北海道での青春

紀行文を載せる予定

ドクター・オホーツク

 雷鳴がこだまして、大粒の雨がテントをたたきつける。かなり遠くで聞こえていた雷だが、明らかに近づいてきた。テント内のロウソクの明かりより、一瞬だが、稲光の方が強力に照らす。
 ここは、知床岳(1182m)のピークに通ずる稜線。ハイマツが途切れて、わずかに空いた場所に張ったテントの中だ。周囲には、私たちのテントより高いものは何もない。しかも、テントを支えるポールはアルミ製で、もし、雷が落ちるなら、どうか一番最初にお願いしますというような条件を備えていた。
 夏山と言っても、北海道の山では落雷が少ないし、まして、知床では、まったく思いもしなかった。それが、網走測候所始まって以来の猛暑で、連日晴天が続いていた。
 『おい、どうする。ハイマツの中に逃げ込むか』と、リーダーのNさんが言い出した。『この雨の中をですか?』私が応えると、『何か変な予感がしたんだよな』と言いながら、Nさんは、テントの天井を見上げた。
 Nさんと私のふたりの会話を聞いていた下級生は、深刻になるのかと思いきや、もし、落雷で死ぬのなら、あれもこれもしたかったとか、何が食べたいとか、そんな馬鹿な話をしていて、いっこうに、ハイマツの中に逃げ込むという話題にはならない。雷雨があまりにも激し過ぎて、外に出るのも一苦労だからだ。私は、落雷も恐いが、濡れるのも嫌だった。それでも、少しでも姿勢を低くしていようということになって、全員がシュラフの中に入ることにした。ただ、ポールの傍らは敬遠されがちで、結局、奥の方が私で、入口はT君が寝ることになった。

                    *

 夏の日の出は、やたらと早い。しかも、ここは知床なので、「緯度・経度・季節差」という条件からも、日の出の早さは相乗される。腕時計を見ると、午前4時までしばらく間があるのに、夜は完全に明けていた。テント地の黄色が鮮やかである。耳を澄ますと、小鳥のさえずる声がする。寝返りを打つたびに、シュラフの擦れる音がして、起床係のT君は、目を閉じたまま、午前4時の合図の瞬間を待っているようだ。昨夜の雷事件のお陰で早めに眠りについたので、睡眠時間はたっぷり取れた。
 だが私は、さっきから気に掛かることがひとつある。それは、股間が異常に熱いのだ。シュラフにポールが触れていたから、落雷の影響を受けたのかもしれない。(正直なところ、そんな非科学的なことは思わないが・・)サロメチールを塗った後のような痛さも伴う。太ももの内側が、かゆいようにも感じる。熱をもっていることは確かだ。一体どうなっているのだろうか。爽やかに目覚めた後、ずっとそのことばかりを考えていた。
 ついに決断してテントの外に出て、その部分を診てみることにした。外はまばゆい。雨に洗われたハイマツの緑は鮮やかで、針葉に付いた水滴が朝日に輝いている。普通なら、深呼吸でもして、ゆっくりと風情を味わうところだろうが、私の最大の関心事は、早く見てみたいということだ。
 ベルトを外し、学生ズボンと薄汚れたパンツを同時に下ろして診る。朝日のスポットライトを浴びた私の股間は、異様な姿になっている。なんと、太ももの内側は、真っ赤だ。そして、やや色の濃いラジエター部分も、赤茶けた色をしていた。恐る恐る触れて診ると、鈍い感触が、手と股間の両方から伝わってきた。
  冷気を浴びて、少し気持ち良くなってきたが、まさか、この状態のままでいるわけにもいかない。上体反らして、お尻の方も診てみるが、触った感触から、こちらは何ともなさそうだ。私は、遠くの海の方を凝視して、何が原因だったかを考えた。
 そう言えば、前にインスタント・ラーメンの中に「オクラ」を多量に入れて食べた後、似た症状になったことがあった。でも、夕べはと言うより、ほとんど毎食、同じような献立なので関係ない。「ウルシ」の可能性もない。次々に思いつくことを挙げては、その可能性をつぶしていった時、思い当たる節が浮かんできた。
 『そうか。石油か!』
 夕べ食事の時、傍らにあった新聞紙を敷いて座った。それに石油が少し染みているのに気づいたけれど、面倒なのでそのままにした。あの石油が、ズボンからパンツに染みて、一晩がかりで皮膚にまで達したのだ。股間でも、皮膚の柔らかいところが炎症を起こしたのに違いない。
 人というものは、結果が同じでも、悩ませている原因がわかると安心するものである。石油によって皮膚が炎症したとわかると、症状は好転しないまでも、安心するし、寧ろ、数学の難問が解けたような満足感がある。私は、清々しい気分になってテントに戻った。
T君が、『もう少しで起床時間になりますが、もう皆を起こしていいですか?』と問うので、『ああ、いいよ』と明るく応えた。

