうと、写真に納めました。お昼を食べた場所の近くでした。

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龍の頭部

 【河童】は、香坂川上流第3沢の標高1080m付近の二股に転がっていた転石のひとつです。尾根にあった志賀溶結凝灰岩が落下したもので、3m以上あります。
 髪の毛に見える部分は、落葉が載っています。輪郭は割れ目にできた陰です。ちょうど午後の日差しと、見る角度が重要でした。

 

 

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河童の頭


 趣味という訳ではありませんが、自然の美しく雄大な風景とは、また一味違ったおもしろさを感じて、気に留めた光景を写真に納めています。特集したことはないので、いくつ紹介できるかわかりませんが、地質に関する話題が見つからない時には、載せたいと思います。

 ところで、梅雨もいよいよ本格的になってきました。日本付近の天気図の範囲に、小笠原(北太平洋)高気圧が、オホーツク海高気圧と、南と北で対立するように気圧配列しています。(7月2日の21時の予想天気図)その間で、梅雨(停滞)前線が、活発に活動中です。今日は、朝から雨降りなので、家でゆったりとしています。(おとんとろ)

佐久の地質調査物語-131

雨川水系の沢

7. 小屋たけ沢~程久保沢の調査から

 森林地図によると、「小屋たけ沢」はそのままの地名です。沢を含む西側の尾根一帯が程久保で、駒倉(こまくら)と区分されていますが、地名を使い、「程久保沢」と呼ぶことにしました。尚、内山川水系の「ホド窪沢」と発音は、まったく同じなので注意してください。(下図【小屋たけ沢~程久保沢のルートマップ】を参照)

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小屋たけ沢~程久保沢のルート・マップ

 平成16年夏休みの8月7日に、小屋たけ沢を詰め、分水嶺の尾根を経てから程久保沢を下る予定でしたが、上流部のブッシュが大変で、標高1120mの張り出し尾根を乗り越えて、沢を下りることになりました。下山後、雨川ダム湖を見下ろして食べた西瓜の味が、印象的でした。
 小屋たけ沢入口付近のブッシュを避け、標高950m(【図-①】)から入りました。玢岩(porphyrite)の露頭が続きました。標高970m付近(【図-②】)では、熱変質した灰色細粒~中粒砂岩層が見られました。

 標高975m付近(【図-③】)では、黒色頁岩層と、粘板岩(slate)層が見られ、N5°W・8°Eでした。
 この少し上流には、幅15cm×長さ50cmのコングロ・ダイク(N80°E・垂直)と、不規則な粘板岩(slate)片が、中粒砂岩層の中に取り込まれている露頭がありました。(【写真-下】)

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粘板岩片が砂岩中に入る【図-③】

 

 そして、標高1000m~1010mにかけて、5つのコングロ・ダイクが観察できました。(【図-④】)
 周囲の基盤岩は、黒色泥岩層や暗灰色細粒砂岩層で、ほぼEW・緩い北落ち(推定、5°N)です。
これに対して、図のような形態のコングロ・ダイクが、ありました。 下流側の露頭から順番に・・・
(ア)十字に交わるタイプ:板状の礫層が、交叉するようにして泥岩層に貫入している。《写真A地点》表面にコケ等が付いて、見えにくいが、礫層は垂直貫入している。

(イ)最も頻繁に見られる小規模タイプ:表面は棒状に見えるが、地下にも層状に高角度で貫入する。

(ウ)軟着陸タイプ:基盤の中への貫入は薄く、表面に広がっている。《写真C地点》かつては西側のものと繋がっていたが、浸食で開削された間が小滝になった。

(エ)湾曲していたり、形が不規則なタイプ:周囲は乱されていない。

(オ)大型タイプ:基盤岩への貫入の向きにより、高さ・長さ・幅・広がりなど、見え方が強調される。露頭の数は少ない

 

 

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標高1000m~1010m付近の露頭(スケッチ)

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直交するように交わる (A付近)

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細長い板状(ブロック) (C付近)


 標高1010m付近(【図-⑤】)で、玢岩の岩脈が見られ、標高1020mでも同様な玢岩が見られました。
 標高1040m二股で昼食をとった後、1060m二股から左股に入りました。すぐにブッシュ漕ぎが大変になってきたので、沢は最上流部まで詰めないで、途中から南西へ張り出している尾根を越えることにしました。尾根の標高1120m付近で、凝灰角礫岩(tuff breccia)が見られました。(【図-⑥】)

 尾根を下って、程久保沢の1050m二股を確認し、標高1040m付近(【図-⑦】)では、熱変質した灰白色中粒砂岩層が見られました。

同様な砂岩層が、標高1030m・1020m二股まで、点在します。

 そして、2つの沢が次々と北西から流入してくる標高1000m付近(【図-⑧】)では、花崗閃緑岩(granodiorite)の岩体の一部が見られ、周囲は熱変質した灰白色泥岩層でした。温泉の兆候があり、かつての壊れた施設(数寄屋風の建物)がありました。ちなみに、地図に記載されている程久保沢右股の「温泉」は現在はありません。
 標高990m付近(【図-⑨】)では、熱変質した灰白色細粒砂岩層が見られ、玢岩の岩脈が認められました。
 標高980m(【図-⑩】)では、再び花崗閃緑岩が、幅5m×長さ15mの大露頭で見られました。ここでは、花崗閃緑岩と玢岩の両方が見られました。全体情報から、貫入時期は、花崗閃緑岩の方が先で、玢岩が後です。

 

 標高972m付近(【図-⑪】)では、熱変質した灰白色泥岩と粘板岩(slate)が見られました。

 走向・傾斜は、N50°E・20°SEです。東隣の小屋たけ沢の(【図-③】)に対応すると思われます。観察した露頭の産状から推理すると、黒色泥岩が熱変質した灰白色泥岩の熱源は玢岩で、粘板岩(slate)の方は、もっと長い時間と圧力、それに高温状態を保ち続けられる花崗閃緑岩(granodiorite)だったのではないかと思いました。

 

