北海道での青春

紀行文を載せる予定

母と歩く

 私が勤務していたことのある中学校の秋の夕暮れのこと、担当する同じ学年の女子生徒が、忘れ物を取りにきた。剣道大会で使う「和手ぬぐい」である。家で洗って試合に臨もうと思い、道場から教室に持ち帰ったところ、忘れてしまったらしい。職員室まで帰宅を知らせる連絡にきたので、職員玄関まで見送ることにした。

 妹と母親が待っていた。来年、中学へ入学してくる妹で、ミニバスケットをしていると聞いている。母親とも、簡単に挨拶をした。夕闇も迫ってきているので、車で送ってきたという。そんな三人が、並んで帰っていった。母親が中央に、姉妹が両側で、「山」の字のようにと表現すれば、見慣れた光景だが、少し違う。全員が短髪である。いくぶん妹の背丈が低く、女子生徒と母親は、ほぼ同身長である。闊達な母親の後ろ姿は、知らない人が見ると、娘より若々しく見えるかもしれない。それで、印象深く、記憶に残っていた。 

 最近、化粧や服装機能が優れてきたのか、娘と同じような雰囲気を保ち続ける母親が増えてきたように思う。背景には、苦労を伴う家事労働が軽減されたり、男性と共に能動的に働く女性の意気込みが、若さへの関心を高めたりしている結果なのだと思うが、長寿化社会に向かい、ゆっくりと老化していく必要にも迫られる。道徳性やモラルまでもが幼稚なままでは困るが、明らかに現代のひとつの傾向だと思う。

 

              *   *   *

 

 ところが、私の母親の世代となると、この辺の事情は一変する。
 自分の娘と一緒に歩いていて、関係を取り違えられる母親は、ほとんどいない。まして、息子となら、明らかに母と子に見える。
 実は、息子にとって、そんな母親と一緒に歩くというのは、様々な意味で、照れくさくて、嫌なものなのです。小学生の頃は平気であった男の子も、休日に母と連れ立って買い物に出かけ、ましてや、洋服売り場で、『お前には、これが似合うよ』などと、服を当てがわれると、赤面してしまうようになる。そして、中学の同級生に、『昨日、お母さんと一緒に歩いていただろ』と言われでもしたら、呪ってやりたい気持ちになります。

 野暮ったく、お節介な母親と一緒に歩くなどという発想をもたなくなるのが、青少年期の発達心理から言って、平均的だと思います。少なくとも私の場合は、そうでした。

 実際、良識ある母親のことは大好きで、毎日世話になっていて、感謝もしているはずなのに、なぜか、人前で一緒に歩く気持ちにはなれません。他人から「母子なんだ」と見られることに抵抗感を感じてしまう。きっと母子分離を完成させていく、男子の成長過程の現れなのかもしれません。

 

               *   *   *

 

 そんな私が、強烈な印象と共に、感動したことがあります。
 冬山に向けたランニング・トレーニングをしていて、公孫樹並木で、仲間と休んでいた時のことです。

 私も、まだ大学の教養部生でしたが、同年齢と思われる男子学生が、田舎から出てきたと思われる野暮ったい女性と話しながら、少し遠くを歩いていました。二人の会話は聞こえませんが、『母さん、これが僕の学んでいる校舎です。あちらが、馬術部の獣舎だよ』と説明しているらしい様子が、彼の仕草から想像できます。それに頷いている女性は、母親なんだろうなと思うと、急に、背筋に電流が走るような戦慄を覚えました。
 そして、『あいつ、すごいなあ』と感心しました。

 ♪母さんは夜なべをして手袋編んでくれた・・・・お父は土間で藁打ち仕事・・♪

 「母さんの歌」の歌詞のような時代ではないにせよ、田舎の両親が学費の工面をしている事に変わりはありません。その労苦に報いるように、勉学に励んでいるまじめな学生が母親を気遣い、大学構内巡りをしている光景は、心温まるものがありました。
 今の自分には、恥ずかしくて、できないが、将来、できるようになったら、次の段階の母子関係に進めるのかなと思いました。

 

              *   *   *

 

 ところで、わが家の趣味のひとつに、「散歩」があります。
 子どもたちの要望で、家内が友人から柴犬をもらってきてからは、犬も一緒の散歩となりました。「コロンバ・テリー」と名付けられた子犬は、大変な人気者で、誰が鎖を引いて歩くかを、家族で争いました。

 それから5年後、平成10年10月10日の早朝、「テリー」犬は子犬を出産しました。生まれた順番に、アース(♂)・シーザー(♂)・エル(♀)・ラブ(♀)と名付けられた4匹の兄弟姉妹犬たちが、庭で戯れる姿は、今でも脳裏に残っています。

