北海道での青春

紀行文を載せる予定

動物の不思議な行動(前半)

 平成10年 3月22日(日) 午前11時30分頃、二階の自室で机に向かっていたが、カラスの鳴き声が気になって外を見た。我が家から見て南東の向山(むこうやま)と呼んでいる上空を、カラスの大群が旋回していた。その数、ざっと70~80羽。最初の群れは、クヌギやシイなどの大木の上に降り立ち、たちまち森を黒く埋め尽くした。さらに留まる場所を求めて、次々と群れが押しかけた。空には、カラスの群れが旋回していた。
 『おーい、大変だ。すぐに来い!』と、私は急いで家族を呼んだ。
 『お父さん、どうして、あんなにカラスが群がっているの?』と、娘たちは私に聞くが、わかるはずがない。5~6羽ぐらいが群れになって、夕陽や茜雲を追うように山のねぐらをめざして飛んでいく姿は前にも時々見たことはあるが、鳴き声にも余韻が残り、趣深い情景であった。しかし、こちらの光景は、支離滅裂である。烏合の衆という言葉を思い出していた。
 先に舞い降りたカラスが発するのか、それとも旋回しているカラスが発するのか、上や下への大騒ぎである。もとより、何の為に、カラスが集まり、カラスの言葉で何をわめき散らしているのかわかりようもない。さらに集まってきた群れと合わせ、100羽近くになった。真っ黒い軍団は、快く晴れた日の真昼とは言え、どこか不気味な光景であった。
 正午頃、ほぼ全部のカラスが森の上に降り立つと、いくぶん騒ぎが小さくなったような気がした。しばらくして、飛び立ち始めるカラスが現れた。
 残念なことに、ここで我が家の昼食時間となってしまい、観察は15分ほど中断した。自室に戻ってみると、最初に騒ぎに気づき始めたぐらいの規模になっていて、いくつかの群れは、既に飛び去っていた。いくぶん、東や北方面へ散って行く群れが多かったような気もするが、カラスは次々と木立を離れ、青空の中をあちこちへと散らばって行った。
 そして、午後1時には、春の陽光を浴びた向山の森は、何ごともなかったように、再び静まり返っていた。
 『何か、天変地異が起きる前触れなのだろうか?』
 そんなことを思った時、地震発生の前兆現象のことが閃いた。地震の発生に先立って、地下での何らかの微妙な変化を感じ取れるのか、野生生物の中には異常行動をとった例が報告されている。
 私はすぐに庭に出て、地表面に何か変わったことがないかと捜し回った。地下での微妙な変化だとすれば、カラスよりも地中に棲む動物の方が、敏感に反応する道理だ。しかし、特に変わった様子はなかった。

 

                 *  *  *

 数日して、望月少年自然の家で、所員にそんな話をしてみたが、一笑されてしまった。

 その時、ひとりK老人だけが、けげんそうな顔をして、『そういえば、一度、所に来たイワツバメが、いなくなりましたわなあ』と言う。まるで、日本沈没(小松左京・著)の中で、百一歳になる渡(わたり)老人が、毎年やって来るツバメが来ないことを不思議に思い、地球物理学者の田所(たどころ) 教授へたずねるシーンに似ているなあと思いながら、Kさんの話を聞いた。

 しばらく宿直がなくて、所に出てきた日の午後、例年のようにどこからかイワツバメがやって来て、巣作りを始めたかなと、昼下がりの陽光の中を飛び交うイワツバメの様子をしばらく眺めていたと言う。ところが、翌日の朝起きて外を見ると、昨日のイワツバメは、一匹残らず姿を消していた。
 『わしが、宿直をした日だから、3月22日の朝か、24日の朝にかけてのことだと思うのですがな』と言うのである。もし、3月22日の朝の出来事だとすれば、イワツバメの行動と、カラスのそれが連動していた可能性があるのではないか。とにかく、Kさんの情報から、カラスの集団行動について推理してみたが、そこまでだった。

             *   *  *

 すっかり、カラスやイワツバメのことを忘れていたが、さらに数日して、それらを思い出させる事件が起きた。3月31日の晩から降り始めた雪は、4月1日の未明には止んだが、時なら春の大雪となり、積雪は15cmにも達した。寒波が入り込んで雪にはなったが、いくぶん湿り気があったとみえて、木々に、びっちりと雪と氷が張り付いた。あちこちで、巨木の枝が折れる被害が出た。枝ばかりのカラマツにも氷雪が付き、みごとな樹氷だった。「雨氷」という現象である。カラマツの多い望月少年自然の家一帯は、朝日を浴びて、シャンデリアが一斉にともされたかのような感があった。