 標高960m付近(【図-⑫】)では、玢岩の岩脈が、標高948m付近(【図-⑬】)では、熱変質した灰白色中粒~粗粒砂岩層が見られました。
 標高930m付近(【図-⑭】)と、小さな沢が合流する標高910m付近(【図-⑮】)では、共に玢岩の岩脈が見られました。
 隣り合う小屋たけ沢と程久保沢は、粘板岩の見られる層準が対応していると考えていますが、小屋たけ沢でのコングロ・ダイクが、程久保沢で見られなかったのは残念でした。石英閃緑岩の貫入は、温泉の記号付近の地下を中心とした範囲と推定されます。小規模な玢岩の岩脈は、両方の沢の随所で見られました。


 【 閑 話 】

 程久保沢の標高1030m付近(【図-⑦】の少し下流)と、965m二股の少し上流部(【図-⑪】の少し下流)の2カ所で、ツキノワグマの痕跡を見つけ、ドキドキしました。 標高1030mでは、ウワミズザクラの枝を何本か倒した形跡があり、近くの土に爪のある足跡と糞(フン)が、残されていました。

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ウワミズザクラ(春・花)

 ウワミズザクラ(上溝桜)は、バラ科の落葉高木です。雄しべが多くて、花弁より遙かに長いので良く目立ちます。遠くから見ると、花全体が、「ショウマ」の花のように見えます。
 木の幹を見ると、桜の木肌と似ているので、名前に納得します。
どうも、この果実をツキノワグマが好むらしい。

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ウワミズザクラ(夏~初秋・果実)

【編集後記】
 この沢(「小屋たけ沢」)では、様々なタイプのコングロ・ダイクが観察できました。

 かなり後半の章で、コングロ・ダイクの成因について検討しますが、ヒン岩との関係を疑いました。また、どうして、タイプの異なる産状なのかと疑問は深まるばかりでした。

 ところで、本文中の「閑話」に載せた写真は、借り物の写真で申し訳ありません。

現場は、ツキノワグマが、ウワミズザクラの木に乗って、枝ごと倒すようにして食べたと思われる状態でした。証拠写真は、捜しましたがみつかりません。

 同様に、かつての温泉の建物らしいのも撮影しましたが、無いのは、今振り返ると、残念です。写真を撮り放しにしないで、いつも、整理しながら消去してしまう私の処理方法も、時と場合によっては、後で欲しくなって、後悔します。(おとんとろ)      

佐久の地質調査物語-130

 

 

 雨川水系の沢

6. アザミ沢~片原沢の調査から

 森林地図によると、「のつ久保」から「1203」を結ぶ尾根を境に、阿ざみ(東側)と片原(西側)に分けられて、名称が付いています。そこで、そこを流れている沢を、それぞれアザミ沢(カタカナ表記)と、片原沢(漢字表記)と呼ぶことにしました。
 (下図、阿ざみ~片原付近のルートマップを参照)

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アザミ沢~片原沢付近のルート・マップ

 平成15年10月18日、天野和孝先生(上越教育大学教授)を六川先生が迎えに行き、田口小学校で皆が合流しました。この年の3月、田口峠付近にバイクを残したまま失踪した由井俊三先生(元北海道大学教授)の捜索隊が山に入っていました。(失踪直後の警察や消防団とは別に、教え子の皆さんや有志での捜索は、その後も続いていて、私たちも2回参加しました。)

 一日中、快晴で、その晩は、内山の相立館に皆で泊まりました。ちなみに、翌19日は、北相木で化石調査をしました。

 県道から少し入った所に立つ別荘の東からアザミ沢に入り、最初の二股、標高989m付近(【図-①】)では、熱変質して灰白色になった泥岩層が見られました。同様な岩相が、標高1010m(【図-②】)、1015m、1025mにありました。

 標高1035m付近(【図-③】)では、風化した玢岩が見られました。
 標高1055m付近(【図-④】)では、熱変質した灰白色泥岩層があり、少し上流に玢岩岩脈が見られました。
 標高1070m付近(【図-⑤】)では、凝灰質灰色中粒砂岩層、風化すると黄土色となり、累帯構造のような茶色の縞模様が現れるのが、特徴的なタイプの産状でした。

 標高1080m付近(【図-⑥】)では、熱変質した灰色細粒砂岩層が見られ、走向・傾斜は、N70~75°E・8°Sでした。

 標高1090m付近(【図-⑦】)から、熱変質の影響がなくなり、黒色泥岩層が現れました。軽石の入る凝灰岩層も挟まります。同様に、標高840m付近(【図-⑧】)でも、黒色泥岩層(N70°E・8~10°S)で、標高1110m二股までは、黒色泥岩層でした。

 沢を詰め、檜の植林の為の作業道を上って、分水嶺の尾根に出ました。
 標高1165mの鞍部(【図-⑨】)では、志賀溶結凝灰岩(welded tuff)が見られました。この後、尾根伝いに西に向かい、片原沢の標高1035m付近まで、随所に溶結凝灰岩が見られました。このアザミ沢の尾根から西側の標高の高い部分は、志賀溶結凝灰岩で覆われているようです。

 標高1105m二股を確認し、アザミ沢を下り、標高1070m付近(【図-⑩】)に至りました。黒色泥岩層(一部は黒色頁岩層)が見られました。この層が不透水層のようで、沢水が湧いてきていました。
 標高1055m二股(【図-⑪】)では、やや弱い剥離性のある黒色頁岩層が見られました。ちなみに、左股沢を経由して落下したと思われる溶結凝灰岩の転石も目立ちました。
 二股の東側に高さ5mほどの崖露頭(【図-⑫】)があり、層厚3.5mの礫岩層が見られました。走向・傾斜は、EW・5~10°Sでした。石英斑岩の巨大な礫が含まれていました。

 標高1040m付近(【図-⑬】)では、黒色頁岩層(N20~30°E・10~20°SE)が、連続して見られました。わずかに見られた粗粒砂岩層の走向・傾斜(N10°W・70~80°W)は、表示してありません。露頭は連続していても、内部は少し不安定になっている部分もあるようです。

