北海道での青春

紀行文を載せる予定

トムラウシ山への道

 十勝連峰・下ホロカメットク山(1/11早朝)や、オプタテシケ山(1/12早朝)への登頂は、既に成功していたが、今回の最終目的は、やはりトムラウシ山(2141m)への登頂であった。
 原始原を越え、森林地帯のトラバースや雪の沢の登り下りも、すべてトムラウシ山へとつながる道だった。

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 12月中旬には、今回と同じメンバーで、上ホロカメットク山2泊3日・停滞1日の計画で、予備山行を行なった。風が強く、初日の三峰(みつみね)側からの登頂ルートは、途中で引き返した。2日目の旧噴火口側からのルートでも、三段山(1750m)までは登ったが、やはり稜線付近は吹雪で、途中から引き返すことになった。
 予備山行の主目的は、上ホロカメットク山(1887m)への登頂そのものではなかった。ピッケルとアイゼンを使った冬山登山に備えての個人、およびパーティーとしての訓練をねらいとしていたからだ。標高は低いが、片側が雪のガレ場という状況なので、練習とはいえ、真剣に取り組んだのは言うまでもなかった。

 この予備山行で、雪山から白金温泉(しろがねおんせん)までの約6kmの山スキー滑降は、特に印象に残っている。25kg重近い冬山装備のリュックを背負っていたので、華麗にシュプールを描きながらというわけにはいかなかったが、新雪の斜面を心おきなく滑ることができた。これだけ長い距離を、休みなく滑り下りた経験はなかった。制動して止まろうとするが、足の疲れから支えることができずに、転倒してしまうことも何度もあった。足の太ももの筋肉が、痙攣(けいれん)して震えが止まらず、しばらくは元にもどらなかった。
 しかし、この雪山での大滑降で、私の山スキー技術が、格段と向上したことは確かだった。

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 1月16日、起きた時から、ある種の緊張感があった。
 前日は、雪の為、安全策をとって停滞日としてあったので、体力・気力ともに充実していた。雑炊を食べる時の一噛みごとにも、「今日は、いよいよトムラウシ山の頂上に立つぞ」という意気込みがあって、いつもより静かな朝食だった。
 昨日の内に、アタックのための装備は、銘々が準備してあったが、リーダーIさんの、「もう一度、点検してみろ!」という指示で、再度確認をし、テント内を片付けた後で、外に出た。
 辺りは、明るくなり始めている。ピリリとした寒気が、身を引き締める。テントの出入口のジッパーを閉める時、「無事に戻れますように」と、祈りながら閉めた。

 それから、シールを装着したスキーを履いて、ベースキャンプを後にした。うっすらと積もった新雪の斜面をしばらく登り、下の方を振り返ると、テントサイトが心なしか、寂しげに見えた。トムラウシ山のピークを踏んだ後、昼過ぎには戻ってこられるはずである。やがて、額に汗が出るようになってきた頃、前トムラの山頂に着いた。


 前トムラから見るトムラウシ山は、みごとだった。
 モルゲンローテ(Morgenrote;朝焼け・曙光)の中で、トムラウシのピークは、青空を背景に、静かに湧き上がる白い雲に見え隠れしていた。雪の山肌は、ピンクからオレンジ色がかった赤色に染まり、実に幻想的だった。美しさも限界を超えると、それは恐怖さえ感じるような神々しい趣がある。うまい表現はできないが、どんな苦労をしてでも、山に登りたいという気持ちを抱かせてくれる瞬間である。
 誰もが、しばらくは美しさに見惚れていたが、チーフリーダーKさんの出発を促す声で、隊列を整えた。