                  *

 山行のサブリーダーなので、私が先頭を歩くことになる。ところが、歩きだしてみると、さすがに股間が気になる。厳密に言うと、気になるどころか、太ももの水疱が破れ、股ずれが痛くてたまらない。だから、できるだけガニ股で歩くようにした。
 知床岳のピークからは、テッパンベツ川を下り、オホーツク海に向かう。山頂付近の岩肌は、すぐにチシマザサに変わった。水が現れるまでのしばらくは、ブッシュ漕ぎをしなくてはならない。普段ならさして気にもならないが、今は事情があり、特にいけないのは、跳ね返ったササが股間に当たったり、自分がよろけてササに触れたりした時だ。「ギャー」と泣き叫びたくなる。そんな思いをして、どうにか沢水にたどり着いた。
 しかし、これで災難が過ぎたわけではない。Nさんというのは、根っからの岩場好きなのだと思う。滝や危険な岩場を前にすると、気持ちを抑えられなくなるのか、すたすたと行ってしまう。そして気がつくと、仲間が付いてこないので、途中で休んで待っていることになる。まあ、パーティーの力量に差がなければ、それでも良いのだが、岩場登りでH君は、正直なところお荷物君である。もっとも、面倒を見なければならない後輩がいると、責任感を覚え、不思議としゃきっとするものだ。それに、沢は緊張感が伴うし、やや深い所では、わざと股間まで濡らしていると、ひんやりとして痛さも和らいできた。
 だが、沢も広がり海岸近くの平坦部になると、H君もすたすた歩き始めた。痛さを再認識する。破れた水泡の一部が剥がれ、赤裸の肉同士が擦れているのではないかと想像すると、いてもたってもいられない。私が寧ろ、ガニ股歩きで、皆を必死に追いかけた。 
 チャカババイ川の少し先の石浜で、12泊目の夜を迎えた。

そして、今日は、オホーツク海の海岸線に沿って進んだ。海岸は、石浜で歩きづらい。しばらく行くと、半島から突きだした断崖にぶつかり、行く手をさえぎられてしまった。Nさんは、俄然、闘志を燃やし、岩場を物ともせず器用にトラバースして行ってしまい、残された後輩たちの面倒は私が見ることになる。私たちも、Nさんの越した岩場を、重いリュックが、人を海に落とそうとするのに耐え、慎重に進んだが、途中でK君が、荷物を背負ったまま、海に落ちてしまった。
 ところが、K君は、『ほら、割と浅いですよ』と、立ち上がった。波をかぶっても膝上20cmぐらいの深さで、両手を挙げて、海の中でダンスをしてみせた。

