北海道での青春

紀行文を載せる予定

天塩川の川下り

               ≪プロローグ≫

 テントの虫干しをしていて、部の装備倉庫の棚の奥で古いゴムボートを見つけた。その時は、大して気にもかけなかったが、古い山行記録を整理していて、それが10年ほど前、石狩川の川下りで使われた物だと知り、急に川下りの夢が浮上してきた。
 天塩川山行(川下り)は、私の初めてのリーダー経験でもあっただけに、様々な思い出がある。山行の安全を審議する機関「リーダー会議」で、計画の説明をした緊張感も懐かしい。計画では、全12泊13日・停滞3日の長期の予定であったが、台風による増水で、ゴムボートが流されるという事件が発生し、8泊9日の川下りとなった。
 最後は、天塩川河口の砂浜で1泊してから札幌に帰った。成就感はあるものの、寂しい幕引きとなり、今も心残りはある。 

 

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天塩川・川下りのキャンプ地


               ≪堰堤のこと≫

 士別(しべつ)を過ぎ、剣淵川(けんぶちがわ) との合流点を迎えると、天塩川は水量も増し川幅も広がって、大河の様相を呈してきた。
 実に雄大な眺めだ。深い緑の森が、川に沿って気の遠くなるほど続いている。穏やかな水面の広がりは、両岸のグリーンベルトと青い空の薄れゆく水平線のかなたに収束する。川辺の木々は、ひたひた寄せるさざ波に覆い被さり、涼しい影を映していた。やや遠くの水面は、太陽光を反射して、無数のメダカが泳ぎ回っているかのように見える。
 一生懸命にオールを漕いでいるKの傍らで、私は、黒船のように煙草で煙を作り、少しは風を受けてゴムボートの進行を助けてくれるのではないかと、日傘の帆をいっぱいに広げているが、くたびれたので止めることにする。それよりも、まろやかに広がっていく水の輪を眺めている方が面白そうだ。
 乱された船筋の波紋を眺めていると、妙な気分になってくる。
 蚕(カイコ)が桑の葉をざわざわ食い進んでいく様子や、シャクトリムシが、あの奇妙な格好で小枝を這っていく光景、はたまた、塩をかけたナメクジが次第に解けていく有様を、一人しゃがんで観察した時のことを思い出す。小さな頃、良くそうしたように、ちょいと摘み上げて、その動きをとめられそうな、無性に止めてみたいような気にもなった。
 ところが、自分の発想が変化しつつあることにも気づいた。無為に過ぎて行く時の流れの中で、何の目的もなさそうに見える波紋の広がりが、重大な意味をもつ存在のようにも感じ始めていた。単調だが、力強いつながりと、微妙なバランスを保った水の輪が、宇宙とでも呼んだらよさそうな状態を描き出しているように思えた。そして、現に、こうやって水面を眺めている自分の存在を、無辺大の渦巻きを作りつつ組織されていく星雲を、否、混沌とした闇の世界を、何もかもを説明してくれるものが潜んでいるのではないかとさえ。

 『水の落ちる音がしないか?』Kが言った。微かに聞こえる。
 川が緩やかに右に曲がっているため、前方は森に囲まれた湖のように見えている。やがて、こんもりと繁った森の扉が開いて、左岸の方から水平線が延びてきた。
 『ああ、あれだよ』と、Kが言う。私は振り返った。波ひとつない水平線の上に、青い鉄塔が見えた。
 『きっと、右側が水の取り入れ口だぞ。だけど、あの繁りようじゃ、左はちょっと無理だと思うけどなあ。』Kが続けて言った。しばらく眺めていたが、気を取り直して、漕ぎ始めた。滝の音を聞くと、たじろいでしまう。ボートが吸い込まれ、そのまま滝壺まで落ちてしまうような気がするからだ。途中で、漕ぎ手が替わり、私は、背中を向けて進んでいるから、気が気でない。
 表層水面の動きも活発になってきた。水に浮かんだ小枝が、ボートの傍らを、少しずつ差を詰め、並走し、追い抜いていった。張り出した木々に隠れて、両岸とも確認できないまま、右岸側に向けて進路を取った。
 岸は遠目に見た以上に、木々が水面に覆い被さり、なかなか近づけない。これ以上は無闇に進めないと思っていたら、木々がまばらな所があった。Kは、素早く小枝をつかんだ。私は、流れの逆向きに漕いだ。そして、Kが枝をつかんでいる間に、私がロープをつかんで岸に踏み出した。その途端、足が泥にめり込んでしまう。関節に力を入れて、サンダルごと抜こうとするが、なかなかしつこい。とりあえず上体を伸ばして、ロープを近くの枝にゆわえつけた。
 Kは、先人の教えを生かし、堂々と上陸してきた。そして、『前に川下りをした人が、切り開いた所じゃないか』と言う。確かに、周囲より木々は密集してはいないが、およそ切り開いたというべきではない。入り組んだ広葉樹が繁茂し、上からヒルが降ってきそうな所である。私は、緒の切れて、泥だらけになったサンダルを片手に、Kの後を追った。 やがて、陽の光こそあれ、不気味な所に出た。身の丈の一倍半はあろう植物が、びっしりと生えていた。
 『これ、ばきばき折れるぞー』と、Kは両手で払いのけながら叫んでいる。ヒマワリのような茎の所に、竹のように節がある。ぐうーっと見上げると、大きな葉が隣の茎のものと重なり合って、その隙間から光がこぼれていた。
 『何だろ?フキみたいに中が、がらんどうになってる。古生代とか、昔の植物みたいだ』と、Kが言うので、私は『生きた化石か』と応じた。
 『オールでなぎ倒した方が早いぞ、こりゃ。』と、Kは、持ってきたスキー板を加工して作った櫂(オール)を振り回し、不気味な植物の林を切り開きながら進んだ。

