北海道での青春

紀行文を載せる予定

十月の風景

① 昔(いにしえ)の 秒刻聞こゆ 秋の雨

② 清しさや 乙女にも似た 山紅葉

③ 平成の 十月十日 牛蒡ごぼう引く 

 

 みゆき会10月の句会は、佐久市文化祭(「文化の日」前後で開催)に出品する俳画作品を、各自が自宅で製作してくることになり、午後からの始まりだった。

 今月は、自身のテーマのようなものは、特に設けなかった。

 

 【俳句-①】は、秋雨の降る雨音を聞きながら寝ていたら、私の忙しく働いていた頃(現役)の数々の光景が浮かぶような錯覚を覚え、それを詠んだ。

 俳句を床の中に居て、練ることがある。「もうすぐ起きよう」と思いながら、脳を回転させていると、神経が敏感になり、雨樋を伝わる雨音が聞こえてきた。さらに、枕元の目覚まし時計の秒針の規則正しい音も気になり出した。

 ところで、私が勤務中か、それとも自宅に居るかの違いは、靴下と腕時計の有無だ。帰ると、靴下を脱いで、腕時計を外した。逆に言えば、勤務の象徴が靴下を履き、時計を見ることだったかもしれない。時刻合わせをしていたので、常に1秒以内の誤差であった。
 『これで授業を終わります。あと3秒でチャイムが鳴るので待ちましょう』と宣言した後、みごとに鳴って喝采を浴びたことがある。私は神経質ではないが、中学生を相手にした時だけ、時と場に応じた服装と時間厳守には、うるさい先生だったと思う。

 職業柄、無理して繕っていた世界から解放され、自由な生活に戻れることを望んでいたのだろう。

 俳画のイメージは、幼少期の大昔(六十余年前)だが、俳句でいう「いにしえ」は、十数年前の昔(現職の頃)のことだった。

 

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薬師堂を見ながら帰宅する母子をイメージ

 

【俳句-②】は、里山の落葉広葉樹の紅葉が、これから更に美しくなっていく乙女の成長を楽しみに見守るような気持ちになって、感じたままの美を詠んだ。

 紅葉の景勝地や色づき初めを見ると美しいが、冷めた感性で分析的に見ると、紅葉は植物の老化現象であり、更けていく人の姿のようにも見える。風流の一瞬だけでなく、枯葉になるまでの過程を見届けると、違って見えてくる。

 ところが、俳句創作時の私の感性は、十分美しいのに、本当の美にこれから向かう乙女のように感じた。美の源泉は、「清々しさ」である。

 

 【俳句-③】は、時々ある先輩が、遊び心を発揮した句を出すのを真似てみた。
 毎朝味噌汁に入れる好物の具材の牛蒡だから育てているが、10月10日に牛蒡を抜いたわけではない。季語だから採用したわけだが、根を切らないように周囲を深く掘る配慮など、実際に体験しないと、その意味深さはわかりにくい。

 ひと昔前なら「体育の日」だったが、今では違って平日で、たまたま信濃毎日新聞休刊日に当たった。日記帳に貼り付けている「けさの一句」が届かないものだから、そのスペースを埋めようとして創作した俳句である。

 ちなみに、平成10年10月10日は、我が家の子犬たちの誕生日である。

 早朝(午前5時~6時半頃)出産の一部始終を観察した次女によれば、アース(♂)・シーザー(♂)・ラブ(♀)・エル(♀)の順番だったと言うことで、兄弟姉妹犬として育てた。

 雄(♂)犬たちは、家内の友人宅にもらわれて行き、雌(♀)犬2匹が、母親犬テリーと共に残った。実は、この4匹が庭でじゃれ合いながら遊んでいる様子を写した写真を撮ったと思うので、見つけてみたが発見できなかった。その姿は、想像できるとは思うが、本当に可愛くて記憶に残る光景だった。

 

 【編集後記】

 先日、あるテレビ番組で「年代別の幸福感のアンケート調査」の結果について、出演した方がコメントしていた。なぜなのか、青春時代の若者が、現状を幸福と感じないで、60代が一番幸福感を覚えるらしい。『60代で健康な人は、子育ても一段落し、大きなストレスもなく、その人の愉しみを体験できるのではないか・・・』と、コメントしていた。

 なんと私が、その60代である。手術から丸三年が経過したが、経過も順調で、幸い健康で、農作業に汗を流し、GEOLOGYにも興味を持って取り組んでいる。確かに、現状に、大きな不満や不平は、あまりない。

 しかし、個人的には安寧な生活を送りつつあるが、マスメディアやインターネットを通じて見聞きする情報から、一端の「幕末の尊皇志士」のつもりになって、国際社会の行く末や日本の将来について、心を痛め心配している。これから、どんな時代になっていくのだろうか?