北海道での青春

紀行文を載せる予定

天塩川・川下り山行の概要

 昭和49年(1974年) 8月19日~8月27日
 当初の計画では、駅泊1+11泊12日・停滞3日であったが、途中で、ボート流失という事件が発生し、士別駅での1泊と、テント(野営)での7泊8日に変更せざるを得なくなった。

◆8月19日 札幌駅21:20発の夜行列車で出発
      ・石北本線~宗谷本線経由で、深夜、士別駅に着く 
◆8月20日 士別駅1:40着 駅員さんに頼み、駅の軒下で泊(C0 )
       士別駅6:40発の定期バスで、朝日(奥士別)へ(バス停7:15着)
      ※天塩川の上流部・標高205m付近、ペンケヌカナンプ川との合流点       上流側750mから、川下りをスタートした。(8:20発)
      ★1泊目:15:00着
       士別市・国道40号線に懸かる士別橋の下左岸(C1)
◆8月21日 6:15起床・8:15発
      ※剣淵川が合流し、堰堤を越える・・・「堰堤のこと」
      ★2泊目:16:50着
       名寄市名寄川との合流点から500m上流の左岸(C2)
◆8月22日 5:00起床・7:05発
      ※智東の浅瀬8:05着(15分偵察)・・・「智東のこと」
       ★3泊目:15:15着
        美深町・恩根内の恩根内大橋と小車大橋の間右岸(C3)
◆8月23日 6:00起床・7:23発
       ・音威子府で、食品の買い出し(10:30~11:50)
       ★4泊目:16:00着
        中川町・佐久橋の上流約1.5km中州の間の右岸(C4 )
◆8月24日 6:00起床・7:12発
        ※川の蛇行は、これより下流にも多く見られたが、この辺りが大変。
        そして水鳥にも遭遇・・・「水鳥のこと」、「蛇行への憧れ」
        ★5泊目:16:50着
        幌延町・雄信内(駅に近い所)の右岸(C5 )
◆8月25日 6:00起床・雨天の為、停滞日
       ★6泊目:雄信内 増水の様子を気にしていた(C6 )
◆8月26日 5:10ボートの流失に気づく・・・・「ボート流失」
       ※部の連絡先、地元警察に連絡の後、列車で天塩川河口に向かう
        ★7泊目:天塩町天塩川河口の砂浜(C7 )
◆8月27日 7:00起床
       ・宗谷本線と石北本線経由で、札幌に帰る(16:00)

 

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サロベツ原野(遠く利尻岳が見える)


私たちが、天塩川サロベツ原野に旅立つ前、原野(湿原)の一部が、国立公園に指定された。(現在は、ラムサール条約により、世界自然遺産に登録されている。)
 新聞記事を読み、計画の重要箇所でもあったので、多くの夢を抱いていた。
 サロベツ原野は泥炭地で、高層湿原植物が群生し、学問上貴重な小動物も多い。海岸にハマナスなどが自生する砂丘一帯には、オジロワシが棲み、また、ガン・カモ類の飛来地でもある。ワタスゲやエゾカンゾウの大群落は、他に類がない。その湿原に観光の嵐と干拓という魔手が忍び込みつつあるらしい。残念ながら私たちは、ここを訪れることはなかった。

 

 【忙中緩和】 天塩川に決まるまで:天塩川山行(川下り)は、すぐに決まったわけではないし、最初の川下りでもない。

 阿寒湖の奥に「ペンケトウ」・「パンケトウ」というふたつの湖がある。私たちは、これをボートで探検した後、移動して釧路川を下り、釧路湿原を探索して、最後は、太平洋に出てみようと考えていた。しかし、これは二人で実行するとなると、ボートの運搬や食糧調達に無理があるとわかった。   

 次に浮上してきたアイディアは、実は天塩川より、サロベツ湿原(原野)の方が先である。ここに行きたいというのが夢であった。ただ、直接行くのではなく、天塩川を下り、サロベツ川との合流点から遡り、原野で2泊3日した後、日本海に出ようと計画した。ボートは、士別駅から定期バスで運べるし、川沿いの市街地で食糧品の買い出しもできる。そこで、天塩川に決めることにした。

                *  *  *

 しかし、部の山行審議機関「リーダー会」で、私たちの計画を可決通過させるには、予備山行(川下り)が必要だった。言わば、実績作りと安全性の証明である。そこで、第1回目は、札幌市内と言うより、私の下宿の横を流れる創成川(そうせいがわ)を下り、石狩川との合流点までの川下りを実施した。創成川は札幌開拓時代の運河だが、今や、どぶ川に近い。川下りを楽しむというより、ゴムボートの耐久性を確かめるのが目的になった。ボートは古いので、少しずつ空気が抜けてしまい、3~4時間ごとに空気を補充しなければならなかった。

 第2回目は、支笏湖から流れ出る千歳川(ちとせがわ)である。上流部は発電所やダムがあるので、中流部からスタートした。ここはスリルが多かった。岩が出ていてという訳ではなく、川幅が狭い割に水量が多く、しかも曲がりくねった急流である。ある意味で、危険度からすれば、天塩川より千歳川の方が、はるかに上だった。ここで、度胸をつけさせてもらった。

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支笏湖畔からのスケッチ


 さらに、札幌育ちのKだが、幸いKも私も十分泳げたが、大学のプールで、着衣泳や救命胴衣泳をした。プールは、今は壊されていると思うが、深すぎて危険なので、
めすき板で底上げされていた。しかし、一部に壊れている所があり、そこから潜水して遊んだ。冷静に判断すれば、かなり危険極まる行為だったと思う。

 そして、「智東のこと」で触れたように、山行実施の約1ヶ月前に、鉄道経由で、天塩川・唯一の智東急流地帯の下見をした。
 (「リーダー」会の山行審議で、安全性の観点から、ある委員の質問があり、私が、『下見をします』と応えた。ただ、「智東に急流地帯がある」という情報を、どんな手段で知り得たかは、どうしても思い出せない。)

 

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名寄駅構内(待合い時間に)

【編集後記】 最近、NHK番組「ぶらタモリ」で釧路湿原がどのようにしてできたかを知る機会があって、興味深く視聴した。また、TVで、湿原をボートで探索したり、日本や海外の急流のラフティング(川下り)したりしている映像を見るたびに、羨ましく思っている。まさに、青春の日々を思い出している。