 しばらくして、家内と友人、子どもたちの「ラブ」犬だけは残して、というやり取りがあって、避妊手術の必要のない雄犬だけが、もらわれていきました。
 それで、3匹となった犬たちは、わが家の西に母犬「テリー」、東に「ラブ」犬、北に「エル」犬を配することになりました。そして、散歩のたびに犬たちも駆り出され、「ラブ」犬は、子どもたちのジャンケンで争われ、「テリー」犬は家内が、人気薄の「エル」犬を、私が連れ歩くことになりました。

 しかし、「エル」犬は、別名「挙動不審犬」と呼ばれながらも優秀で、(動物の優秀さは、臆病・慎重と同義語らしい)訓練により、誰が呼んでも必ず戻ってくるようになったので、「エル」犬と他の犬を鎖で繋いで、よく山野に解き放しました。
 私の母は、犬の名前がわからずに、『これは、北の犬かい?』と尋ねますが、子どもたちは、『それはテリー。これが、ラブ』と、母に犬の特徴の説明と同時に、「ラブ犬」の自慢話をしていました。

 

                 *   *   *

 

 犬たちとの交流史は、わが家の家族小史とも重なり、推移していきました。
 現在は、16歳を迎える「エル」犬だけとなり、平日は、家内が散歩させていますが、休みの日には、私が連れ出します。そして、もう一人、「トレーニング」と称して、母を誘います。
 2年前から「脊柱管狭窄症(せきちゅうかん・きょうさくしょう)」を患い、それまで続けてきた畑仕事を止めました。足腰は大丈夫なのですが、背中を伸ばして歩けないので、杖や老人車を使います。
 それで、天候を選び、手押し車を付いた母と、「エル」犬を連れた私の散歩姿となります。人間の年齢に換算すれば、母の年以上になる「エル」犬は、元気に歩みます。母も、腕が疲れて途中で休みますが、大変元気で、良く語ります。昔話や近所の人の話、親戚の話・・・教科書や書物にはない独特な世界です。誰が、どう見ても母子ですし、腰の曲がった母の老い姿ですが、今の私には、少しも恥ずかしいということはありません。
 散歩の折、時々、幼い頃の思い出の光景が浮かびます。
 貞祥寺(ていしょうじ)の刻(午後6時)を知らせる梵鐘の音が聞こえると、野良仕事を終えて帰宅します。畑へ付いて行った私は、母の背負う「しょいかご」の中に入れてもらいました。籠から顔を出すと、「姉さん被り」の手ぬぐいが目の前にあって、石けんの臭いがしました。薬師堂(家の近くの寺院)の屋根の上の茜雲に向かって、烏もねぐらへと飛んでいきました。滝平二郎さんの「切り絵」のような風景なのですが、たぶん母の記憶にはないでしょう。


 幸せは一輪の花    幸せはひとすじの光    
 幸せはやさしい言葉  幸せは愛する人の笑顔   
 幸せは平凡な一日   幸せは楽しい思い出  
 幸せは近所の道    幸せは分かち合うこと  
 幸せは幸せと気づくこと        (谷 邦雄・詩)  

 『愛の詩集(飛鳥新社・詩・谷 邦雄/写真・市原織江)』からの引用です。人も小さな草花も、みんな共に支え合って生きている。そんな世界が幸せであると気づくことが、幸せなのだという解釈で良いのだと思いますが、『若い頃にはできなかった「母と歩く」という幸せに気づくことができるようになった私も、ようやく成熟してきたのかな』と感じるこの頃です。
                      平成26年 1月7日・記

 

f:id:otontoro:20200609111422j:plain

懐かしの風景を俳句にしてみました

【エピローグ】 近所の道の散歩の楽しみ
 上記は、平成25年度・A小学校PTA文集「みずくさ」に寄稿した文章です。
 赴任2年目は、自由投稿でしたが、文章を書くことに、そんなに抵抗を感じていない私なので、冬休み中に稿をまとめ、休み明け一番の提出で、係から褒められました。

 ところで、文章の中に出てきた我が家の散歩趣味ですが、私は安上がりでいいのと、
(自分の)子どもたちに「世の中には、お金を掛けなくても楽しめることがある」ということを知らせたいと願っています。仮に犬がいなくても、野山や田圃道を家族で歩きながら会話をしていると、楽しいことは、たくさんあります。外食で、ラーメンを食べに行く時に、お腹が空くようにと、家族4人で自転車のベタルを漕いで出かけるというような馬鹿なことも実践しました。

 私たちの子どもの頃は、農作業が家族労働であったので、必然的に家族の関わりがありました。しかし、休日には、ゆっくりと休みたいという労働者(父母)も増えたし、多忙な日課の子どもも出てきました。だから、家族サービスは、お金を掛けた特別なことというイメージも出てきました。でも、私は、谷邦雄さんの詩の「幸せは近所の道」という一節にも、共感します。
 そして、母の長寿を共に祝える人々がいることの幸せを、幸せだと感じています。