 この海中の浅い岩棚は、現在できつつある海岸段丘の波食台だったのだ。そして、私たちが苦しんでトラバースしようとしている岩場が、海食崖になるわけだ。なるほど、実地に勉強してみると、納得がいくものである。ただ、岩棚は、幅がせいぜい1~2mで、それから先は急に深くなっている。しかし、海の中に歩いて渡れる道があったのに感激してしまう。それなら、簡単な海の道を使う方を選び、私たちは、たちまちNさんの待っている次の石浜に着いた。

 私たちが着くやいなや、Nさんは、『どっちを行く?』と、私に尋ねてきた。
 『どっちったって、まさか越えるわけじゃあないでしょ』と、私は、ドーム状の岩山を見ながら応えた。
 私たちが到着する前に、既に崖の海側部分を偵察して、途中がオーバーハングになっているから難しいと言う。Nさんは、海に突き出た岩山と半島からの尾根の間の鞍部を越えるつもりだと説明した。しかし、私には越える自信がない。私が無理なら、他の下級生も全員がだめである。こちらには、Nさんの知らない秘密兵器がある。さっそく、K君を海中ルートで偵察に出した。
 帰ってきたK君の報告では、岩棚は先にあるのかもしれないが、すぐに深くなってしまうらしい。断崖もトラバースはとてもできないと言う。
 Nさんは、断崖の鞍部を越えるつもりでいる。そこで、私の出した結論は、海を泳いで渡ろうというものだった。幸いに、全員がシュラフの下に敷くエアーマットを持っているし、リックの中身は、ビニル袋で保護してあるので、濡れる心配はない。そんな提案をすると、ひょうきん者のK君は、着ている物も濡らしたくないからと、水泳パンツひとつになると言い出した。これで、結論が出た。Nさんは、ひとり崖を越える。私たちは、海を行く。
 泳ぐ距離は、崖の先端までが20m、それを越えれば、次の石浜まで、40~50mといったところだろう。私は、地下足袋をリックサックに入れ、それをエアーマットに縛り付けた。マットをビート板代わりにして、バタ足と煽り足で行こうと考えている。

 海水に入った瞬間、股間の傷口は、「しっかりとやれ!」と激励してくれる程、激しくしみた。因幡の白兎みたいなものである。途中で振り返って、皆が付いてくるのを確認したが、崖の先端を回ってからは見えなくなり、早く陸地に着きたいという思いで、必死に泳いだ。そろそろ良いだろうと、最後のひとかきをすると、海底に足が届いた。マットごと引きずろうとすると、けっこう重い。浮力と重力の違いかなどと思いながら、海岸まで荷物を運んだ。
 海を見ると、T君が私と同じようにして泳いでくる。一方、岩山では、Nさんが、少しずつ下りてくるのが見える。声をかけるのは止めておこう。岩場は、下りの方が事故が多い。
 私は裸になって、衣類の海水を絞った後、石浜に干した。日差しが強いのと、焼けた石で、たちまち乾いてしまう。何しろ、着替えは無いのだから、乾かして着るより仕方がない。しばらくして、Nさんが到着した。二人で煙草を吸いながら、オホーツクの海を眺めていると、T君が、海岸に泳ぎ着き、第3位のゴールインである。
 私たちは、夏の猛暑を楽しんでいた。一方、残りの3人は、夏のオホーツクの海を楽しんでいるのか、崖の先端を回った辺りでかたまって、なかなか来ない。『早くしろー』と呼びかけると、『はーい、今、行きます』と、K君が即座に応えた。
 濡れた衣類も、そろそろ乾いた。遅れて到着したT君の衣類も、だいぶ乾きつつある頃だが、海にいる3人は、まだ来ない。待ちくたびれた私は、だんだん頭にきて、『早くしろ!』と怒鳴った。『懸命に泳いでいるんですが、どうしても前に進めません』と、K君が応える。良く見ると、少しずつ沖の方へと、遠ざかっているようにも見える。どうやら、彼らが必死になって泳いでいるらしいことが、ようやくわかった。
 至急、救助に向かわなくてはならない。Nさんは、『僕は、山を越えてきたので、全然濡れていないよ』と言う。Nさんは、先輩でもあるし、濡れていないので強い。ここで、私も『僕も、乾いているんだけどなあ』と言い出してもいいのだが、T君ひとりだけの救助では、心許ない。結局、衣類が乾いたばかりの私とT君で、救助に向かうことになった。
ビニル製ロープをつないで長くして、海中の3人につかまらせる。その端を私とT君が、泳ぎながら引いて、海に浮かぶ彼らを曳航してこようと思う。

