北海道での青春

紀行文を載せる予定

天塩川・水鳥のこと

 森の切れた右岸から、ゆるやかな起伏の山並みが見えた。その少し上に、定規を当てたように底が平らな積雲が続いていた。なだらかな山々のうねりが、よけいはっきりとわかる。ちょうど、山腹に雲の影絵ができて、それはどこかの国の領土のような形をしていた。
雲と山とを眺めていると、白い雲がずっと近くにあって、その遙か向こうに薄紫色の山々があるように見えた。
 夏草の生い繁った土手が続いている。その上の草原には、牧草が植えられている。所々、高く飛び出しているのは、「ホモノ類」の夏草らしい。川岸には、まだら石のような一頭の乳牛が横たわり、静かに黙想していた。
 ボートの存在に気づいたのか、石炭のような大きな目を開け、面倒くさそうに顔を向ける。私たちの姿を見たか見ない内に、再び目を閉じて、草の臭いでもかいでいるような格好にもどった。その向こうでは、5~6頭の乳牛が、草をはんでいる。あごを前後、左右に動かすたびに、ほおの筋肉が膨らんだり、しぼんだりする。飽食し切って、無感動な面持ちだ。長い尾を器用に操って、絶えず腰や尻に群がるハエを追っていた。
 『いいな、牛は。自分の回りが全部食べ物で・・。回りをチョコレートで囲まれているようなもんだもん』と、Kが童心にもどったようなことを言う。
 『へえー、そうかねえ。いやにチョコレートにこだわるんだな。牛にとってみれば、生米が回りに散らばっていて、おかずが少ししかないと思っているんじゃないかなあ』と、私は皮肉った。
 牛たちの、さらに遠くには、赤や青色の屋根のサイロや牧舎が見えた。 

f:id:otontoro:20200408105633j:plain

天塩川風景

 やがて遠くに中州が見えてきた。大きなものらしく、中州全体が森になっている。例によって、急流を知らせる「ウィスキーの水割り」現象が現れ、遠目に白い波頭が見える。
 中州は、緑の軍艦だ。舳先で波をけ立てて遡ってくる。ボートは、その傍らを通り抜け、再び静かな水面へと戻った。

 

 水面の乱れた舟筋が、きらきら輝いていた。頭は暑いが、汗が出るというほどではない。両岸の森が影を落とし、岸よりの水面は黒ずんで見える。ボートは、その間を力強く進んで行く。櫂のしずくが、快調に響き渡っていた。
 突然、真っ白い水鳥が数羽、水面を滑るように横切って行った。微かなさざ波が、右岸の葦(アシ)の茂みの中に消えた。
 『幼稚園児みたいに、一列にならんで行くんだなあ。』Kが言った。私は、Kの言葉が実にすばらしい感動だと思った。あまりに突然だったから、その光景を見るには見たけれど、どうであったか思い出せないでいた。それが、Kの言葉によって、その記憶がありありと蘇ってきたからだ。
 『あれ、先頭の水鳥が一番大きかったよな』と、私が問うと、Kは、『ああ。親子だったかもしれない』と、答えた。
 しばらく、音を立てずに行くことにしよう。
 ほおづえをついて、前方を眺めていた。遙かなたの水平線の上に、夏雲が見える。ぼんやりしていると、Kがささやいた。『いるいる・・・』
 かなり遠くの左岸から、すーっと出てきた。同じ種類の水鳥が一羽、浮かんでいた。白茶けた水の上で、じっと頭を垂れていた。昼下がりの日溜まりで、一人の老人が、遠い昔を回想しているかのようだ。太陽のスポットライトが当たったように、そこだけが辺りと分離して、鮮明に見える。

 森に葉ずれの音がして、さざ波が立った。水鳥は、木の葉のように揺れる。その時突然、首をもたげたかと思うと、今まで水平だった尾羽をさっと斜めに上げた。向きを変えて、一目散に逃げ出した。しばらくの間、白い一本の直線が見えていた。
 『こんな所も、まだあるんだなあ』と、Kは感慨深げに言った。
 『日本じゃ、ないみたいだな。』
 私が答えた時、遙か遠くの方で、列車の汽笛が聞こえた。トンネルに入る前の合図かもしれない。水鳥は、私たちよりも先に、それに気づいたようだ。
 しだいに、蒸気機関車の吐き出す息遣いと、レールの継ぎ目を乗り越える時の規則正しい震動音が近づいてきた。そして、森の切れた天塩川の川沿いを、日本国有鉄道の貨物列車が、通り過ぎて行った。その音が遠ざかってから、私は櫂を漕ぎ始めた。まだ、森の上には、黒い煙がたなびいていた。

f:id:otontoro:20200408105741j:plain

カルガモの親子

 【注】  動植物は、どちらかと言うと苦手で、水鳥の正体は、わからない。しかし、夏の北海道・天塩川の水辺で、 水鳥の親子が並んで泳いでいたことと、大分類では、 「ガン・カモ科」に属しそうな形状だったという記憶から、カルガモだったのではないかと思う。最初に見た方が、母子で、後で見た1羽の方が、雄であったのかもしれないと想像している。

 

【編集後記】 私の子供の頃の記憶では、ゴイサギは多かったが、寧ろ、ガン・カモ類、サギ類の飛来数は、ここ佐久平で昔より明らかに増えている。2019年の秋には、懐かしいハヤブサかと疑ったほど、急降下する時の翼の風切音がして、鵜(ウ)が作業していた水田近くの川面に舞い降りた。(正確には、音を聞いて、急いで見に行った。とても感動しました。)