① 月あかり 松に怯(おび)える 圏谷底(カールてい)
② 知床の 夏空たけく 朝の月
③ 山小屋の 煙を照らす 凍てし月
中秋の名月とは、旧暦(太陰太陽暦)8月15日の満月のことで、今の暦では、9月中旬頃になる。「月」を季語に挑戦するが、イメージが月並みで、自分でも感動しない。
強烈な印象に残る月はと考えていたら、北海道の山行中に見た月が浮かんできた。季節が、夏・秋・冬となるが、月三題としてみることにした。
【俳句-①】は、秋(9/30~10/6,1974)に日高山脈ペテガリ岳をめざし縦走中、圏谷の底で、テント泊した時に見た月を詠んだ。読み手が理解し難いことは毎度、承知してはいるが、説明が必要だろう。
ペテガリ岳(1736m)の北東斜面には3つの圏谷(カール)が残り、山頂側から北へABCと、名付けられている。私たちはCカール底にテントを設営した。そして、寝袋に入る前の小用をたしに外に出た。晴れて月明かりはするが、カール壁が高いので月は見えない。眼を凝らすと、ハイマツが揺れて、羆(ヒグマ)が隠れていそうで、身体が震えてしまう。冷たい夜風のせいもあるが、怯えている自分がいた。
月明かりの方向と時刻から、月の大きさは、半月以上の「上弦の月」のはずだ。
【俳句-②】は、夏(7/19~8/4・1975)の、ほぼ半月間に渡る知床半島の沢や尾根・海岸を巡る山行で、イダシュベツ川に泊り(C1)、本格的な沢旅が始まる朝、沢筋の間から眺めた白い月を詠んだ。
これから始まる長旅への期待と冒険心に満ちていた。振り返り、『危なかったな』との思いはあったが、当時の若者の目には、夏空に、たけく(逞しい)目標と映る月だった。
日常生活でも、下弦の白い月を目にすることは多い。太陽光がまだ弱い朝など、例外なく青空を背景に白さが際立つ。
ところで、月の専門家が写真を見れば、嘘と見破られるので、『夕方、南西の空に見えた上弦の月(三日月+α)の元画像を、左右逆転加工しました』と、真実を述べておきます。
【俳句-③】は、時期(1973~1978)は、いつだったのか特定できないが、場所は手稲山(1024m)の南西に位置し、日暮れ沢上流部にあった「奥手稲山の家」と呼ばれた山小屋付近で、何度も見た「寒月」の光景を思い出して詠んだ。
私たちのWV(ワンダーフォーゲル)部に管理が任されていて、積雪期の週末には小屋当番が入った。報酬もあり山スキーもできるので、立候補して何度も出かけた。
札幌冬季五輪大会の女子大回転コースまではバスで行き、そこから男子大回転(雪崩で進入禁止となる)コース横を抜け、針葉樹と雑木林を登り降りし、最後は雪原を西に下る。半日行程ほどだが、コンパスを使って地図が読めることが、入山の条件だ。
さて、小屋の管理人なので、水汲み・屋根の雪下ろし・ストーブ管理・清掃などの仕事はするが、それ以外は自由だ。月夜だったので、小屋の外に出てみた。
『寒月掛かれる針葉樹林』と大学の寮歌にも詠われているが、冬の満月は南中高度が高く、冴えて小さく見える。煙突から立ち上る煙に月光のスポットライトが当たり、幻想的な夜の静寂(しじま)を演出していた。
尚、小屋の燃料は石炭で、室内から外に出てみると、燃えた時の独特な匂いが漂い、郷愁を誘った。
【編集後記】
俳句の素人であるせいもあるが、ある場面を想像したり、作り出したりしての俳句作りはできない。自分で体験したことの中で、感動した場面を俳句にしようとしている。
今回の作品は、俳句―②「知床の夏の朝の月」の句が、仲間から一票の「いいね」をいただいた。私への少し、ご祝儀的、励ましの意味もあったのかもしれない。
それにつけても、いつも思うことだが、『松平定信の随筆ではないが、花と言えば桜、そして、月の季語が、なぜ秋だけなのか?』と、不満に感ずる。
『四季の中で、どの季節が一番好き?』と問われた時、私は、どの季節もそれぞれ好きで、決め兼ねるように、月はどの季節も、どんな天候にも、その時の心境を映してくれていいものだと、答えると思う。