北海道での青春

紀行文を載せる予定

春の訪れ(弥生の句)

 ① 浅間峰に 煙たなびく 春はやて

 ② 耕して なぜか思ひ出 浮かびくる

 ③ 散歩道 手のふれあひし ふきのとう

 

 春のお彼岸最終日の午後、平成28年度を締め括る句会があった。紆余曲折を経て、一年乗り切った。後で振り返って『良くないなあ』と思う句でも、できたばかりの瞬間は少しは感動するものだ。それが、今月の句は、その感動すら無い。思いと表現が一致していない。自分でも駄作と自覚している。それでも、成長の記録として留めておこう。 

 

 【俳句-①】は、春の疾風(春一番)を詠んだ。

 浅間火山が小規模水蒸気噴火を繰り返していて、散歩には常にカメラを持参していた。それで、浅間峰(あさまね)の俳句になったのだが、私が題材にしようと練っていたのは、雀の行動だった。

 冬越しの雀は群れを作り、電線に仲良く停まり、何かの合図をきっかけに地面に舞い落ちる。一斉に落ちるのが不思議でならない。スズメの学校の先生に続く行動なのかとさえ思う。

 はたまた、木の枝々にびっしりと群れて停まり、私が春颯を察知する直前に、羽音を響かせ飛び去る。『春疾風 つぶてとなりて 雀散る』と、Yさんが今月の句会で詠んで、「まさにこれ」と私の思いを代弁してくれたと思った。だが、雀が一斉行動するのは、近づいた人の動きに対する警戒なのではないかと思っている。身近な小鳥なのに近づけない。

f:id:otontoro:20200720094933j:plain

平成28年2月18日・噴煙が上がる

 

 【俳句-②】は、畑の「春ぶち」が始まり、小型耕耘機を動かしていると、止めどもなく、記憶に残る風景や人の言葉が浮かんでくることがあり、俳句にした。

 こればかりは、人にどう表現したら理解してもらえるか、その実際を伝えないと意味がないが、人の噂話とか嫌味な言動とか、不快な感情ではないのが幸いだ。特に、顕著なのは、ひとり草刈り機で単調な作業をしている時である。
 「無心となって座禅」と言うが、人間、脳は絶えず動いていて、何も考えないようにするのは無理がある。その点、パソコンを打ったり、車の運転をしたりしている時は、それ相応の情報処理をしているので、関連思考をしても脱線することは無い。それが、農作業では少し違う。別な脳の働きをしているのだろうか。

 

 【俳句-③】は、家内と散歩にでかけ、土手で蕗の薹(とう)を見つけ、二人で奪い合うように取り合いをしたら、相手の手に触れたという光景である。
 これが、作者の思いとは違い、会の皆さんは『夫婦仲睦ましく手を優しく握り、散歩道の蕗の薹を話題にしている』という風に解釈したらしい。そういう意味ならば、私は、『デート道 手の触れあいし 蕗のとう』とでもして、青春の頃の思い出の一齣(ひとこま)にすればよかったかもしれない。

 とにかく俳句は難しい。5月に初デビューして詠んだ、雀に巣を乗っ取られたことに「飛燕群」が抗議したことを俳句にしようとして苦しんだように、わずか17文字という字数制限の中で、自分の伝えたいことと、それを理解・共感できるように相手に伝わることとが、あまり大差が無く表現されなければならない。
来年度も何んとか続け、学んでいこうと思う。

 

f:id:otontoro:20200720101231j:plain

浅間火山の釜山を望む

 

 【編集後記】

   突然に、「浅間火山を一周してみよう」と思い立ち、自家用車で、群馬県側(東側から)を回り、鎌原(かんばら・北側)~鬼押し出し(軽井沢町)を経由して、写真撮影をしてきたことがある。

 富士山のようなきれいな円錐形(コニーデ)火山でも、見る方向で結構、山の形が違うものだが、浅間火山のように三重の火山形成史のある山体では、とても大きく変化する。まさに、表の顔と裏の顔を見るようで、興味深かった。

 上の二つの写真は、撮影場所が、約10km違うだけだが、だいぶ見え方が違う。どちらも、魅力的な山体だが、どうも毎日眺めている方が、安らぎを感じるものだ。