 1030m二股の少し上流(【図-⑭】)では、全体は黒色頁岩層ですが、この中に熱変質した灰白色泥岩層と灰色細粒砂岩層が挟まれていました。境での走向・傾斜は、上流側のN5°E・22°Eから、下流側のN20°E・10°Eと移行していました。わかりにくい構造です。

 二股の黒色泥岩層と灰色中粒砂岩層の境で、N5°W・8°Eでした。走向は、あまり変わっていませんが、傾斜が緩くなっていきました。
 標高1030~1020m(【図-⑮】)は、黒色頁岩層や黒色泥岩層で、走向・傾斜はN5~10°E・10°Eでした。この中に、コングロ・ダイクが見られました。
 上流から、(ア)礫として黒色頁岩塊の入る、幅5~20cm×長さ1m、(イ)黒色頁岩塊と砂岩塊の入る1m×1.5m、(ウ)L字型、10cm×40cmです。(イ)と(ウ)は、板状(軟着陸)タイプです。

 標高1018m二股(【図-⑯】)では、黒色泥岩層に薄い凝灰岩層を挟んでいました。
N60~80°E・10°Sでした。 

 標高1010m付近(【図-⑰】)では、黒色泥岩層(N50~70°E・10°S)が、また、標高990m付近(【図-⑱】)では、5枚の凝灰岩層を挟む黒色泥岩と灰色中粒砂岩の互層が見られました。

 標高980m付近(【図-⑲】)では、玢岩(porphyite)岩脈がありました。これより下流では、玢岩の熱変質による灰色中粒~細粒砂岩層です。標高970m付近では、滑滝を形成していました。
 片原沢が雨川と合流する付近では、新鮮な玢岩露頭が見えました。

 

【編集後記】

 本調査域は、比較的、標高の高い部分には、「志賀溶結凝灰岩」が分布しています。

一番有名なのは、名前の由来となった地名の「志賀(しが)」もさることながら、内山峡(佐久市国道254号線)でしょう。【写真-下】

 

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志賀溶結凝灰岩の奇岩が残る「内山峡」

 かつては、これほど大規模な火山灰(火砕流)の証拠があるにも関わらず、どこの火山からもたらされたか不明とされていました。

 しかし、最近では、巨大カルデラ噴火に伴う灼熱の火砕流が、群馬県側から流れてきたと考えられています。さらに、「本宿(もとじゅく)カルデラ」からだったのではないかと言われています。

 今年の3月7日(日)、上田市丸子の箱畳池付近の「大杭層の下部層」の中に、志賀溶結凝灰岩に相当する地層が見られるので、見に来ないかと誘われ、そこと、少し離れた依田川沿いの「白岩」の溶結凝灰岩を観察しました。

 案内していただいた山辺邦彦先生の調査研究では、同時代の独鈷山(とっこさん)カルデラからのものではないかとのことでした。

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上田市丸子「白岩」の溶結凝灰岩

 また、比較的、新しい時代の火山灰の調査方法として、火山ガラスや鉱物を双眼実態顕微鏡を使って、噴出源を突き止めようとしているというお話もお聞きしました。もちろん、万能な手段ではありませんが、私たちには欠けていた大切な視点です。

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火山灰の中の六角柱石英

 

 ところで、この沢付近では、『 玢岩(ヒン岩)』露頭が多く見られました。

 先の、火山灰の研究のように、私たちは偏光顕微鏡を使って構成鉱物を調べるというような手段が取れていません。古くからの文献資料から、先輩諸氏が「ヒン岩」だと述べていれば、それに準じてしまいます。
 調べてみると、ヒン岩とは、『安山岩質のマグマが地下に貫入して、比較的ゆっくり冷えたときにできる岩石。ゆっくり冷えるためガラスは含まないが、深成岩ほどには大きな結晶がそろっていないという特徴がある。ただし、最近では「ひん岩」という用語は使わないことになっています。』とあります。・・・そう言われても困ります。

 閃緑玢岩(diorite porphyrite):閃緑岩と同じような鉱物組成であるが、斜長石の斑晶が大きく目立つもの。石英を含むものは石英閃緑ひん岩という。・・との解説もありますが、鉱物種ではなく、色合いから見ると、閃緑玢岩という分類になるのかもしれません。それ以上は、不明ですので、今まで通り、『 玢岩(ヒン岩)』のままでいくことにします。

 6月も残すこと、2日となり、いよいよ東京オリンピック大会の開催される7月に突入します。新規コロナ・ウイルス感染者数の推移を毎日チェックして、わずかながら減ってくると、少しだけ嬉しくなります。今日は、午前中が雨降りだったので、久しぶりの「はてなブログ」に投稿しました。(おとんとろ)

 

佐久の地質調査物語-129

雨川水系の沢

5. 林道・東山線の調査から

 この林道には、平成15年の偵察を兼ねた8月11日と本調査の10月19日を始めとして、その後、コングロ・ダイク露頭の写真撮影をする為に、何度か入りました。
 (ルートマップは、西武道沢と兼用ですが、参照してください。)

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林道東山線(大沼林道) 再掲載

 榊橋の東、地図のP990地点から、県道93号線と分かれて、林道・東山線に入りました。北からの小さな沢状地形(【図-①】)では、熱変質した灰白色泥岩層です。2本目の沢状地形の手前40mで、二枚貝Macoma sp. を見つけました。【図-②】でも、同様な熱変質灰白色泥岩層でした。そして、北からの小さな3本目の沢状地形の東(【図-③】)からは、熱変質の影響が小さく、暗灰色細粒砂岩と黒色泥岩(4対1で砂優勢)の互層が見られました。走向・傾斜は、N40°W・10~20°NEです。
 4本目の沢状地形の東(【図-④】)では、黄鉄鉱が認められるものの、熱変質はほとんどありません。砂泥互層が続きました。そして、林道の湾曲部(【図-⑤】)では、砂優勢(5対1)な砂泥互層で、N50°W・5~10°Nでした。ちなみに、サンド・パイプ(sand pipe)が、黄鉄鉱で置換されていました。
 北西から流入する沢の手前(【図-⑥】)では、わずかに細粒砂岩層を挟む黒色頁岩層で、二枚貝Macoma sp. を見つけました。N70°E・8°Nでした。
 少し先の【図-⑦】では、再び細粒砂岩と黒色泥岩の互層で、N25°W・5°NEでした。
 そして、崖の上部は標高1100mほど、林道は標高1085mほど(【図-⑧】)では、「大規模コングロ・ダイクの項」で既に紹介した《写真》のような崖露頭が見られました。

