北海道での青春

紀行文を載せる予定

菊三題(長月の句)

 ① 菊日和 三億年の 肺呼吸

 ② 野菊咲く 道踏み分けて 亡父(ちち)訪ぬ

 ③ 蒼天や 国旗はためき 菊薫る

 

 7月、8月と月をまたいで入院生活を送ったので、9月の句会は久し振りの参加であった。退院後も検査と治療は続いていたが、経過は比較的順調なので、俳句の創作は、新鮮に感じられた。9月は「菊」をテーマにしようと思う。

 

 【俳句-①】は、快晴の空の下、咲き誇る菊の香を吸い込もうと深呼吸をした時の感慨を、俳句にした。

 私は、奇しくも亡父と同じ年齢で、肺癌が発見された。摘出手術(この年の8月1日)が、かろうじて可能な限界段階だった。術後の経過に不安は残るが、生きていられることに感謝である。

 デボン紀末(約3億6000万年前)に、両生類より少し進化し、後の爬虫類へと繋がる「イクチオステガ」が水域から陸上に上がってきた。そして本格的な肺呼吸をした。

 私も深呼吸をすると、心臓から胸の辺がまだ少し痛い。肺の存在の有り難さに感謝しつつ、生物化(肺呼吸3億年)の歴史を意識しながら、菊の香を楽しんだ。

 

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イクチオステガの想像図

 

 【俳句-②】は、山の畑からの帰り、我が家の墓地に通ずる山道に白い野菊が咲いていて、お墓参りをしようと詠んだものである。この道を踏み分けていけば、墓地に通ずるが、実際には、墓参しなかった。

 9月が命日になるのは、家内の父・義父である。平成13年(2001年)9月11日、米国での同時多発テロ事件(9.11事件)のあった日の未明に、亡くなった。

 私の実父は、平成2年(1990年)10月12日で、10月だ。佐久を離れた勤務中で、死期が近づいていることは覚悟していた。危篤の知らせに自家用車で、長野市から急行した地蔵峠の山路では、こみ上げてくる涙で前が見えなくなって、何度も車を止めたほどだった。

 しかし、父との最期の言葉は交わせたが、泣きじゃくる妹に対して、なぜか私は冷静になって受け止めていた。遺体を病院から自宅に搬送し、お座敷で、父が祖母(その2年前に亡くなる)にしたような作法や守り刀等を用意して、安置した。そして、父の額に手を置いた時、『ああ、私には亡くなった父がいたな』としみじみと思った。

 ところで、「亡父訪ぬ」が、墓参を暗示する表現で奥ゆかしいと、先輩に評価された。ちなみに、この月の作だが、俳画は平成30年文化祭出品である。

 

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 【俳句-③】は、9月の祝日、「敬老の日」と「秋分の日」に日章旗を自宅の入口に掲揚したが、青空に映えて清々しい風景を詠んだ。季語は、「菊香る」であるが、私の強調したいのは寧ろ、日章旗(国旗)の方である。

 私たちの子供の頃は、どの家でも祝日に日章旗を掲げる習慣があったが、最近は極めて少ない。地域差もありそうである。我が家は既に三代に渡り、滞りなく『国旗を掲揚し、祝日の意義を考える』ことを実践している。 平成11年8月13日(公布・施行)の「国旗国歌法」成立以前からであり、絹製のもの、布製のもの、そして、今のポリエステル製のものと、国旗の素材は変わってきている。
 紅白の対照と「日の丸」の形の国旗は、美しいと思う。人気投票をすれば、自国の国旗を選ぶ人が多いとは思うが、私など、万国旗の中で世界一だと思っている。子や孫の時代には、かつての頃のようになって欲しいと思う。

 

 【編集後記】

  明日は、令和2年8月1日(朔日)となる。佐久地方では、春と秋のお彼岸や、お盆(盂蘭盆会)も大切にしているが、8月1日は、『お墓参り』と称して、家族でご先祖の墓地を参拝する伝統が続いている。

 誰も正確に、その起源を説明する人はいないが、一般的には、江戸時代・寛保2年(西暦1742年)の8月1日に、千曲川やその支流で大洪水となり、大きな被害が出た。その供養の為だと言われている。

 現代では、(太陰太陽暦から)新暦に換算して、8月26日頃から降り出した雨は、8月30日には激しい雨となって、土石流や洪水となって村を押し流したようだ。

旧暦では、8月1日に当たるという。 明日で、ちょうど278年前の出来事となる。

 今季は梅雨が長引き、「梅雨明け」は8月にまで持ち越されそうだが、明日の天気は、どうなることやら。今日の日中は、久しぶりに晴れているので、期待しています。