北海道での青春

紀行文を載せる予定

暑寒別岳登頂

 山に入って6日目は、日本海から湯気の上がるのが見えるのではないかと思えるほど、暖かで遠目が効いた。そんな春の山を思わせる気象条件の下、この山行の目的地でもある増毛山塊の最高峰・暑寒別岳(1491.4m)をめざしていた。
 ところが、Kさんの目が良く見えなくなった。霞んで見えるという。
 『そう言えば、テントに雪の塊が崩れて、後頭部を激しくやられたからなあ』などと、冗談を言っているが、「雪目(ゆきめ)」になっているらしい。南中高度が低い北海道の冬の時期は、眼鏡をかけていると、サングラスがなくても紫外線で目をやられることは無い。
「色めがね」で世の中を見るのが嫌いな私は、サングラスやゴーグルを付けたことがない。取り外しができる「眼鏡用の偏光グラス」を上げたまま、日傘のような状態で使用していた。これだと、日差しだけ弱めて、普通に見える。しかし、太陽高度が高くなり、日差しが強まる春の雪山は、そうもいかない。(私も、下げて使用していた。)


 裸眼のKさんは、愛用の黄色のゴーグルを忘れてきた。一時的な視力低下ぐらいならいいが、放置すれば失明の恐れがある。
 そこで、ダケカンバの樹皮を細かく切り裂いて、「すだれ」を作り、バンダナの鉢巻きで固定し、額から垂らすことを思いついた。グッドアイディアだが、Kさんの顔は、かなり不気味な雰囲気になった。

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イヌイット遮光器


 ちなみに試したことはないが、イヌイットの人々は、図のような遮光器を使用したと言うので、厚紙でこんな装置を作っても良い。

 暑寒別岳への尾根や頂上付近は、尾根幅が狭く、雪庇も発達していた。
 この所、一日置きに降雪もあるので、雪崩の恐れもある。全層雪崩ともなれば問題外だが、表層雪崩でも生死を分ける。わずかな雪のブロックが崩れたのでさえ、大騒ぎをしているのだから、慎重し過ぎるということはない。「雪崩紐(なだれひも)」を出して、お互いに離れて進むことにした。

 雪崩紐と呼んでいたものは、長さ20mほどの赤い毛糸紐である。これをベルト通しにしばり、普段はポケットに丸めて入れておく。使う時は、ポケットから出して、自分の後方へ引きずって歩くのだ。毛糸素材は伸縮しやすいので、割と切れないものだし、軽い。

 もし、雪崩に巻き込まれた場合、赤い毛糸を見つければ、最大でも20m先に本人がいることになり、20mあれば、その一部が発見される可能性が大きい。まだ実際に、お世話になったことはないが、単純な原理である。

 暑寒別岳からの眺望は、すばらしかった。
 この山に登ろうと決めた赤岩や、積丹半島の海岸線がはっきりと見える。石狩湾のなだらかな湾曲は、墨絵を鑑賞するような趣がある。そして、日本海に懸かる霧と見間違えるようだが、天売島と焼尻島も、方向からみて確からしい。
 これから越えていく南暑寒岳と、それから東側に続く雨竜沼湿原へのルートも、地形図と照らし合わせて確認できた。新雪に覆われて、まばゆいばかりの輝きだ。難しい山の、難しい時期の登頂に、征服感のような喜びを見いださない私だと思っているが、山に登ることの全てが、この眺望の為にあるような気がした。

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山スキーのイメージ(TさんとM君)


 南暑寒岳(1296.3m)を越えると、雨竜沼湿原へと続く緩やかな尾根は、シールを外して、スキー滑走が楽しめた。
 私たちは、傾斜がさらに緩やかに変わる標高955m付近の尾根で、テントを張ることにした。ここが、6泊目・7泊目(C5・C6)の野営地となった。

 ところで、今回のように快晴の気象条件下で、しかも、滑っていく先が見えて、パーティーのスキー技術に差が小さいから、あまり問題はないが、楽しいスキー滑降には、大きな落とし穴がある。
 ひとつは、「リングワンデリング」という世にも不思議な現象があった。
 毎年、部の冬合宿が行なわれたニセコ五色温泉の北西2kmほどの所に、ニトヌプリ(北峰1081mと南峰1083m)という山がある。これは、相似形のピークがふたつある山で、合わせてひとつの山の名前となる。この内、私は北峰と聞いたが、山頂付近で、方位磁石が効かなくなるという。『ある先輩たちが、吹雪いた日の五色温泉への帰路で、山の周囲を一周した』と、まことしやかに語られていた。