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コングロ・ダイクの露頭(東山林道)

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露頭の説明図



 見ている方向は北西で、コングロ・ダイクを含む地層の中に、正断層と逆断層が見られます。中央のコングロ・ダイクの礫岩層は、観察中、最大の層厚を示し、110cmありました。周囲の地層は、下位から黒色泥岩層、砂優勢な砂泥互層(風化した粗粒砂岩層を挟む)、茶褐色に風化した粗粒砂岩層、再び、砂優勢な砂泥互層と、正常な堆積構造をしています。
 走向・傾斜は、N70°E・10°N(左・南側)~N80°E・5°N(右・北側)と、ほぼ東西走向で、緩やかに北に傾いています。写真の右奥側へ、緩く傾斜していることになります。一方、コングロ・ダイクの走向・傾斜は、N80°W・80°Nなので、周囲の砂泥互層とはわずかにずれて、ほぼ垂直に切るような形になります。貫入の深さ(高さ)は、見えている部分で、5mほどです。露頭全体は、高さが10m強の切り通しです。

              - 75 -
 コングロ・ダイクの礫の種類は、暗灰色中粒砂岩と黒色頁岩片が主で、やはりチャート礫は含まれていません。最大な礫は、直径が20~25cmにもなる砂岩塊でしたが、礫の配列から堆積時の重力方向は特定できませんでした。
 一方、断層は目視でき、写真上部の風化した茶褐色砂岩層に着目すると、左下から右上に筋状に延びている正断層があり、左側が2m(1.5m+0.5m)ほど落ちています。その後で、この断層構造を右下から左上にかけて、逆断層が乗り上げるように切っています。移動は2.5m以上と思われます。
 しかし、現在は、コンクリート壁で覆われてしまい、観察することはできません。

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コングロ・ダイクの礫種(中央部を拡大した図)

              *  *  *

 

 北西からの沢状地形付近、【図-⑨】では、黒色頁岩から灰色泥岩に移行すると共に、砂岩の割合が多くなりました。また、暗灰色細粒砂岩層の中に、異質の砂岩塊が同一層準に並んでいました。山中地域白亜系・白井層の「軟弱砂岩」に形態は似ていますが、含まれている中粒砂岩塊は柔らかくはありません。ここで、コングロ・ダイク(5~2cm×2m)が1露頭見られました。

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異質砂岩塊が同一層準に並ぶ 【図-⑨】

 東武道沢の本流と交わる林道の湾曲部(【図-⑩】)では、暗灰色細粒砂岩層でした。
 【図-⑪】では、N70°E・10°Nの黒色泥岩層に対して、N50°W・70°NEのコングロ・ダイク(15cm×2m)が見られました。
 【図-⑫】では、黒色泥岩の中に、ノジュールがいくつか含まれていて、割って中を調べてみると、「甲殻類カニの爪」と思われる化石が認められました。【写真・下】

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ノジュールを割ると、カニの爪が出てきた

 

 林道の南への出っ張り(【図-⑬】)では、黒色頁岩が主体で、わずかに互層していましたが、【図-⑭】では、灰色中粒砂岩層になりました。層厚5cmの凝灰岩を挟みます。
風化すると黄土色や累帯構造のように茶褐色の縞模様になるのが特徴です。凝灰質だと思われます。
 【図-⑮】【図-⑯】【図-⑰】と、風化すると黄土色となる凝灰質の灰色~暗灰色中粒砂岩層で、一部には粗粒砂岩も挟まっていました。
 北からの沢状地形手前(【図-⑱】)は、大きな崖露頭で、
凝灰質の灰色粗粒砂岩層と、ほぼ同質の暗灰色中粒砂岩層の互層が見られました。N50°E・10~20°NWです。その少し北側には。水棲植物の炭化物が含まれていました。【写真・左】

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植物の茎や炭化物を含む

 

 辰巳沢本流と交わる林道の湾曲部(【図-⑲】)では、中粒~粗粒砂岩層が見られました。詳細に見ると、(ア)青味を帯びる灰色中粒砂岩層、(イ)灰色中粒砂岩層、(ウ)暗灰色中粒~粗粒砂岩層(特に黄土色に風化しやすい)の3タイプあります。全体的に凝灰質です。
 凝灰岩層(特に、緑色凝灰岩層)がもっと含まれてくる層準も含め、駒込層と解釈されてきた説明図幅もあります。
 しかし、泥相から砂相へと変わる辺りからが、内山層上部層として良いのではないかと考えています。

                 

 【編集後記】

 前にも紹介しましたが、写真の露頭は、林道に岩石などが崩れるのを防止する為に、コンクリート壁で覆われてしまっています。

 本文で紹介した露頭の写真は、色彩を少し加工したので、あまり手を入れてない写真も載せます。(おとんとろ)

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別な日に撮影した露頭

 

佐久の地質調査物語-128

 ○雨川水系

4. 西武道沢の調査から

 森林地図では、「西武道と東武道」は尾根の中央を境に区分されている地名ですが、西側の沢を西武道沢、東側の沢を東武道沢と呼ぶことにしました。尚、東武道沢には入っていません。ここでは、内山層の下部層から上部層が見られました。(下図【西武道沢~林道・東山線付近のルートマップ】を参照)

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西武道沢のルートマップ(東武道沢や林道大沼線と兼用)

 平成15年9月6日、西武道沢に懸かる榊橋(さかきばし)から沢に入りました。最初の露頭(【図-①】)は、熱変質して灰色になった細粒砂岩層でした。黄鉄鉱(pyrite)が含まれ、走向・傾斜は、N80°E・5°S~水平でした。
 標高1000m付近(【図-②】)は、熱変質した灰白色泥岩層で、表面はすべすべしています。ノジュールが3個ありました。熱変質を受けた時、暗灰色砂岩は灰色になるのに対して、黒色泥岩は明るい灰白色になります。

