北海道での青春

紀行文を載せる予定

天塩川・智東のこと

 『あそこに、渡し船があるぞ。』Kの言葉に、私は、手を休め振り向いた。右岸に田舟のような舟が、一艘杭につないである。両岸とも木々の途切れた所に綱が渡してあって、腐った板の渡し場がある。からからに乾き切って白茶けていた。
 綱の下を通り抜ける時、森の間から向こうの様子が見えた。

 『あれ、智東駅(ちとう・えき)じゃないか。』私が言った。
 森の間から平屋の建物が見えた。中央に山形の破風がある。それがために、不思議と、長い並木道を通り抜けて、やっと玄関まで到達できるような西洋貴族の館を思わせるが、その建物には見覚えがある。智東駅に違いない。・・・と言うのも、ちょうど一ヶ月ほど前、私たちは、この駅で下車したことがあるからだ。

 駅員が交替で3人。利用客は小・中学校に通う子どもたちが5~6人だと、駅長さんが言った。駅の待合室には、少年・少女向けの雑誌と輪投げがあった。地割れした畑の中に、トウモロコシやアスパラガスが、棒のように立っていた。離農した酪農家の建物だけが、ひっそりと駅舎を見守っているというふうな・・・風もない、けだるい炎天の日だった。
私たちは、この智東駅(名寄市智恵文)で降りて、徒歩で天塩川の様子を偵察した。

                *  *  *

 『ちょっと、地図を貸して。』Kが言う。私は地図を手渡した。Kは、しばらくそれを見ていたが、地図の向きを変え、私にも見せようとしながら言った。
 『あそこを左に曲がったら、すぐだ。』
 川の水位は、7月下旬より50cmほど上昇していた。石ころの見えていた河原も、今は水の下になっているが、波の立ち方で、およその見当はつく。

 川底から波紋が湧き上がってきた。これが現れると、先に急流がある証拠だ。私たちは、これまでの経験から、先に滝や急流のようなものがあることを予測する手がかりを得ていたからだ。水面を注意深く見ていると、川底の方から音もなく、不連続な水の塊が湧き上がってくる。何かスロー・モーションで、「衝撃波」のようなものを見ている感じである。もしくは、ウィスキーの水割りを作る時、酒(アルコール)が水の中を拡散しようとして、活発に揺れながら移動していく現象に、非常に良く似ている。(その理由は、後述する。)

 ここは、天塩川の中~下流地帯では、唯一の急流域で、下見をしてあった智東駅の近くの急流なのだ。
 渋るKを、どうにか納得させて、一旦、浅瀬にボートを上げた。川の下見はしてあったが、それはどんな様子かを理解する為のもので、どのルートを下るかは検討してなかったからだ。全体が見渡せる大きな岩の上に登った。岩の下の白い波頭は、次第に大きなうねりに変わって、本流へと続いている。注意するのは、断崖の下を同心円状に渦巻いている左側の方だろう。川のほぼ中央に岩が突き出ていて、そこから急に流れが速くなっている。突き出た岩を避けてのルートがいいらしい。
 『いくぞ!』私は、自分の声がはっきりと聞こえた。『オーライ。』Kの返事がある。
 二人が前後に座り、オールを堅くにぎった。石ころの上を小刻みに立っていた波頭が、しだいに大きなうねりに変わってきた。ボートは、それに合わせてリズミカルに揺れ出した。
 『左、左!』私は叫んだ。Kは懸命に漕ぐ。思っていたより流速がある。水中から突き出た岩の左側に進路を取る前に、岩は迫ってきた。そして、十分に回避できないまま、最後のひとかきに力を込めた。ボートの後部が、岩をかすめ通った。Kは、素早くオールを引っ込める。
 さあ、本流に突入したぞ。
 波頭が見えたかと思うと、船首が上がる。水が高くはじけ飛んだ。目から入った情報が、頭の中で整理されない内に、次々と波の形が飛び込んできた。
 私たちは、手にしたオールで懸命に漕いで、ボートの進路を操っている。だが、客観的に見ると、明らかに流されているのだ。ただ、恐れていた渦巻きの方からは離れ、警戒していた岩に、ボートをぶつけることなく、うまく流されてきたようだ。その後は、流れに身を任せた。
 川は、再び静かになった。
 後ろの方で、微かに水音がする。不安感が吹き飛んで、ささやかながら成就感に浸る。爽やかな液体が、全身に染み透った感じで、うれしさを堪え切れずに、「スキーの寵児」を歌い出すが、すぐに、その馬鹿さ加減に気づいて、『少し流れがあるから、寝ていこう』と、照れ隠しをした。例によって、チョコレートをかじる人と、煙草をふかし始める人とになった。
 夏の太陽は、だいぶ高く上がり、雲もさっきよりは広がってきた。
 川の流れに身を任せ、流れていこう。
 静かに風が流れ、さざ波が立った。ボートは、しだいに左寄りに進路を取っていくが、そんなことは少しも知りはしない。

 

 【忙中閑話】  天塩川智東(ちとう):かつて、長さと流域面積で北海道一の川は、石狩川であった。しかし、流路の改修工事で短くなり、長さでは天塩川に第1位の座を譲った。天塩川は、石狩川と同じく北海道中央部の脊梁山地に源を発するが、その後は北に流れ、最後はUターンするようにして、日本海に注いでいる。
 本格的な急流は上流部だが、こちらは水量が少なく、ゴムボートで下るには難しい。平野部に入ると、小規模な瀬はあるが、全体的にはなだらかで安全な川である。その中で、智東は、かつてあった滝が崩れた跡だということで、急流域である。内陸水路の時代、難所のひとつだったようだ。造瀑層が、どんな岩石であったのか、確かめなかったのは残念である。
 ところで、経験則から見つけた「急流の兆し」が現れるのは、次のような理由からではないかと考えてみた。浅瀬や川幅が狭まった所は、流速が速まり、急流となる。ところが、川の深い所を流れている深層水は、狭まった川底にぶつかる。ぶつかっても、水だから変形するのは当たり前だが、行き場は上にしかなく、またこの時の衝撃が、表層水に伝わり、不連続な水の塊となって湧き上がってくるのではないか。

 水溶液に酒や砂糖が解けて拡散していく時の「シュリーレン現象」は、溶液の部分的な密度の違いから、光の屈折で見える現象だが、この場合は、衝撃波のような振動により、密度差ができるのかもしれない。水自身が、多少の圧密化により変形するという意味である。

f:id:otontoro:20200407101435j:plain

急流の存在を知らせるメカニズム

 

【編集後記】 本文に登場した「智東駅」は、宗谷本線の小さな駅で、2006年(平成18年)の春三月をもって廃駅となったと言う。私たちが訪れた頃から既に、利用者の少ない駅ではあったが、待合い時間が長いので、子供たちが読書したり、遊んだりできる心遣いもある優しい駅だった。今でも鉄道ファンには、人気があると言う。