 稜線に沿ってトムラウシ山をめざす。昨日に降った新雪の下は固くしまった氷で、西からの季節風も強いが、稜線はある程度の幅があるので、スキーのまま進めると判断した。それでも、斜面に張り出した雪庇(せっぴ)もあるので、パーティーは縦に広がって離れて進行することにした。そんな状況のまま、トムラウシ山の山頂直下まで、スキーを履いたまま接近することができた。そして、少し雪庇のできかかった所をみつけ、強風をさけてスキーを脱いだ。硬い氷雪面に、スキーとストックを慎重に差し込んだ。何しろ、登頂に成功したとしても、ベースキャンプに戻る為の、各人の生命を託す大切なスキー用具である。慎重な上にも慎重を期し、風で吹き飛ばされる心配がないかどうかを確認する必要がある。お互いにわかっていることではあるが、さすが、リーダーIさんの再確認を命令する声には迫力があった。

 アイゼンに履き替えた。
 ピッケルを握り、固く引き締まった雪の上をアイゼンの独特な音を感じながら歩いた。雪面の状態で、グサッと聞こえたり、コツコツ、キュッキュッと聞こえたりするのだが、今は、ウインドヤッケのフードが激しく振動する音だけで、他は何も聞こえてこない。
 400mくらいは歩いただろうか、先頭を行くOさん(Aグループのサブリーダー)が、ピークの標柱をみつけ、念願のトムラウシ山頂に立つことができた。
 「バンザーイ」と叫びたいところだが、なぜか、そんな気持ちがなかなか湧いてこない。
誰もが、前トムラから見た神々しいトムラウシの山頂に立っていることは十分にわかっているのだが、なぜかその実感がないのだ。ベースキャンプを出発してから2時間余りで、トムラウシ山の山頂に立ってしまった。登頂の喜びは、もちろん大きいが、それまでの準備や心構えの方が、もっと大きかっただけに、あまりにあっさりと目的を達成してしまったことに、やや拍子抜けしたような気持ちになってたのも事実だった。

 厳冬期の北海道の2000mを越える山の登頂に成功したことは、すごいことである。若者の冒険心や達成感を、十分に満たしてくれるものであったはずなのに、そして、この厳しい季節風の吹きすさぶ場所に立っても、パーティーには、まだ試練が足りないという雰囲気があった。

 方位磁石を出して、旭岳など表大雪の山々の方向を確かめてから望むが、厚い雲海や霧に閉ざされて、何も見えない。頭の上や体の横を、恐ろしい勢いで霧が走り去る。空の明るさから、基本的には晴れていると思うが、オプタテシケ山十勝岳方面も、同様に見えない。
 東側は視界が開け、石狩岳(1996m)やニペソツ山(2013m)が、雲海の上に見えた。雲間から、十勝側の雪原や森林地帯が、わずかに見え隠れしている。当然、見えはしないが、ベースキャンプの方向を目でたどってみた。

 温度計で気温を測定すると、-26.5℃を示していた。風速は、感覚から20m/秒は優に越えていると思われる。冬型気圧配置特有の西からの強い季節風である。理論値でいけば、体感温度は、風速1m/秒増すごとに1℃ぐらいの割合で、実際の気温より低く感じるというが、まるでロボットのように、手足や顔・頭は、完全に保護されているので、それほど寒いとは感じなかった。もっとも、これまで活動してきた時の余熱が、ヤッケやオーバーズボンの中に残っていたからで、辺りの風景を眺めているうちに、冷えは身体の中まで伝わってきた。15分ほど、ピークで登頂を楽しみ、下山することにした。

 ベースキャンプには、山頂を出発してから1時間ほどで着いた。登りが思いのほか順調であったように、下山もわずかに積もった新雪の雪崩を警戒したが、予定した昼過ぎどころか、午後10時には懐かしいテントに戻り、早い昼食にした。

 

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 ところが、トムラウシ山へのアタックの基地となったベースキャンプから、8泊目の野営地であるユートムラウシ温泉(C8)への下山ルートで、表層雪崩に何度も遭遇した。
 山行に入ってから本格的な雪はなく、停滞した日(1/15)に降雪があった。それから、ほぼ丸一日を経過していたが、固い雪の上に降った新雪なので、雪同士はなじまず、雪崩落ちてくるようだ。この内、ひとつの雪崩は、かなり危なかった。