 

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雨氷がつぼみと枝を閉じこめた

 人の背丈ほどの高さのシラカバの枝を見ると、若芽は氷の中に閉じ込められて、透明樹脂で封印されたように異常な光沢を放っている。琥珀(こはく)の中の化石を見ているようである。「きれいだなあ」と見えるのはヒトの感傷で、氷の中に閉じ込められ、赤紫色に色づき始めた若芽は、必死なのだと思った。「寒くないのかなあ。」そんな同情の気持ちも湧いてきた。同時に、「氷の中は、どのくらい冷たいのだろうか?」という興味も出てきて、棒温度計を使って、数回に渡り測定してみることにした。すると、気温と氷の温度の差は、0.5℃ぐらいしかないことがわかった。私の抱いていた印象より、氷の中も、冷たくないのである。もっとも、原始的な測定方法なので信憑性も薄いが、「雨氷」は、溶けて落ちないだけで、気温にはかなり接近しているようである。

 一刻も早く、樹氷が解けないと、若芽が全滅してしまうのではないかと心配していたが、木々にとっては、ちょっとした試練ぐらいと受け止めていたのかもしれない。寧ろ、我々人間の方が、除雪作業に追われ、もっと大きな試練を味わった。

 そんな時、K老人の話が蘇ってきた。
イワツバメは、約一週間先に、大雪があることを察知し、再び暖かい地方へ戻っていたのではないだろうか」と、思いついたのである。
 4月2日には、樹氷は完全に解けた。そして、3日には、雪解け水があふれ、望月少年自然の家の未舗装道路を洗った。4日には、周囲の雪も消えた。大雪の後、それまでの冬の名残を完全に消し去るように、快晴の暖かい日が続いたのである。
 そして、辺りはすっかり春と感じた5日に、イワツバメは、制作中の巣に戻ってきた。

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燕の飛行

 

 イワツバメとカラス、何らかの関連があったのではないだろうか。そんなことを再び、考え始めていた。
 ここから先は、少し子ども向けの「おとぎ話」のような印象もあるが、一連のストーリーは、こんな感じになる。
 あるカラスが、夕暮れの空をぼんやりと眺めていると、少し前に南からやって来たイワツバメが、やって来た道筋を逆に、南に向かって帰っていった。
 カラスとて、どうしてイワツバメが帰っていくのかわからなかったので、隣のカラスに聞いてみた。すると、「何か困ったことでも起きるのかな」と、二羽のカラスは心配になって、もっと長老のカラスに聞いてみた。しかし、それでもわからない。
 そこで、各地の情報を集めてみようと、「カラス特別会議」を開くことになった。そんな訳で、3月22日の正午に、前山の向山に集まれという連絡が伝えられ、ほうぼうからカラスの群れが集まってきて、評定をしたのである。ちょうど、我が家の昼食時、佐久平のカラスたちが、森の木々に舞い降りて、ひとつの結論が出た。
 「しばらくは静観しよう。何か事件があるかもしれないから、注意して過ごすように」とでもいった合意内容に達し、カラスの群れは、それぞれのねぐらへ飛び去っていったとさ・・・・・・これでお話、おしまいということになる。

 

               *  *  *

 

