北海道での青春

紀行文を載せる予定

春のトヨニ岳からの生還

 広大な大地に、一本の道が日高山脈に向かって、まっすぐに延びていた。 
 雪形(ゆきがた)が現れ始めた残雪の山並みは、尾根筋と谷筋が際だって、山の特徴を浮き立たせる。これから登る楽古岳からトヨニ岳、さらには、ペテガリ岳につながる稜線が、鮮やかに目に飛び込んできた。
 広大な大地に、カラマツ並木が続く。
 畑を区切るために植えられたカラマツの木々は、芽吹きが始まっていた。淡い黄緑色の葉を付けた木々の列は、遠くでいくつかの並木の列と交差しながら、春もやの中に消えゆくように連なっていた。冬ぶちした畑からは陽炎があがり、代わりに穏やかな陽光が、黒土に吸い込まれていくかのような錯覚を覚える。
 そんな十勝平野の春景色を、トラックの荷台から眺めていた。
 私たちは、帯広から日高山脈の東側を南に延びる広尾線(当時の国鉄路線、現在は廃止)に乗り、豊似駅で降りた。予め、お願いしてあった農家の方のトラックに乗り、豊似川に沿って春の十勝平野を西に向かった。上豊似の林道が尽きる所まで送っていただき、山に入ったのだ。

                 *   *  *

  春の沢は、にぎやかな感じがする。
 夏の沢は、岩と沢水と、それを包む緑のモノトーンであるが、春の沢は、実に多様だ。残雪の間から、様々な形をした岩や中州が現われ、せせらぎには、リュウキンカが咲いている。中州に生えたシラカバの木は、白い幹と焦げ茶色の枝が対照的で、淡い新緑の葉が、チョウの群れのように羽ばたいている。   
 だが、見方によっては、沢の雑然とした汚さも目につく。
 谷に向かって崩れた小規模の雪崩の跡は、残雪を茶色くよごし、土砂が散乱している。冬の嵐で折られた木々の枝が、うす汚れたザラメ雪の中から現われる。ノウサギエゾシカなどの足跡が縦横無尽に走り、所々にかたまって糞がしてある。

 春の沢とは、こういうものかと改めて思う。
 純白の雪に覆われ、静かに包み隠されていた生物も無生物も、先を争うかのように一斉に、日の光を求めてはい出してくる感じだ。それらは、楽しげに遊んでいた幼児たちの、散らかし放題の玩具のようにも見えて、春の沢のバイタリティに富んだ風景にも思える。しかし、やや寛大な気持ちを失うと、だらしなく散らかしっぱなしの酒宴の後の光景にも見えてくる。
 沢は、確実に冬を乗り越え、力強く、その姿を変えようとしていた。

 

               *   *  *

 

 二股を豊似川の本流に入り、さらにトヨニ岳の南に延びる沢に向かって進むと、いつしか沢は雪で埋まり、沢水は残雪の下に伏流した。
 こんな感じの沢は、一番恐い。沢は、一面の雪で覆われているように見えるが、雪の下は雪解け水が激しく渦巻き、勢いよく流れていて、雪の橋が懸かっているからだ。
 雪の橋(スノーブリッジ)は、図のような構造をしている。

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雪渓は沢の三分の一くらい岸寄りを歩くと良いと言うが・・・

  沢の岸寄りも、うかつには歩けない。
 地熱で地面に接した部分の雪が解けて、空洞になっていることも多い。基本的には、雪の下の様子はわからないから、どこにも危険はあるのだが、沢の三分の一ぐらい岸寄りを歩くというのが原則だ。「スノーブリッジ」の一部に穴が開くようになると、沢や雪渓の上は歩かない方が無難だろう。

 

 上二股と名付けた場所の、左岸側にテントを張った。

 上二股は、沢が大きく南側に開けて日当たりが良いので、残雪はかなり解けていて、雪解け水が音を立てて流れている様子が直接見える部分もあった。
 明日のトヨニ岳登頂に向けて、夕食を済ませ、早々と眠りにつくことにした。
 今回の山行のメンバーは、リーダーのT君、サブリーダーのSさん、そして私の3人だけのパーティーなので、Sさん所有の二畳ほどの「ツエルト」で寝ることになった。狭いツエルトの中で、互い違いに寝ているので、反対側のSさんの寝返りのたびにT君も反応するし、それに応えて私も動くので、なかなか寝付けなかった。
 それに、沢の音が騒がしい。
 雪解け時期を迎えて、昼夜を問わず、沢水は激しく流れている。小石が流れの中で、ぶつかり合う音が聞こえる。

 山国育ちであった私は、小学校の修学旅行の折り、直江津の海の潮騒の音がうるさくて、なかなか寝付けなかった時のことを思い出していた。良く耳を澄ますと、岩石の小さな落差を落ちる水音が、ヒグマのうなり声のように聞こえたりする。「そんなはずは、無い」と想像を打ち消しながら、沢の音を聞いていた。

 翌朝は、私が係で、皆を起こす役目だったが、T君に起こされた。

 

                *  *  *

 

 上二股から本流の水線の切れ目付近までは、残雪の状態が良さそうなので、沢を詰めた。ここからは、急な沢筋をさけて、左岸側の斜面を登り、尾根に出た。

 そこで得た感触は、「帰路に、このルートは、下りられないだろうな」というものだった。雪の付いた日高の斜度が30°を越える斜面は、登るには登られるが、途中にブッシュの出ていない急斜面を下りるとなると、危険が大き過ぎる。

 トヨニ岳(1450m)のピークを極めた後、北東に延びる尾根をつたい、途中からは上二股に向かう尾根を使って、下降する計画に変えた。
 それでも、いくぶん傾斜が緩くなった程度で、ザラメ雪の急斜面は、滑りやすかった。
 まず、先頭を行くT君が、足を滑らした。すぐにピッケルを使い、よろめいた程度で済んだ。次に、Sさんが滑落した。すぐにピッケルを雪に打ち込んで、セーブをかけるが、なかなか止まらない。しばらく滑ったが、運良くダケカンバの木があり、その根元で止まった。事なきを得たが、Sさんは、高校時代も山岳部員だっただけに、ピッケルによる制動ではなく、タケカンバの根で止まったことに、ショックを受けたようだ。

 

 【編集後記】 タイトルのように、春山からの無事生還する話題の前半部分です。

 日高のトヨニ岳(3泊4日・停滞2日)へは、十勝側の豊似川沿いから入り、同様に十勝側の札楽古川沿いに下山しました。雪の春山の魅力もさることながら、十勝平野の穀倉地帯に、本格的な春が訪れてくる雄大な眺めと、豊かな実りを想像させる雰囲気には、とても感動しました。以下のような俳句を平成29年2月に詠みました。

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春の十勝平野