 そのすぐ上流には、薄い凝灰岩層(tuff)を挟み、灰色の細粒砂岩の表面に、黒い模様が見える露頭がありました。【写真下】

 一見、火山岩のように見えてしまいますが、灰色部分は細粒砂の変質したもので、黒っぽい部分は元の砂や泥なのかもしれません。

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熱変質した細粒砂岩(西武道沢-②)


 標高1005m付近(【図-③】)では、熱変質した灰色細粒砂岩層が連続していて、N30°E・5°SEの走向・傾斜でした。

 標高1008m付近(【図-④】)では、熱変質した灰色細粒砂岩層の中に、2mの間を空けて2つのコングロ・ダイクがありました。

下流側のものは、幅20cm×長さ1m、N50°E・垂直で、上流側のものは、幅30cm×長さ2m、N40°E・垂直でした。元々、繋がっていた一連のものだったのかもしれません。

 標高1010m付近(【図-⑤】)では、熱変質した灰色細粒砂岩層の東西走向に対して、N10~20°W・80°W傾向をもつ小規模な破砕帯が見られました。

 標高1020m付近(【図-⑥】)では、熱変質がない本来の色のようで、暗灰色の細粒砂岩層で、走向・傾斜は、EW・5~10°Sでした。標高1030m付近(【図-⑦】)でも、EW・10°Sの黒色泥岩層が見られ、熱の影響はありません。ただし、黄鉄鉱は認められました。

 しかし、標高1035m(【図-⑧】)では、珪長質火山砂に見える凝灰岩層を挟む灰色細粒砂岩層があり、熱変質の特徴を残していました。

 標高1038~1040m(【図-⑨】)では、凝灰岩層を挟む中粒砂岩層が見られましたが、元の色彩の暗灰色でした。

 標高1045~1050m(【図-⑩】)に、川に沿って露頭幅40mに渡って、閃緑岩(diorite)が見られました。川底に、閃緑岩、その上に粗粒砂岩層が載っています。砂岩層は熱の影響を受けて、暗灰色に変色していました。【写真・下】

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閃緑岩と砂岩層との境

 この上流、標高1055mから1075mにかけて、黒色泥岩層が分布していました。
 1075m付近(【図-⑪】)の凝灰岩層との挟みで、N30°E・5°SEでした。また、黒色泥岩層には細粒砂岩層との互層部もあり、わずかながら二枚貝Macoma sp. が認められました。

 標高1080m二股(【図-⑫】)から上流では、帯青灰色細粒砂岩層が見られました。凝灰質な砂岩層が、熱変質を受けているものと思われます。点紋の入る帯青灰色細粒砂岩層も見られました。N20~30°E・8°SWでした。ここを境に、泥相から砂相へと岩相変化がありました。ちなみに、灰白色細粒砂岩層と帯青灰色細粒砂岩層の互層部で、目視できる極めて小規模な断層が認められました。

 北からの沢の合流点手前、標高1098m付近(【図-⑬】)では、無点紋の帯青灰色細粒砂岩層と暗灰色粗粒砂岩層が見られ、N40°E・5°SEでした。
 次の北からの沢との合流点、標高1110m付近(【図-⑭】)からは、凝灰質の暗灰色粗粒砂岩層が卓越してきました。

 南東から流入する沢との合流点、標高1125m(【図-⑮】)では、玢岩と帯青灰色細粒砂岩が接触している露頭が見られました。
 北からの小さな沢状地形の標高1145m付近(【図-⑯】)では、灰色細粒砂岩層があり、わずかに二枚貝の化石が認められました。この層準の上下は、凝灰質粗粒砂岩層なので、特別な層準です。

 これより上流から、標高1150m二股まで(【図-⑰】)は、凝灰質の暗灰色粗粒砂岩層が見られ、風化すると黄土色となる内山層上部層で典型的な層準でした。二股から上流は、両方の沢ともブッシュが多く、水量からも露頭が望めないだろうと判断して引き返しました。
( cf) 西武道沢の標高1040m~1150m、【図-⑨~⑪】付近の地形図の沢は、土砂堆積物が多く、本流を歩いていて、沢の合流を確認できませんでした。)

 

 【編集後記】

 この沢では、内山層の下部層の泥相から、上部層の砂相への変化が見られました。また、比較的、大規模に貫入してきていると思われる閃緑岩(diorite)の熱変成の様子や、少し規模の小さい貫入の玢岩(ヒン岩)による熱変質も見られました。

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 懐かしいメンバーとの踏査風景の写真(閃緑岩の露頭付近)です。佐久へ赴任したての石川先生の姿もあります。

 ところで、雨川水系は、内山層の大きな分類では、「北部域」に属しますが、東西に延びる低い尾根を境に、北側の内山川(北部域の言わばプロパー)とは、岩相が微妙に違います。この後、コングロ・ダイクの話題に関して、タイプの異なる産状が明らかになっていきます。

 ・・・・前回(6/14)と、大部と言うより、一週間近く間を開けてしまいました。この間、個人的な大きな行事は、定期検診の為の通院と、「みゆき会」の句会でした。しかし、なかなか俳句にするような印象的な体験やアイディアがなくて苦しみ、また、4月以来中断している「俳句に関したブログ」も未完成なので、そちらにも手を染めていました。それにも増して、今や、農作業の最盛期で、どうしても午前と午後の作業を入れてしまうと、「はてなブログ」を挙げる時間が確保できませんでした。

 そこで、今回は、農作業(草刈り)の後に入浴し、夕食前の短い時間で、慌ただしく取り組みました。ぼちぼちと続けますので宜しく! (おとんとろ)

