北海道での青春

紀行文を載せる予定

桜の季節(卯月の句)

① 幾歳(いくとせ)の 人を見聞きし 里桜
② 雨が抜け 層雲の中 山桜
③ 梵鐘を くぐりて仰ぐ 花藥師

 

 平成10年に佐久市有形文化財に指定された「倉沢薬師堂」が、我が家の近くにあり、5月の連休に地域を挙げて、ひと月遅れの「花祭り」を開催している。

 当会では、この行事に併せて奉燈俳句を作り、鐘楼(通称:鐘つき堂)の梁に額を掲げている。今月は、お昼を挟んで定例の句会と、その準備をした。私は、桜をテーマにしようと考えた。

 

 【俳句-①】は、薬師堂の境内にある桜の老木を見て、『さぞや多くの人々の参拝を見守っただろうなあ』という、山里の桜木を労うような気持ちで詠んだ。

 御堂の本体は、築後250年である。桜は、せいぜい100年ほどだと思うが、私の祖父や父から聞いた昔の祭りの賑わいや、私たち自身が子供の頃に体験した祭りの人混みも、大変なものだった。
 本来の花祭りである、お釈迦様の誕生日(4月8日)を中日(なかび)にして開催していて、週休日とならない年もあったにも関わらず、露天商も集まって賑わった。

 近隣の小中学校は、前日や当日を半日授業にしてくれた。年配者の中には、倉沢藥師のお祭りとして記憶されている方も多いようだ。古き良き時代の話である。

 ところが、佐久市全体の5月連休「佐久鯉祭り」に合併・吸収されてからは、極端に参拝者は減り、静かになった。私は、それでもいいが、毎年のように花を付けてきた桜木は、寂しがっているようにも思える。

 

【俳句-②】芽吹きの春の山は、紅葉の赤とはまた別な、薄紫色がかった赤に色付く。佐久地方では、淡い新緑が増えてくるのが、4月の里山だ。ここに霧雨が降り、靄(もや)を残して雨足が去っていった後、山桜や辛夷の花が、鮮やかな色彩で浮かび上がる景色を詠んだ。厳密には、山桜より辛夷の花の方が多いが、爽やかな白が眩い。

 

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山桜の花

 【俳句-③】は、「奉燈俳句」の額が飾られた梵鐘(鐘つき堂)の下をくぐって、目線を少し挙げれば展開する満開の桜の光景を詠んだ。私の初の奉燈俳句である。

 薬師堂本堂の両側には、ソメイヨシノシダレザクラが咲き乱れている。

 

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鐘楼の下・奉燈俳句の額(墨書は、高野玉峰氏による)

 

 【編集後記】

 平成28年度が終了し、平成29年度に入ります。4月は、心身ともに、正月の新年を迎えた喜びとは別な、「さあ、やるぞ」という気持ちになります。

 昨今、コロナ禍で、学校の休校が長引くにつれ、9月新学期の話題が挙がりましたが、どうもしっくりと受け入れることはできない感覚です。と言うのも、長年の慣習だからというせいもありますが、他の事情もあります。長野県の子どもたちにとって、あまり長くない夏休みより、ほとんど同日数の間の春休みを経て、動植物もみんな活気づいて、元気が出てくる春が、一年度のスタートにふさわしいと感ずるのではないかと思います。