北海道での青春

紀行文を載せる予定

抗癌剤の化学治療の中で

① 生きつづく 小春の庭に ほうき跡

② 冬田道 風のたよりか 孤雲ゆく

③ 障子から 目の出る孫の だだんだん

 

 11月20日に、みゆき会の定例句会が開かれた。私は、退院後にほぼ4週間周期で抗癌剤の化学治療していたが、影響は少なかった。ただ、好物のラーメンを治療後に食べても、その「おいしいはずの味」に感動が湧いてこないのが気になった。


 【俳句-①】は、自分の健康(命)が不安となり、その気持ちを俳句に詠んだ。
 せっかく庭掃除をしたかと思っても、木枯らしが吹いて枯葉が舞ってしまう。それでも私は掃き掃除をした。季節が変われば、草木は芽吹きと繁茂で、生命史を逞しく、生きて重ねていく。私も、この冬、乗り越えられるだろうか。

 ・・・性格的特性もあって、「生死」すら、それほど深刻に受け止めてはいないが、それでも額面は、『5年・生存率20%』の病状状況なので、少し気弱になった時には、上記のような心境になる。

(【写真】は、横浜の海に面した「三渓園」の入り口からの風景である。後述するが、私の好きな風景です。)

 

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横浜の三渓園・「原 富太郎 の求めた美の世界」


 【俳句-②】は、農閑期には日課となる散歩道の冬の田圃道を歩いていると、流れゆく孤雲が目に入り詠んだ。

 冬晴れの空に浮かぶ孤雲は、これから来る冬を報せる手紙のように感じた。初冬なので、暖かさを伴う長閑な風情というのと少し異なるが、「孤雲」については、思い入れがある。
 義父の篆刻の額に『孤雲独去閑』の堀りがあり、これが、唐の詩人・李白の有名な句からの引用で、『俺が死んだら、思い出してくれ』との生前からの口癖もあったので、「孤雲」は、義父の時世の句だと思っている。
 有名な辞世の句:「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ(細川ガラシャ)」ではないが、孤雲が独り去った後も、辺りは静のまま、長閑で穏やかな自然が残る。平和で、皆、仲良く元気で暮らしてくれという子孫への願いを込めた祈りのようにも理解している。
 【写真】は、直接関係ないが、娘の結婚式で訪れた、南半球・バリ島の海岸で見た積雲である。大きさは、日本の晴れ積雲より、遙かに大きいが、積乱雲とは違う。

 

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バリ島・ホテルの海岸から

 


 【俳句-③】は、孫が障子から顔を覗かせて、目だけを出してこちらを見て、『だだんだん』と叫んでいるという光景である。
 状況の面白さから言うと、障子紙に指を刺して穴を開け、その穴を通して孫の目が見えているというのも有りだが、さすがに子供でも、廊下の障子にいたずらして穴を開けたのを、私が厳しく謝らせた経験もあり、意図的に二度とはしなくなった。
 ちなみに、『だだんだん』は、「飛び出せアンパンマン(やなせたかし・著)」に登場する【写真】のようなロボットで、正義の味方の「アンパンマン」に対抗する「バイキンマン」や「ドキンチャン」の仲間である。『だだんだん』と叫んで攻撃してくるので、幼児はそれが気に入って真似ている。

 障子というと、すぐに影絵を思い出す。本格的に紙や道具を使ってやる場合もあるが、両手だけで、狐や鳶の影絵が作れて、そのあまりの巧みさに驚いたことも懐かしい。来年あたりは、孫たちに、そんな遊びも教えてやろうと思う。

 

 

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「飛び出せアンパンマン」から

 【編集後記】

 肺癌手術から三年が経ち、基本的には『5年間生存率20%』の範囲内ではあるが、かなり健康であることを自覚しているので、本音では不安もなく生きている。

 寧ろ、私の家内の過剰な心配に、感謝しつつもくどさを感じ、高齢の母や、娘たちの気遣いも重苦しい。しかし、贅沢な悩みで、ありがたいことである。

 

 特に、本文中に載せた「三溪園」の原富太郎の生き様を知って(文書による)、財力では、とても勝負はできないが、せめて「わび・さび」の志は、共感したいと思いました。

             *   *   *

 

 現在、お盆を前に、オリンピック開会式の為に予定した4連休から、帰省している娘と孫がいて、夏を信州で過ごす。孫の学童時期でないのが、救いか?