北海道での青春

紀行文を載せる予定

郷愁の世界(睦月の句)

 ① 寒詣(かんもうで) 孫が手を引く 赤鳥居

 ② 氷下魚(こまい)かみ 遠き青春 熱き酒

 ③ 雪かきて 戻る家あり ありがたき

 

 信濃毎日新聞の「けさの一句」(土肥あき子)に、『しんしんと 雪は昭和の 闇を呼び (藤原日出)』の句が載り、中村草田男の「・・・・明治は遠くなりにけり」を思い出しながら、今月は「雪」や古き時代のノスタルジーに目を向けてみようかと思った。

 

 【俳句-①】は、正月に帰省した孫と家族全員で、近くの藥師堂へ初詣にでかけたことを詠んだ。正確には神社ではなく藥師如来だ。
 元の句は、『寒詣 曾孫に引かれ 鳥居まで』である。昨年の秋に親族で米寿を祝った母は、曾孫に引かれて初詣に行ったが、段差の大きい階段手前までで、その先には行けなかったというのが実際だったが、新年を寿ぐ句なら、元気あふれる方が良いと、私(爺)が手を引かれることに変更された。

 【写真】は、1年前の母と孫の後ろ姿だが、両者には90年近い年齢差がある。

 地層の不整合や断層を発見して、地質年代差に感動を覚えることの多い私だが、二人の後ろ姿にも、歩んできた道程(来し方)と、これから歩む未来(行く末)の対照に、しみじみと生命や歴史の不思議さを感ずる。

 

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人の歩みの一歩ずつ(一歳と米寿)

 

 【俳句-②】は、冬田道の散歩をしてきた後、入浴をして、熱燗の清酒を飲んだら、氷下魚(こまい)を噛んで酒を酌み交わして議論した学生時代のことを思い出したので、その郷愁を俳句にしてみた。
 氷下魚は、アイヌ語起源の「コマイ・カンカイ」と呼ばれる鱈(タラ)の類で、一夜干しが多い。私が、酒の肴にしたものは、干したものを焼いたが、とにかく堅い。飛び魚(あご)・鯣烏賊(するめいか)と同様、歯が丈夫でないと食せない。

 俳句会で披露したら、お酒の好きなMさんはご存じだったが、他の皆さんは『氷下魚って何?』と知らなかった。私自身、学生時代に北海道で、氷下魚に出会うまで、知らなかった。タラの干物は食べたことはあったが、少し味は違う。

 

 【俳句-③】は、小学生並の技巧と自認する俳句ではあるが、切実で飾らない、自分の今の境遇への感謝を詠んだ。
 私が体験した大雪経験の第1位は、ユートムラウシ温泉(十勝山系)の一晩で60cmだったが、定年退職する1ヶ月前、1晩と1日で積雪1mの貴重な体験をした。

 奇しくも、酒宴の為に校庭に車を残してきたので、二晩後に掘り起こしにやってきた時、貴重な体験なので、写真に納めた。写っている車は、ここまで家から乗ってきた車で、私の置いていった車は、この大雪の中から掘り出した。既に、地元の重機などを持っておられる方が、献身的な奉仕活動で、雪かきをしていただいてあった。まだ、あちこちでは、車も通れずにいる状況の中、我が家周辺やA小校区のような郡部の、大雪に対する特殊性を知った。

 私が詠んだ句で、「戻る家あり ありがたき」とは、借り家ではない自宅という意味だけに留まらず、我が家も含めた地域社会・故郷を守っていこうとする気持ちと、その体制である。

 発展性のない後進的で保守的な考えだとの批判も聞こえそうだが、守るべき自分や家族、もう少し大きな地域社会があり、自分が受け継ぎ、子孫へと伝えていくという気持ちを、ありがたいと、私は感じる。

 

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平成26年2月16日(ほぼ2日続いた大雪の明日)

 

【編集後記】

 私が生まれた年の夏は、日本国中が冷害で大変だったと聞く。ちょうど、40歳を迎えた夏も冷害で、夏休み中にストーブを焚いて勉強机に向かったことがあった。

 当時、学校給食では、週に1日、米飯の日があり、自宅から弁当箱に「ご飯(原則・白米)」を詰めてくることになっていた(地域によって差はあると思うが・・・)が、

お米を買って食べている生徒の家庭では、日本のお米が品不足となって、急遽、輸入した「インディカ米」をお弁当に詰めてきた。私は、「インディカ米」を食べたことがなかったので、おにぎりをひとつ、握ってきてもらって、食べたことがあったなあ。

 ところで、本文の中の平成26年の大雪といい、令和元年(2019年)秋の台風19号の洪水(280年近く前の戌の満水に匹敵か?)といい、自然現象でも気象に関しては、私がこれまで経験したことのないような異常気象が頻発している。

(これらは、私の直接体験の話題だが、報道される日本各地や外国の様子からも、気象の大幅変動や環境問題は、大きな心配材料になりつつある。)