 3人の浮かぶ沖まで泳いでいくと、先ほどとはいくぶん条件が異なり、引き潮になっているようだった。それでも、3人を海岸近くまで引き寄せることができた。
 水泳パンツだけのK君は、唇の色が紫色に変わり、震えている。陸に上がった後で聞いてみると、彼自身は泳げないことはないが、まず、泳ぎに自信のないH君が近づき、続いてY君が、すり寄ってきて、3人が一緒になると、どうしても前に進めなかったと言う。それで、いつまでも海に浮かぶ「超大型プランクトン」よろしく、オホーツクの海を漂流していたということらしい。
 しかも、大変驚いたことに、Y君は、25mも泳げないと言う。だから、浮き袋につかまっていた状態で、K君がいなければ、とんでもないことになっていた。
                *

 この後、わずか5mほどだが、どうしても渡れずに、もう一度、泳ぐことになった。今度は、さすがのN氏でもどうにもならず、全員が海水に入った。
 そこは、太陽の光が当たらない入江で、海水は冷たい。水温は、14~15℃ぐらいしかなかったのではないか。しかし、今度は、Y君が泳げないということがわかったので、ロープを用意して、反対側の岩で待機していた。
 『静かに海に入り、それから思い切って岩を蹴ってみろ。リュックを背負っていれば、沈むことはないから、安心しろ』と、私がアドバイスするが、Y君は、なかなか海に入らない。彼の表情から、自問しながら、自分に勇気を集め、集中させようとしているらしい。やがて、大きな声で、『行きます』と宣言した。私は、『よし、いいぞ』と応えた。
 ところが、静かに海に入ることを想定していた私は、Y君の突然の行動にびっくりした。いきなり、腹からダイビングしたのである。そして、犬かきのような格好で、必死に泳ぎだした。私は、彼の目付きに異常な気配を感じて、岸に近づくや否や、手を取って引き揚げた。Y君は、真っ青な唇で、目をつむり、『胸が痛い』と心臓の辺りを押さえ、そのまま倒れ込んだ。「心臓麻痺」かもしれないと、一瞬、死を連想して、震えた。しかし、激しい息づかいがおさまり、上体を起こしたY君を見て、どれほど安堵したことか。Nさんの指示で、K君らが焚き火をたいてあったので、Y君を連れていった。

 そんな日々を過ごしながら、知床岬に着く頃には、私の太ももは完全にかさぶたで覆われ、その下に新しい薄皮ができ始めていた。オホーツク海の塩水が、化膿しないように殺菌してくれたのかもしれない。私は、感謝の気持ちを込めて、海に叫んだ。
 『ありがとう。ドクター・オホーツク』

 

【忙中閑話】この文章は、大学卒業後、初任地の中学校で、当時の生徒会(新聞委員会)が企画した「私の失敗談」(昭和55年10月)というに冊子に投稿した原稿が元です。原文は、知床の半月あまりの旅の日程を凝縮してアレンジしたもですが、これは11泊目(知床岳)~13泊目(蛸岩)の内容に絞って書き直したものです。

 

 《編集後記》
 私のブログ立ち上げに、北海道の知床を持ってきました。これから、道内のあちこちを紹介する予定です。一番の悩み、画像処理ができずに、文章だけになりそうですが、風景は想像してみてください。体験した海岸段丘は、成因が良くわかりました。