 ※山行後、図鑑で調べると、「オオイタドリ」であることがわかり、苦笑してしまった。

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オオイタドリの群生

 オオイタドリ; タデ科・オンタデ属、学名Polygonum sachalinese

 本州の中部以北、 (大疼取) 北海道~サハリン・千島列島の山野、道端、川縁に分布する。茎の高さは1~3m、葉は長さ15~30cm×幅10~25cmの大きな卵形である。
「イタドリ」は、痛さを取るという意味で、葉を揉んで打ち身の患部につけると、痛みが和らぐという。「オオイタドリ」は、大型であることに由来する。 
 

                *  *  *

 

 突然、生暖かい草いきれが顔にかかり、鋭い光が目の奥の方を刺した。目の前に、クローバーやヨモギの草むらが現れ、その向こうに青い鉄塔が立っていた。堰堤の水の取り入れ口からコンクリート壁が、上流側へ20mほど続き、ここから上陸できそうである。護岸工事されたコンクリート壁を利用すれば、陸送距離も、かなり短くなりそうだ。
 私たちは、再びゴムボートに戻った。そして、岸の枝をつかみながら進み、堰堤から続くコンクリート壁まで接近した。まず荷物を陸に移し、ボートを引きずり陸に揚げた。それから、二度に分けて、堰堤の横を通って陸送した。二人だけの作業なので疲れた。特に、ごうごうと、胃袋をも震わせる水の落下音のせいもあった。だが、その水の音も、堰堤の上にいた時とは別な気持ちで聞いていた。
 水は、鋭いはさみで裁断されるかのように、上の水ときっぱりと別れる。それから白い絹布の垂れ下がるように優雅に落ちていく。堰堤全体は、大きな織物機械だ。絶え間なく布を織り成していく。滝の音は、動力機のうなる音となろうか。
 ところが、更に下に目をやると、水煙が上がり、水は煮えくり返り、魚でも溺れるような光景に変わる。私たちは、堰堤から勢いよく落下する水が、滝壺のように渦巻く様子を眺めていた。
 『なあ、あの黄色いもの・・・ボートじゃないか?』と、Kが言った。『えっ!』と、返事して、私は注意深く見た。渦を巻いた水の上に、黄色い腹を見せて浮かび上がってくるものがある。上からの水にたたかれながら、すーっと渦の先端まできて、必死にもがくが、静かに引き込まれるようにして沈んでいく。しばらくして、向こうの端から現れる。
 『あれ、きっとボートだぞ。』何も答えない私に、Kは言った。私も、ゴムボートだと思った。そして、川下りに失敗した人が放棄したボートが、上流から流されてきて、この堰堤の滝壺に捕らえられたものだと思った。
 『遭難したのかな?』『何か、死体を見たみたいだなあ。』Kは、次々と言った。
 『変なこと言うなよ。もう、出かけよう。』私たちは、ゴムボートに空気をしっかりと詰め直して、再び川に戻った。

 【編集後記】 知床半島暑寒別岳に続き、今日から、道内一長い「天塩川」の川下りをした思い出を語ります。登場する「K」君とは、今もずっと交友しています。

 彼は、2001年「9.11事件」で、ニューヨーク・貿易センタービルで勤務していて、避難した日本人の一人という強運の持ち主でもあります。