佐久の地質調査物語-127

3. 中原倉沢~ヌカリ久保沢の調査から

 森林地図によると、雨川本流右岸の標高1050m~1100mの間に、3本の沢が北から流れ込んでいて、森林区分を示すように、それぞれ尾根に名前が付れられています。下流側から「初手ばらくら」・「中ばらくら」・「詰ばらくら」です。私たちの入った沢は、中ばらくらの西側の沢なので、『中原倉(なかばらくら)沢』と漢字表記し、呼ぶことにしました。同様に、ぬかり久保の東側の沢を『ヌカリ久保沢』とカタカナ表記にして、命名しました。(下図【中原倉沢~ヌカリ久保沢ルートマップ】を参照)

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中原倉沢~ヌカリ久保沢のルートノップ

 平成15年の夏休み8月11日に、樽ヶ久保橋の近くの道に駐車して、中原倉沢に入りました。沢を詰めて稜線尾根に出て、踏み跡道を使って次のヌカリ久保沢の上流部に降りました。沢を下って県道に戻り、「林道東山線」の下見をしました。(林道情報は、別項)

 中原倉沢の入口とその東側の崖(【図-①】)で、凝灰角礫岩(tuff brecia)が見られました。崖露頭は、高さ15mほどあります。この尾根の東側にも類似の崖がありますが、特に崩れやすい訳でもないのに、なぜ崖になっているのか不思議でした。また、入口付近で川が小さく湾曲する理由もわかりません。(ちなみに、地質図では、大上峠~熊倉沢~大滝~初谷沢に至る断層を推定した場所になりました。)

 コンクリート製の砂防堰堤は、右岸を巻いて上に出ました。西から小沢の流入する標高1075m付近(【図-②】)では、凝灰角礫岩が見られました。北東から沢の流入する標高1085m付近(【図-③】)でも、同様に凝灰角礫岩が見られ、堆積物が入り混じり、炭化物も含まれていました。泥流のような堆積の仕方をしたのかもしれません。

 標高1087m付近(【図-④】)では、黒色の火山砂が礫となる礫岩層が造瀑層となる滑滝がありました。礫には最大15×20cmの火山砂の岩塊が含まれていました。沢の入口からここまでが、兜岩層だと思われます。

 

 そのわずか上流、標高1090m付近(【図-⑤】)には、灰色泥岩(シルト岩)があり、走向・傾斜はN80°E・10°Sでした。こちらから、内山層(上部層)だと思われます。
 東から流入する沢との合流点、標高1100m(【図-⑥】)付近には、軽石を含む暗灰色中粒砂岩層(風化面は黄土色)が見られました。
 標高1115m付近(【図-⑦】)では、灰色泥岩(シルト岩)が見られ、標高1120~1135m(【図-⑧】)では、灰白色中粒砂岩(火山砂)から暗灰色~黒色細粒砂岩層へと漸移していきました。標高1140m(【図-⑨】)では、灰白色の凝灰質細粒砂岩層が見られ、鉄分があるのか、風化面は累帯構造(zonal structure)のような縞模様ができていました。

 標高1140mから1150m二股(【図-⑩】)にかけて、灰白色で凝灰質の中粒砂岩層や粗粒砂岩層が、小さな滑滝を形成していました。わずかに挟まる黒色泥岩との挟みで、N40°E・5~10°NWを記録しました。

 二股から左股を詰め、稜線尾根に出ました。全体的になだらかな尾根の小さな鞍部で、標高1185m付近(【図-⑪】)では、人工的とも思えるほど完璧な形状の「すり鉢状地形」が認められました。完全円の直径は20mで、『隕石の落下した小クレーターではないか?』という話題も挙がりました。2万5千分の1地形図に現れてはいませんが、とても不思議な地形だと思いました。

 尾根の踏み跡道を進み、ヌカリ久保沢の源頭から沢を下ると、見慣れた内山層の黒色の砂質泥岩が現れました。標高1170m(【図-⑫】)です。しばらく露頭がありませんでしたが、標高1125m二股(【図-⑬】)からは、黒色砂質泥岩層が見られました。
 標高1118~1120m付近(【図-⑭】)では、ほぼEWで10°N、北落ちの黒色泥岩層の中に、3つの小規模なコングロ・ダイクが見られました。
 上流側から、(ア)幅5~10cm×長さ1.2m、N30°E・80°Eないし垂直、(イ)15cm×1.0m、N15°E・垂直、(ウ)軟着陸タイプ、幅40cm~10cm×長さ1.5mの板状のものでした。

 東からの沢が流入する、標高1105m(【図-⑮】)では、黒色の砂質泥岩層の中に、二枚貝Macoma sp.(ゴイサギガイ)と巻き貝Turritera sp.(キリガイダマシ)が認められました。この東の沢に入ってみると、コングロ・ダイク(5cm×40cm以上(両端が不明)N20°E・垂直)がありました。

 標高1100m付近(【図-⑯】)には、タイプの異なるコングロ・ダイクが認められました。黒色泥岩層の走向・傾斜60~80°W・10°Nに対して、上流側露頭から、
 (ア)走向が類似して、N70°W・60°N、幅15~20cm×2m、
 (イ)基盤が単層ではなく黒色と灰色の泥岩の互層となっている中、N10°E・垂直、   15cm×3mと、貫入している、
 (ウ)それぞれ幅15cm×長さ2mほどの2つのコングロ・ダイクが、ほぼEWとNS   走向で、直角に交わっている、
 (エ)幅40cm(先端は細くなる)×長さ6mの大きなコングロ・ダイク(N10°W)に、小さなコングロ・ダイクの一部が、それを切るように入っている、このタイプは、比較的珍しいものでした。

 標高1087m三股から上流へ25mの地点(【図-⑰】)には、黒色泥岩の小さな滑滝があり、コングロ・ダイクと玢岩岩脈が貫入していました。

 標高1083mで北西から流入する沢との合流点付近は、全体的に泥岩が熱変質し、灰白色を帯びていました。そこで、小さな沢に入ってみると、熱変質した灰白色泥岩の中に、こちらも熱変質したコングロ・ダイク(N10°W・垂直)が貫入している様子が観察できました。(【図-⑱】)
 これから下流側へ、熱変質した泥岩層が分布していました。(【図-⑲】)
 標高1068m二股付近(【図-⑳】)で、玢岩岩脈が現れます。ここから下流側の随所で、同様な玢岩露頭が見られました。そして、標高1040m付近(図-★)では、玢岩が激しく風化していました。断層などによる破砕帯なのかもしれません。