 溶岩流や溶岩円頂丘が多い火山地帯なので、地下に磁鉄鉱が多量にあって、方位磁石を狂わせたのかもしれない。しかし、地球の磁場と、地下に含まれている程度の磁鉄鉱とでは、まるで勝負にならないと思う。私は気になって、その話を聞いた後で山頂付近で試してみたが、そんな現象は確認できなかった。後世へ伝える教訓として伝わっていたのかもしれない。
 
 こんな場合は例外としても、方位磁石をきちんと静止させ、下りる方向を必ず確かめてから滑り出さないと、とんでもないことになる。間違いに気づいてシールを付けて登り直すのと、スキーで滑ったのとでは、もちろん滑った距離にもよるが、数十倍以上、時間が違うはずである。うっかりミスで、体力を消耗させ、遭難騒ぎに発展することも、十分にあり得る。

 ふたつ目は、自分でも経験したし、日高隊のMY君や後輩たちの様子を見ていて、痛切に感じたことだ。新雪の深雪の中で転ぶと、転ばずに滑って行った人との間は、ものすごく離れてしまう。そればかりか、体力の消耗度は、天国と地獄ほども違う。
 深雪の中で転ぶと、まずはもがいて、起き上がる為の方向を決める必要がある。次に、リュックサックを肩から外す。20~25kg重の重さを背負ったままでは起き上がれない。状況によっては、からまったスキーを脱ぐことになり、スキー金具を直したりする。この時、手から外したストックを、雪面のどの辺りに刺しておくかも、後々のことを考えると重要になる。さらに、体やリュックに着いた雪を払い、ようやくリュックを背負う。最後に、ストックを握り直して、一連の転倒からの復帰動作を完了することになる。
 ところが、リュックを背負おうとした段階で、よろけて倒れると、もう一度、始めからやり直すことになる。もっと気の毒なのは、最後にストックをつかもうとするが、離れた所にあったり、ストックが雪の上に転がったままであったりして、身をかがめて取ろうとして、雪の中に倒れた場合だ。こんな場合は、本人が一番悲しく空しいだろうが、その姿を見ている方でも、それに負けないくらい悲しい。

 訓練を兼ねた冬合宿中は、だいたい天候も良いので、あまり周囲も口も手も出さないで見守っていた。1年生の時、MY君と同じパーティーとなり、彼の悲劇を、私は見ていた。長距離を走らせれば、部内でもトップクラスで、体力と持久力は抜群であるのに、スキー技術が未熟の為に、最後には口もきけないほど、体力を消耗していた。
 ちなみに、彼は、スキー練習中に転倒し、合計2本も折ってしまった。もちろん、足や歯ではなく、スキー板の方である。合板のスキー板よりも丈夫なMY君の足なので、部内では、彼の偉業を称えて、スキーブレーカーMと呼んだ。

 私が上級生になって、サブリーダーとなった時は、同期のMY君の悲劇を見ていたので、後輩に対して、口を多めに出してしまったきらいはある。しかし、冬山は、いつも快晴とは限らない。自分で自分の身を管理できる力を身につけることが、基本である。

 続いて、みっつ目は、誰が「律速条件(りっそくじょうけん)」になるかということを見極めておくことである。特に、スキー滑走ではという意味もある。
 山行では、パーティーの総合力と共に、誰が律速条件になるかを見ておく必要がある。ひとりでも、初心者や技術的に未熟な人がいると、パーティー全体の行動が制約されてしまう。例えば、スキー滑降する場合、スキー技術が未熟で転んでばかりいる人がいると、彼が転倒から復帰するまで待っていたら、吹雪の中ではたまらない。
 逆に、転倒して仲間からはぐれてしまった人の方でも、気持ちばかり焦って、堪で滑り出してコースを間違えてしまうと、遭難騒ぎになることもある。
 さらに、どんなに頑強な人や経験のあるベテランでも、山行中に怪我をすれば、これに類似した律速条件になるわけだから、もし、最初から山行目的の条件に合わなければ、始めからメンバーにしないというのも、最高の思い遣りだと思う。身体障害者などを最初から排除するような論理だが、山行の目的に照らして選別するという意味においてである。
 私たちの部では、個人的な山行に対する技能や力量、そして、パーティーでの役割や、総合的な判断力など、先輩から後輩へと、少しずつ受け継がれてきたように思う。

 【編集後記】 『スキー山行(たび)世の果てまで青と白』なる俳句を作ったことがありましたが、快晴の春山で、空の青さと雪の白さの二色だけからなる世界の思い出は、まさにこの山行の時のイメージでした。