北海道での青春

紀行文を載せる予定

豊似岳からの生還(後半)

 注意深く下降しているつもりだが、ふたりが足を滑らしたので、ルートを変更しようとして、トラバースしていた時だ。斜面に対して垂直に下りるよりも、斜面を横切るようにしてトラバースする時の方が、危険である。今度は、私が、足を滑らして滑落した。

 私は、落ちた瞬間、どのように滑り落ちたというより、とにかく、体の向きを教科書通りに、無意識の内に変え、ピッケルを雪に打ち込んだ。そして、ピッケルの尖った部分に全体重をかけ、雪の中に金属部分をのめり込ませた。しかし、滑落していく速度は、一向に遅くならない。

 堅い氷雪であれば、金属部分は弾き返されるので、脇を締めて体重をかけなければいけないが、ザラメ雪なので、雪の上を線を描いていくだけで、空しく落下していく。いくら待っても、滑落スピードは衰えなかった。寧ろ、増していっているのかもしれない。

 右手で金属部分を、左手で柄の部分をにぎっていたが、身体からピッケルを離して、持ち上げた。この動作が、滑落していく私を見ていた二人には、制動することを諦めたかのように見えたようで、『諦めるなー、◆◇!諦めずに、がんばれー』と、上から大声で叫んでくれていたようである。だが、私は、呼びかけの声を聞いた記憶は、まったくない。

 今は、こんな風な表現をしているが、自分自身の記憶はほとんど残っていない。残雪を見たはずなのに、白いものを見たという記憶すらない。

 私は、必死になって、落ちていく自分と闘っていた。
 「ザラメ雪で、通常のピッケル制動をするのは不可能だから、柄の部分を雪の中に思い切って打ち込んで止めるしか方法がない」と、たぶん無意識の内に判断したのだと思う。
 そのために、上体を起こしてピッケルを体から離した動作が、上から見ていた二人には、滑落をピッケルを使って制動することを、私が諦めたかに見えたようだ。だが、生死を分ける場面で、人間、そう簡単に自分の命を放棄できるものではない。

 とにかく、確かな記憶は無いのだが、「天塩川の川下りで、オールを使って急流を漕いだ時のような・・・」感覚で、ピッケルを使って力強く漕いだ。すると、落ちていく自分のスピードが、急速に変化していくことがわかった。

 何かを考え判断したはずだが、覚えていない。雪を見たろうし、二人の声や雪面を滑る音も、物理的には耳に届いていたはずだが、これも記憶にない。だが、ピッケル制動の方法を変えたことで、「これは、止まるぞ」という感触を得た。

 一本のピッケルにすがりつくようにして、しがみついていると、止まった。最後に、雪の白さが見えたような気もする。
 そして、上の方を見上げてみると、SさんやT君のいる姿が見えた。二人の所からは、直線距離で70~80m近くあっただろうか。雪の斜面を降りて、近づいてきた二人の顔が、青ざめていた。青ざめなければならない私より、二人の方が、この現実をしっかりと見ていた証拠だった。

 

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生命を透くってくれたピッケルとともに(下山後)

 3人の滑落となると、このルートでも危ない。私たちは、ブッシュのある斜面に移動した。とにかく、可能な限り、安全なルートを選ぶしか方法はなかった。

 沢への最後の下りも難しかった。沢水の浸食により、ブッシュのない崖が発達しているからだ。どうにか荷物だけを先にロープで下ろし、空身になって降りることができた。

 その100mほど上流側である。
 『おい、あれを見てみろ』と、Sさんが言う。巨大クレパスが、雪の斜面側に大きな口を開けて構えていた。
 『◆◇があのまま滑落して行ったら、あの中に入っていたかもしれないな』と、Sさんが、けっこう真面目な顔をして言った。私は、何も答えずに、それを見ていたが、この時になって、ようやく恐怖心が湧いてきた。そして、生きているという事実に感謝するとともに、言うに言えない喜びを感じた。

 上二股のベースキャンプに戻った時、爽やかな液体が、全身を流れて行くようで、何もかもが新鮮で、好意的に感じられた。小さなツエルトまでが、私を迎えてくれるような気がした。新緑のシラカバは、乙女のような爽やかな澄んだ声で挨拶を交わしてくれる。
 沢の水音も、弦楽四重奏のようなメロディーに聞こえた。青空に浮かぶ真っ白な積雲は、和やかな感触を与えてくれた。

 私が生きていること・・・・・決して拾った生命ではなく、「生かされたのは、生きていく価値があるからで、これから自分として、しなければならない何かが、将来に残されているからだ」と感じた。そして、神というような大きな存在者から、生きていくことを命ぜられたような使命感を覚え、目標がなかなか見えてこなかった私だが、漠然としながらも、その方向が示されたような気がした。

 

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豊似岳(トヨニ)から楽古岳(ラッコ)への日高山脈稜線

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楽古岳を望む稜線にツエルトを張った(3泊目)

 【編集後記】 上の写真であるが、右手前の雪の窪みは、巣穴から出たヒグマ(あまり大きくはないようだが・・・)が雪の稜線を歩いて行った跡である。解けて変形しているので、何日かたっていると思われる。

 ところで、本文の最後で記したが、『私が生きていること・・・・・決して拾った生命ではなく、「生かされたのは、生きていく価値があるからで、これから自分として、しなければならない何かが、将来に残されているからだ」と感じた。』とあるような思いは、その後の人生(職業人・家庭人として)の中で、時々振り返ることがあった。