北海道での青春

紀行文を載せる予定

微化石から人類へ(原核から真核生物へ)

5.全球凍結の後、原核生物から真核生物への進化があった

 第四紀の氷河期は知られていますが、それとは桁外れの規模で地球全体が凍結して、雪だるま(snowball earth)になってしまった時代がありました。地表数千mが氷床で覆われ、海深1000mまでも凍結してしまいました。そんな時代が、今から22億年前・7億年前・6億年前の、少なくとも3回ありました。 

 

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全地球凍結のイメージ

 

 26億年前、マントル対流と大規模プルームの湧き起こりで、小大陸が作られました。そして、陸地の浸食で海に溶け出した物質で炭酸塩が固定されて、CO2が減ります。さらに、25億年前にはシアノバクテリアの作り出したO2で大気中のメタン(CH4)が無くなり、それまでの温室効果が薄れ、地球は寒冷化に向かいました。

 22億年前、全球凍結(平均気温-50℃)が起こり、多くの生物は絶滅しました。しかし、深海の熱水噴出孔や地下深部、火山や温泉の地下などで、わずかに生き残った生命はあったのでしょう。
 やがて、火山活動によってCO2が増えた温室効果で、平均気温は+50℃に転じます。こんな激変した環境でも、生き残った生物がありました。現在の酸素濃度の100分の1レベルとなった20億年前、画期的な生物進化がありました。それは、シアノバクテリアではなく、硫化水素を利用して生きる嫌気性バクテリアの進化でした。

 増えた酸素と言っても現在から見れば低濃度です。それでも嫌気性バクテリアは、酸素のある所では生きにくい生物です。

 このバクテリアの内、偶然、殻を作り酸素を利用して生きる(Tyoe-1)が進化し、他の生物を補食する動物のような生活をすることに成功しました。

 一方、酸素を避けて生活する(Type-2)もいて、Type-1の餌食になりました。その中で、いくつかが合体・複雑に進化して核に相当するものを保護したり、膜を強化したりするものへと進化します。(下図を参照)

 

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原核生物から真核生物への進化

 

 ある時、Type-1バクテリアが、Type-2バクテリアの体内に入り込んだまま、共に生きていくようになる事件が起きました。
 真核生物のように、核とミトコンドリア(場合によっては、クロロプラスト)の関係に似て、生命機能を分担する仕組みができます。つまり、異質のバクテリアが、本来は敵対者であり、寧ろ害を及ぼす存在が、役割分担・共生し、新しい生命を誕生させたことを意味します。(細胞内共生説)

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 この学説については、現在に生きる生物のエピソードが示唆を与えてくれます。

【Episode-1】シアノバクテリア硫化水素細菌が共生する

 ・河川デルタの「へどろ」の表面にシアノバクテリア(好気性細菌)が、泥の内部には硫化水素バクテリア(嫌気性細菌)が生息し、その境目付近で、シアノバクテリアが作り出した酸素を利用する硫化水素バクテリアが、盛んに活動している。

 ⇒Type-1バクテリアが存在できることを示唆する。(Lマーグュリス博士らの研究)

【Episode-2】 本来、害を与えていたバクテリアが、アメーバー体内で共生した

 ・アメーバ(単細胞の原生生物)の細胞内に、毒性をもつバクテリアが入り込んだ。
死ぬものが多い中、5年後まで生き残ったアメーバ体内からバクテリアを取り出すと、寧ろ弱ってしまった。バクテリアが、共生してタンパク質を供給していた。

 ⇒毒性バクテリアも生物細胞内で共生できることを示唆する。(Kジオン博士の研究)

 

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 今から22億年前の全球凍結事件の後、ほとんど無酸素状態から、現在の1%レベルの酸素濃度になりました。そして、真核生物が現れました。また、6億年前の全球凍結事件の後、酸素濃度は現在レベルにまで達し、多細胞生物の進化が起きました。全球凍結後の大気の酸素量変化と生物進化が、なぜか関連していたのかもしれません。

 

 

 【編集後記】

 本文で紹介した「原核生物から真核生物への進化」の図(手書き)は、NHK番組で、生物学者が解説している内容を、私なりに解釈してスケッチしたものなので、イメージとして理解してください。

 これから少しずつ話を進めていく「地球での生物進化のすばらしさ」には目を見張るものがあります。しかし、ひとつの細胞の中に『核膜のある核』と『ミトコンドリア』ができたという事件には、感動してしまいました。私が、この瞬間から始まった生命(いのち)の、本当に稀だった生き残り(子孫)であると思うと・・震えるほどの感激です。