 

 【編集後記】

 沢の名称は、正式には無名沢のようです。それで、私たちが、森林地図に記されている尾根の名前から転用して名付けました。林業関係者は、沢も利用したと思いますが、主に尾根に名前を付けて、区別しています。ここの「原倉(ばらくら)」という全体の地域名に対して、初手~中~詰(つめ)という形容を冠しています。

 ところで、本文中の「小さなクレーターのように見えた窪地」の写真があれば、興味深いですが、残念ながらありません。クレーターのようと表現していますが、もちろん、本物ではありません。ただ、気になる地形でした。

 平成18年(2006年)の第5回信州自然学・下伊那大会の2日目(8/9)に、飯田市上(遠山郷・旧上村)の「御池山隕石クレーター」を見学しました。

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チャート中のPDFsからわかった衝突の証拠を説明する坂本正夫氏と露頭

 坂本正夫先生らは、御池山山頂の北側尾根に同心円状の高まりが点在していることに気づき、隕石衝突の仮説のもとに、長年の調査・研究から、最後は隕石衝突による結晶構造の分析から、隕石衝突の痕跡だと結論づけました。

 直径900mほどの同心円状地形ができるには、少なくとも直径40~45mの小惑星が、2~3万年前に、御池山の南東斜面に衝突したと推測されます。(尾根沿いを中心に、約40%のクレーター地形が残っていると言われます。)

 極めて高速で隕石(小惑星)が地球に衝突したことを示す証拠は、石英の結晶内に形成された面状微細変形組織(PDFs)の存在です。石英の他形の一種です。隕石物質が、残っているのは稀なことなので、その証拠が得られたことも貴重な存在です。

 この夏で、15年も前のことになりますが、クレーターの話題から、御池山露頭のことを、ふと思い出して紹介しました。

 ところで、もうひとつ、「標高1140m(【図-⑨】)では、灰白色の凝灰質細粒砂岩層が見られ、鉄分があるのか、風化面は累帯構造(zonal structure)のような縞模様ができていました。」というエピソードで、急遽、庭の片隅に置いてあった砂岩を写真撮影してきました。

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累帯構造のように見える黄土色(風化色)中粒砂岩

 動物や植物の化石も採集してきますが、面白い形や堆積構造を示す岩石も、家に持ち帰ることがあります。

 累帯構造とは、造岩鉱物の長石(チョウ石)で良く見られる結晶構造で、マグマが冷えて固まって行く時、回りへと少しずつ結晶構造が拡大していった痕跡のようです。専門的には、相平衡や化学成分、冷却速度など、もう少し複雑なものがあるようですが・・

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斜長石の累帯構造(偏光顕微鏡の観察による)

 そこで、この採集してきた砂岩は、どうなっているのでしょう。

 まさか、砂岩が外側へと成長(堆積)したという訳ではありません。今、見ている面が堆積面なので、平面状を外側にという感じです。どうしてなのか、わかりません。

 砂岩には、「玉葱状風化」という現象も見られますが、風化のひとつの姿だとは思います。素人の推理では、『濾紙や和紙の一部に、染料を垂らすと広がっていく現象の、「ペーパー・クロマト・グラフィ』のように、茶色く見える成分(例えば、酸化鉄など)が、砂粒の中を移動していくのに、何らかの速度の統一性・規則性があったのかな?』と推理するのですが、知っている人がいましたら、教えてください。

 本文のような、ルート・マップを解説する地質調査記録は、あまり面白くないと、自分でも思いますので、山や沢から拾ってきた、面白い石やエピソードも載せていきたいと思います。今日は、雷雨がありそうなので、農作業は、畑の点検だけです。(おとんとろ)

佐久の地質調査物語-126

2. 小唐沢~大唐沢の調査から

 平成15年7月6日、つめた沢橋の上流から雨川に入り、合流点からは小唐沢に入って尾根まで詰め、南牧村との県境尾根を経由して、つめた沢を下りました。最後に、別荘の脇を流れる大唐沢に入り、一日で3本の沢の調査ができました。(「つめた沢~小唐沢~大唐沢」ルートマップを参照)

 雨川本流、つめた沢橋の上流、標高1015m付近(【図-①】)では、黒色の砂質泥岩層の中にコングロ・ダイク(幅10~15cm×長さ1.5m、N20°E・垂直)が見られました。小唐沢との合流点手前の川底には、露頭幅20m以上に渡って玢岩が分布していました。(【図-②】)合流点では、灰白色~明灰色の泥岩層が見られました。今までの観察から、この産状は、元は黒色(砂質)泥岩が熱変質により、明灰色になっているものと思われます。砂より泥が多くなってくると、灰白色になります。

 小唐沢に入りました。標高1025m付近(【図-③】)では、熱変質された明灰色泥岩層(N30°E・40~50°SE)の中に、幅5mほどの破砕帯が認められました。
 標高1030m(【図-④】)から、南西からの沢の合流点まで、同様な熱変質した泥岩層が続き、標高1040m付近(【図-⑤】)では、黒色泥岩層の中にコングロ・ダイクが見られました。
 その少し上流に玢岩岩脈があり、東からの沢の合流点(【図-⑥】)では、暗灰色泥岩層に黄鉄鉱(pyrite)の富化が見られました。

 東からの3本目の沢との合流点(【図-⑦】)では、熱変質した泥岩層・砂岩層があり、再び玢岩岩脈が見られました。
 そして、標高1060mの西からの沢との合流点(【図-⑨】)では、熱変質した礫岩層が現れました。最大直径15cmの亜角礫の巨大な礫を含みます。礫種は珪質の砂岩で、含有成分の差と変質からか、赤紫色・薄紫色・暗灰色など様々です。また、花崗岩や花崗閃緑岩の巨大な礫です。礫は、いずれも古い時代のものと思われます。今までと、明らかに岩相が異なります。
 そこで、重要な境になるだろうと考え、東側への延びが予想される【図-⑦】に戻って、少し上流部も確かめると、同様な産状が見られました。内山層との境や不整合は認められませんでしたが、ここから上流側が、兜岩層の分布域と考えて良さそうです。さらに、少し上流の【図-⑨】では、直径30cmの花崗岩塊が礫岩に含まれていました。不整合的な産状として良いと考えました。