 私は、この話は、かなり冗談で述べているつもりだが、その中でいくつかの疑問点については、科学性があるのではないかと思うのである。
 最初は、ややふざけた方からだが、カラスには「代議員制度」はないのだろうか。群れの代表が集まり話し合うという智恵はないにしろ、あれだけたくさんのカラスが集まって、口々にわめき散らしていたのでは、どのカラスが何を言っているのか、わかりようがない。まともな評定が行なわれたとは信じがたい。つまり、カラスにとって、皆が集まったこと自体に、大きな意味があったのではないかと思うのである。
 では、なぜか?
 その時、夏の夜の妙な光景が脳裏をかすめた。キャンプファイヤーのレクレーションのひとつに、「猛獣狩りに行こう」というゲームがある。司会が、『猛獣狩りに行こうよ』と言うと、群衆は同じ言葉を繰り返すのだ。そして、『猛獣なんか恐くない、槍(鉄砲)、持って行こう』と、動物狩りのための槍や鉄砲を掲げる動作や踊りも加わりながら、司会者の言葉を軽快なリズムの中で、鸚鵡(オウム)返しに繰り返す。すると、やっている方でも、見ている方でも、興奮してくる。それが、いつしか快く感じてくる。
 冷静に見ていると、原始民族の出陣の舞いか、まさに猛獣狩りに出かける前に勇気づけをする儀式のようにも見える。また、独裁政権下で、上手なアジテーターの先導で、民衆が洗脳されているような集会にも思えてくる。
 これだあ!
 私は、群れたカラスたちが、どんな心理になっていたか、わかったような気がしてきた。ヒトである私は、十分な観察耳がないので、まるで秩序なく、がなり立てるだけのカラスの鳴き声にしか聞こえなかったが、実際は、もう少し複雑な過程があったのではないか。 春の季節の到来を告げるイワツバメたちが、逆戻りして行ったことは、カラスにとって、何か異変が起きる前触れと映り、不安になった。それが、さらに困った状態(パニック)にまで拡大して、カラスたちは、群れの中で、最初は銘々に勝手なことを叫んでいた。
 しかし、その声の嵐の中で、しだいにひとつの有力なカラスの声(意見)が全体を席巻して始めていった。
 例えば、擬人法が許されるなら、『こういう現象は過去にもあった。安心するがいい。仲間がいるから大丈夫。恐くなんかないさ』というような上手なアジテーターが現れて、カラスたち烏合の衆は、口々に、この言葉を繰り返したのだ。そして、自分と同じ仲間がいて、皆が同調することに感動し、興奮の中で、いつしか不安は解消し、元気に生きる勇気が湧いてきた。
 つまり、群れという集団の力によって、パニックを克服することができたのではないか。まさに、最近の言い方をすると、カラスは、アイデンティティ(identity)を得て、群れの中や自然界における自分の居場所・生き甲斐・安心感を得て、青空に散って行ったのではないかとさえ、連想してみたという訳である。

 次に疑問に思うことは、なぜ正午をはさんで集まったかということだ。
 どんな内容の集会であったかは別にして、太陽が南中する時刻に、カラスが群れたというのは、意味があるように思う。偶然であったと言えばそれまでだが、野生生物にとって、もし集合時刻を指定するとしたら、南中時刻を選ぶのは最も簡単な方法のような気がする。ミツバチの「8の字ダンス」や伝書鳩の帰巣本能などの例を引くまでもないが、一部野生生物は、体内時計から期待される時刻と、移動後の太陽の方向から導き出される時刻のずれで、移動した方向を知るらしい。そして、めざす方向を決めるという。
 鳥類の中でも、最も賢いカラスだから、何らかの情報伝達手段で伝え合い、集まったら正午であったのではなく、正午ちょうどに集まったと考えるわけである。
 当然、場所も決めなくてはいけないはずだが、これ以上は、止めておこう。

 

               *  *  *

 

興味のない人にとって、どうでもいいことであろうが、ひとつ大きな問題点がある。
 それは、望月のイワツバメの現象と、前山のカラスの行動を関連付けて考えているが、もともと関連のないことであるかもしれないからだ。さらに、Kさんの記憶する3月22日か24日の朝の内、私は説明に都合の良い22日の方を採用しているが、24日の朝だとすれば、この関係はまったく逆になる。カラスが9日後の大雪を察知して騒いだのを、イワツバメが知って、7日前に南下したことになる。

 しかし、私は、気象の変化を敏感に感じ取れる能力は、ツバメ類のように渡りをする鳥の方が、カラスのように一年中同じ土地に住み着いている鳥(留鳥)よりも優れているように思う。しかも、繁殖地を決定する時期だけに、「南国の天候変化から判断して、日本の営巣地へ来たものの、予測より早く到着してしまった」ことに敏感に気づき、暖かい地方へ、一旦、舞い戻って行ったと考える方が自然である。

 だが、仮に望月のイワツバメではなく、佐久地方のツバメ類の行動を見て、前山(佐久地方全体)のカラスが反応したとしても、そう推理する根拠は、もともと乏しい。
 ここの前提が崩れてしまっては、元も子もない。
 第一、社会性の比較的強く、賢いカラスではあるが、群れたことは事実でも、何の為に群れたのかはわからない。既に、こんな分野に興味をもって研究している人から、聞いてみたいものである。私なりの奇想天外の想像をしてみたまでだが、「不思議な行動だなあ」と思うことしきりだった。
 

【編集後記】 山行や川下りなどの紀行文を載せる予定でスタートしましたが、後は、外国旅行ぐらいしか話題が無くなり、ついに、これまでの自然観察や文集めいた内容に変化していきそうです。

 まずは、望月少年自然の家勤務の頃の自然観察の話題からです。