 合同パーティーの先頭を歩いていたAグループのOさんは、少しでも安全性をと考えて、沢のかなり上部まで登り、それからトラバースした。しかし、地図に出ていないガレ場にぶつかり、行く手を遮られた。後続の私たちBグループパーティーには、もう少し下を通過するように伝えてきた。
 それから、AグループパーティーやOさん自身も、その場から引き返そうとしていた。一方、私たちは、新たなルートを作るために、Tさんを先頭にラッセルを開始し、途中で私がトップを交替した直後のことだった。
 Oさんの足元付近から、小さな雪の塊が新雪の上に落ちた。
 2、3回跳ねると、静かに周囲の雪を巻き込んで、雪面全体は白いテーブルクロスを人が引っ張った時のように、サーという静かな音を発して、Tさんと私のいる方向へ流れて行った。上から、『雪崩だ』という声がした。そう言われても、対応のしようもなかった。表層雪崩は、ちょうど私たちの10mほど手前で止まったらしい。

 これらは、チーフリーダーのKさんが、上から見ていたことで、私たちは何も知らずにいた。雪の量が少なく、傾斜の斜度がゆるやかに変わる所で止まった小規模な表層雪崩ではあったが、Kさんは、すぐに山岳遭難事故を連想したと言う。
 私たちは、さらに警戒を強めて、ユートムラウシ温泉へと向かった。

 「ユートムラウシ温泉」と聞くと、下山後にゆったりと入浴ができると思われがちであるが、積雪期は何も無い所であった。温泉施設も、夏場だけ細々と開業している程度だった。だから、ここでも野営をするのだが、それでも、麓へ向かっているという安心感がある。

 その晩は、雪だった。
 眠りにつく頃から降り出した雪は、ほぼ一晩中、降り続いた。翌朝、外に出てみると、遅い起床だったせいもあるが、既に日は高く昇り、新雪がまばゆいばかりの快晴である。大雪の翌朝に良くあるパターンではあるが、その量には驚いた。積雪量は、優に60cmはある。原始原で見たような大きな雪の結晶が含まれている極めて軽い新雪だった。ただ、スキーを履いていても、膝まで潜ってしまうだろう。

 ・・・札幌の下宿にいると、起きた時に雪かどうかはわかった。片側三車線一方通行の石狩街道沿いに建物があったので、通行する自動車の騒音がうるさかった。それが、雪の朝は、音が何ホーンか小さくなり、タイヤチェーンの音が聞こえた。だが、山奥では、何の前触れもなく、大雪の朝が訪れた。

 

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 幸いなことに、今日は林道沿いに下る。
 ラッセルをしなくてはならないが、下りなので、スキーにシールをつけなくても良い。さらに、膝までもぐってしまうが、軽い雪なので負担も少ない。注意することは、林道と思われる範囲のほぼ中央をいかないと、道を踏み外すことになるぐらいのところだろう。11人が、先頭がラッセルしたシュプール跡を一列に並んで行くので、後ろの人はスキーを滑らせるだけである。トップを交替した後は、後方に回り、ゆっくりと煙草を一服した後でも、余裕で前に追いつけた。約9kmの林道を一気にスキーで踏破した。
 そして、最終宿泊地のシー十勝川の営林署の飯場(C9)に着いた。

 翌日、計画では、麓までスキーと歩きで行き、バスで新得町まで出て、根室本線経由で夕方遅くに札幌に帰ってくることになっていた。しかし、密かに期待していた通り、林業関係者のトラックで、麓まで乗せていただくことができ、思わぬ昼過ぎには着いた。誠にありがたいことである。

 

 【編集後記】 前回、この山行の主な日程を示したが、今回は、主目的の「トムラウシ山」登頂から下山の様子である。本文中で述べたように、モルゲンローテの中で見上げた山岳風景は、畏れを感じる美しさであった。写真のないのが残念だが、過去の経験から言うと、感動も写真で振り返ると、その本物の感動より劣ってしまうようだ。感動を今から思い出しながら、水彩画にしてもいいかもしれない。