 標高1070m二股(【図-⑩】)を左股に進みました。軽石を含む凝灰角礫岩層が続きました。標高1075m~1120m(最終二股)まで、軽石を含む凝灰角礫岩層が点在していました。(前述の範囲として【図-⑪】)崩れやすく層理面がわかりずらく、走向・傾斜が測定できないので、どのくらいの層厚になるかは不明です。

 「下まで戻るのが大変」なことと、詰めた沢の立木の様子から、尾根まで出られそうだと判断しました。南牧村との県境尾根のポコ(1210mASL)で昼食にした後、尾根を西に進み、つめた沢に降りることにしました。

 

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つめた沢~小唐沢~大唐沢のルート・マップ



 つめた沢の標高1120m付近に降りたようです。すぐに1110m二股を確認できました。そのわずかに下流(【図-⑬】)で、露頭幅15mの玢岩岩脈が現れました。さらに、西からの沢の合流点手前でも、同様な玢岩岩脈が認められました。

 標高1090m付近(【図-⑭】)では、熱変質した灰白色泥岩層、標高1080m付近(【図-⑮】)でも、同様な灰白色泥岩層が見られました。こちらは玢岩帯を含む破砕帯もあり、全体が脆くなっていました。

 隣の小唐沢からの延びが予想される兜岩層の礫岩層(巨大な礫を含む)や凝灰角礫岩層は、つめた沢には延びていないと思われます。2つの沢の間に断層がありそうです。(ちなみに、全体構造を見ると、大上峠~熊倉沢破砕帯~大滝~田口峠~本地域を経て内山断層にまで達する断層のあることがわかりました。)

 この後、標高1070m、1055m付近で、玢岩岩脈が認められました。そして、東からの沢との合流点、標高1040m付近(【図-⑯】)で、熱変質した灰色~暗灰色の泥岩層と砂岩層が見られました。
 標高1030m付近(【図-⑰】)では、泥岩層の中に3本のコングロ・ダイクが認められました。奇妙なことに熱変質した部分と影響のない部分(西側)がありました。すく下流にもコングロ・ダイク(小規模)がありました。
 標高1022m付近(【図-⑱】)では、黒色泥岩層が見られ、こちらは完全に熱変質の痕跡がありませんでした。玢岩の岩体が小規模なことが原因と考えられますが、熱変質の範囲は限られているようです。

 出発点の「つめた沢橋」に戻りました。まだ日が高いので、樽久保沢方面に向かいました。都会から週末に訪れ愉しむ為の別荘があり、手製橋が懸かっていました。おじゃまして、橋の少し上流から沢に入りました。すぐに凝灰角礫岩(tuff breccia)が、現れました。上流部は、凝灰質の暗灰色砂岩層でしたが、全体の岩相から見て、兜岩層だと考えました。小唐沢の上流部とほぼ同質だと思われます。(データーは図に記載)

          

 【編集後記】

  沢の露頭からは、内山層と、それを覆う「兜岩層」が観察できたり、南側から延びてきていると推定される断層の証拠が得られたりと、収穫の多かった調査でした。

 しかし、目新しい写真データもないので、この尾根から臨める荒船山を紹介します。

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荒船山(山頂が平らな「メサ」のような山体)

 上の写真は、佐久市下平~竹田の近くの「虚空蔵山」(多福寺の南東)から、東側を臨み、カメラでズームしたものです。

 ちょうど船を逆さにいたような山体の荒船山が見えます。左(北)側が、「とも岩」と呼ばれ、船尾のこと(とも・・船偏に慮)です。佐久と下仁田を結ぶ道路から、断崖絶壁が臨めます。

 反対の右(南)側は、荒船山の最高峰「経塚山(1423mASL)」です。

 平べったい山頂全体は、地学用語で「メサ(mesa)」と呼ばれる地形です。語源は、スペイン梧の食卓テーブルの意味です。上位に硬い水平な地層があって、下位に侵食されやすい柔らかい地層がある場合、下の地層が侵食されて急崖を形成し、上部は侵食されないためにテーブル状の台地となるようです。荒船山の場合、「とも岩」の断崖絶壁もこの類です。

 佐久を代表する3火山、「浅間山八ヶ岳荒船山」の内、荒船山は、他の2つよりはるかに古い第三紀の火山(新世末頃・7Maか?)なので、溶岩の浸食が進んで平らになっているようです。こんな例は、日本では、屋島琴平山香川県)・万年山(大分県玖珠町などが知られています。

 ちなみに、「屋島」は、源平の戦いの一つの舞台となった所に近い古い火山です。私が学生の頃、四国の地質巡検をした、お土産に「サヌカイト」という名前の、この屋島火山のガラス質安山岩を買って帰りました。お仏壇に供え、鐘のようにして叩いていました。割れてしまい、今はありませんが・・・

 下の写真は、佐久市内山の国道から、荒船山の南側に位置する「兜岩山」を撮したものです。「兜岩層」の名称となった山で、まさに武者の被った兜を連想します。

 ちなみに、「兜岩層」については、内山層のシリーズが終わった後で、香坂層などと共に話題にする予定です。

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荒船山の最高峰「経塚山」~星尾峠~山(無名)~兜岩山

 ところで、改めてブログに載せようとすると、推敲や写真の確認など、手間がかかります。今日も好天で、午前中は農作業を予定していましたが、文筆活動を始めてみると既に正午近くになってしまいました。

 今年は、梅雨入り前に、まとまった降雨が何回かあり、野菜への水遣りが省かれて助かりました。しかし、ここに来て、好天・高温続きで、昨日あたりから、水遣りを始めました。やり甲斐は感じますが、正直、大変です。(おとんとろ)