北海道での青春

紀行文を載せる予定

巳年から午年へ

 卒業生は、辛巳年(かのと・み)年~壬午(みずのえ・うま)年生まれなので、癸巳(みずのと・み)年生まれの私とは、ちょうど四回り違います。そんな縁で、年齢にまつわる話です。

 「お年とり」という懐かしい響きのある言葉が、死語になりつつあります。
 年神様が各家々へおいでになる元旦を前に、大晦日の晩は、家族全員がひとつずつ年を重ねました。それで、『数え年ではとか、満年齢では・・・』という複雑な年齢計算が話題になります。11月生まれの私は、2ヶ月で更に年齢がひとつ増え、妹は反対で、2月の誕生日を迎える前に、1歳余計に多くなるからです。
 そして、年取りの魚は、お歳暮にいただいた鮭(サケ)でなく、我が家で調達した鰤(ブリ)を食べることにこだわります。一年間にあった出来事を家族で振り返りながら、年越しの夕餉を過ごしました。

 郷愁と小市民的幸せ観かもしれませんが、私は、家族を大切にした生き方がいいなと思っています。皆さんも、よく習って学び、心身を鍛え、家族や故郷を大切に、そして自分に少し余裕が出きてきたら、隣人や皆の為に、がんばれる人になって欲しいと願っています。

 卒業、おめでとう。
                              

 【忙中閑話】  「干支(えと)」の発想

 慣れてしまったせいもあるが、コンピューターを中心とした2進法と、数学や貨幣経済などを中心とした10進法は、合理性があると思う。しかし、「干支」は、少し不思議な気がする。

 干支(えと)は、10干(かん)と12支(し)の組み合わせである。
「甲・乙、丙・丁、戊・己、庚・辛、壬・癸」は、「木火土金水」のそれぞれの兄弟(2×5=10種類)の意味で、12支は、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の12種類からなる。これらを、順番に組み合わせて干支ができている。だから、10と12の最小公倍数が60なので、60年立つと、最初の組み合わせに戻る。それで「還暦」と言う。

 現代の長寿社会にあれば、60年という数字は、祖父母と孫の年齢差付近で落ち着き、ジェネレーション(generation)の2世代分(30年×2)のぐらいの間隔となって、妥当なスパン(期間)だと思う。もう少し昔なら、世代交代は50年(25年×2)ぐらいの間隔であったかもしれない。

 しかし、この不思議な60進法も、中国文化圏の影響を受けたアジア地域では広く知られていて、廃れた太陰暦(旧暦)より色濃く残っている。各回り年も、占いや迷信では困るが、人間味が感じられて、とても良い風習だと思う。

 ちなみに、祖父と私、祖母と妹(私の妻も)、父と私の長女、義母(妻の母)と私の二女(母とは59歳違い)が、ちょうど60歳違いで、偶然とは言え、なぜか60進法というものに意味があるように感じている。

 

 【編集後記】

 年齢の話題と言えば、私は、昭和・平成・令和の3つの元号の時代を生きてきて、今は進行中だが、元号の変わり目に興味を覚え、調べたことがある。以下のようだ。

①1868年(明治元年):慶応四年9/8(太陰暦)すなわち太陽暦1868年10/23を明治元年と改め、遡って、慶応4年の全てを明治元年としたので、13ヶ月・383日が、慶応元年となっている。

②1912年 明治45年7/29から大正元年7/30

③1926年 大正15年12/24から昭和元年12/25

④1989年 昭和64年1/7から平成元年1/8

⑤2019年 平成31年4/30から令和元年5/1

 ・・・・講演会の講師の方の中で、西暦を多様される方がいるが、私はどちらかと言うと、元号が好きで、こちらを使う。西暦を言われる度に、年号との関係(例えば西暦2000年が平成12年、または、1989年が平成元年)を思い出しながら換算しています。