北海道での青春

紀行文を載せる予定

人と車と

 先輩のSさんが、口火を切った。
 『あのう・・・、ここから広尾までは、どのくらいありますか』と、顔の奥は喜びから完全に笑っているのに、眼鏡を指で押し上げながら、真面目な顔つきで、白々しい聞き方をする。

 それに答えて、『そうさなあ、相当あるわなあ。もうじぇっき終わるから、乗ってけやあ』と、日に焼けた少し恐そうなおじさんが言う。
 『やったあ!』と叫びたいのを、ぐっと堪えてから、『ありがとうございます。』そして、『よろしく、お願い致します』と、私たちは、口々に、どうしてもほころんでしまう顔に注意しながら、お礼を述べた。

 ここは、札楽古川(さつらっこがわ)の上流部、標高300m付近である。
 本流に、左右から5本の沢が集まってくる場所で、木材の集積地となっていた。
 ベースキャンプに2泊した後、野塚岳(1353m)と双子山(オムシャヌプリ)を越え、十勝岳(1457m)直下のコルで、3泊目を過ごした。今日は、楽古岳(1472m)の登頂を果たし、「楽古の肩」(楽古岳から東に延びる尾根)から、雪の残る尾根を降り、沢沿いにここまで来た。そして、木材の集積用の重機やトラックを見つけた。私たちは、乗せてもらうことを完全に期待して、トラックに近づいていったのだ。

 ここから広尾まで、12~13kmあることは知っている。もし、車に乗せてもらえなければ、途中でもう一泊して、街まで歩いて行くしか手段はなかった。しかし、期待通りに、Sさんの変な聞き方の背景を理解していただき、広尾の街まで乗せてもらえることになった。しばらく、邪魔にならないように、木材の積み出しの様子を見ていよう。

 

 こんなに多量の木材を、どのくらいの人々で運ぶのかと言うと、たったの4人である。その人数の少なさには驚く。人力に代わり、重機があるからという理由もあるが、採算を考えると、少人数精鋭でないと、林業も成り立たないらしい。
 キャタピラの付いた大型重機で、モミやトウヒ、カラマツ材などの根元に近い部分に、ワイヤーロープをかけて、引っ張る。
 直径は40cmぐらいで、長さは優に10mを越えている。半分にしたり、先端部分は既に切り落としたりしてあるので、元の木の高さは20m以上は、あったのかもしれない。それをクレーンで釣り上げて、運搬用のトラックに積む。
 Sさんの話しかけた人が、全体の責任者のようで、大声で指示を出し、一人がクレーン車に乗って操る木材を、二人が木遣りでバランスを取りながら、次々トラックの荷台へ誘導していく。素人目には、もっと積めるのにと思うが、これでも既に積載量オーバーだとのことである。何しろ、素人は木の重さを甘く見過ぎるという指摘であった。

 考えてみれば、引っ越しの時に経験するように、みかん箱一杯分の本は、ようやく持ち上げられるぐらい重い。その原材料が荷台に載るのだから、相当な重量になるはずである。

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キャタピラ付きの重機もあった(札楽古川の木材集積所)

 4人の内、3人がひとつのトラックに乗り、私たちのために、乗車席を空けてくれた。 『荷台で、木材と一緒でいいですから』と、私たちは本音で訴えたが、『乗れ!』という運転手さんの言葉には、逆らえなかった。言葉は荒っぽいが、親切な人なのだ。それに、うかつに逆らうと、『俺の言うことが聞けなきゃ、歩いてけ!』と、言われそうな雰囲気もあった。

 3人が乗ったトラックが、先に動きだした。何度もトラックが行き来して、大地は踏み固められているはずであるが、それでもタイヤはもぐる。木材を満載したトラックは、前後左右に揺れながら、静かに進んだ。

 札楽古川を横切る時の光景が、実に雄大だった。トラックは、沢水をかき分け、水しぶきを上げながら渡渉した。そして、対岸の林道に駆け上がると、毛の濡れた犬が身震いして水を振り切るように、力強いエンジンの振動で、乾いた道路に滝のように水をひたたれ落とした。

 さあ、私たちの乗ったトラックが、渉る番だ。
 激しい水音と川底の石を踏みにじる音も、さらに大きなエンジン音に消されて、聞こえない。地震のような大きな揺れを残して、林道に入った。ボンネットが高いので、期待したよりは迫力不足だったが、視線が大きく転回する中で、スリルを味わえた。

 未舗装の林道は、人家が現われる頃から、アスファルト舗装の道路に変わり、ようやく窮屈さから、少しは解放された。3人乗りの座席に、4人も乗っているからだ。それに、運転手さんに一番近い所に座っていた私は、激しい揺れの中でも、運転に支障がないようにと、しっかりと足を踏ん張っていたので、立っているより疲れた気がする。

                *  *  *

 ところが、舗装道路になって、別な不安も出てきた。
 私もおしゃべりな方だが、この運転手のおやじさんは、恐そうな顔つきや、ぶっきら棒なもの言いだが、もっと話好きである。しかも、運転中に、身振り手振りを交えて話をする。

 片手で、あちこちの風景を指さすぐらいは許せるが、こちらを向いて両手で形を示すような場面になると、視線を反らして、運転手さんの代わりに、私が前方の様子を見るようなこともあった。それだけ、道は空いていて、一直線の道路なのだが、これには閉口した。

 『まっすぐいきゃあ、駅だ!』おやじさんの声で、横を見ると、T君はうとうとしていたが、Sさんは、しっかりと寝ていた。おやじさんの話を聞いていたのは、どうやら私だけだったらしい。
 道路の端にトラックを止め、3人のリュックを荷台から下ろしてもらった。私たちは、心からお礼を述べ、おやじさんと材木を乗せたトラックに大きく手を振った 。おやじさんは、運転席の窓から片手を出して、ひょうきんにも、手を振ってくれた。
 トラックが見えなくなってから、歩き出した。
 振り返ると、空は水色から、やや黄緑を帯びた色に変わり、茜雲の下に日高山脈が見えていた。いつも思うことだが、振り返った時の山は、知人から見送られるような気がした。

 

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トヨニ岳から幌尻岳、遙か後方に石狩山地を望む(1974年3月)

 

 スケッチは、色あせても趣があるが、古い写真は、最新の写真と比べると見劣りがする。当時、写真記録への執念が少なかったのと、性能の悪いカメラで、カメラ自身が無かった時期もある。貴重な機会を逸したと思う。もう、北海道の山には、そう簡単には登れない。
 否、完全に不可能だと思う。貴重な記録写真のひとつだ。

 

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幌尻岳(2052mASL)《インターネットから》


【編集後記】 日高山脈の紀行文の初回では、「野塚トンネル」が完成し、ぜひ北海道へ行く機会があれば、訪れてみたいと述べた。反対に、私たちが木材運搬トラックで送っていただいた広尾駅は、もう無い。北海道の大自然は、今も変わらずに存在していると思うが、麓の街や人々の生活も大きく変わっただろうなあ。現に、私自身も、私の周辺の様子も大きく様変わりしているのだから。