北海道での青春

紀行文を載せる予定

年越し三題(師走の句)

① 熱燗こだけに そだねと すまし顔

② 平成や 時勢を偲ぶ 除夜の鐘

③ スキー山行(たび) 世の果てまでも 青と白

 

 12月の句会は、忘年会を兼ねて佐久市岩村田の和食料亭で行なった。高齢者が多いので、深炬燵のようにして座れる形式の座敷は、ありがたかった。終了後、近くの鼻顔(はなづら)稲荷神社を参拝した。今月は、「年越し」をテーマにしてみた。

 

 【俳句-①】は、年越しの日本酒の量が少ないので、家内に増量を要求すると、今年の「流行語大賞」となった『そだねー』で、返してきたことを詠んだ。

 2018年2月の韓国・平昌(ピョンチャン)冬季五輪での日本人選手の活躍はめざましく、数々のドラマがあった。そのひとつは、カーリング女子の銅メダル獲得で、「ロコ・ソラーレ北見」チーム内の会話「そだねー」が、人気となった。特に、吉田知那美選手の屈託のない明るい笑顔対応を、日本国民は好んだようである。それは、北海道の方言だった。

 私も北海道には6年間住んだことがある。私が困って真剣な時に、『なーんもだ』と対応されると、最初は立腹したが、寧ろ、深刻に考えなくても解決策があるという希望を暗示する方言に、敬服するようになった。

 苦労の多かった北海道民は、我慢強いのだ。それで、吉田姉妹たちも、苦境にめげない声がけがを受け継いだのだろう。札幌では、「そっしょ」と省略言葉もあったので、「そだねー」は、その類型かもしれない。共感する日本人も、またいい。

 

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吉 田 智 邦 美 選手のスイープ前体制(インターネットから)


 【俳句-②】は、今上天皇天皇の在位を皇太子に譲り、平成の御代の年越しが最後となるので、平成30年間の出来事を思い出しながら、除夜の鐘を特別な思いで聞いたことを詠んだ。

 昭和64年(1989年)1月7日に昭和天皇がご逝去(崩御)され、1月8日から平成の御代が始まった。この年は、中国での天安門事件(6/4)やベルリンの壁崩壊(11/9)、マルタ会談(12/2~3)などがあり、東西冷戦体制からの転換点となった。そして今、不穏な動きで国際世界が、次の節目に向かおうとしている。 

 4月30日までは平成31年を名乗るが、振り返った時は、昭和64年と同じ扱いとなる。ちなみに、私はある程度、天皇陛下が健康な内の「御代替り」には、庶民的感覚から賛成である。

 

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浅草寺の除夜の鐘


【俳句-③】は、スキー板にシールを付けて雪の山や雪原を行く時、快晴の下では、白色と青色の2色だけの世界となり、限りなく続いている様を詠んだ。

 大学生の「年越し」は、1年生の時以外、全て下宿の一室で、独りで過ごした。仲間が冬山に入山する間、一部は遭難対策要員として札幌に待機した。雪山の年越しパーティーはなかったが、遠路帰省しても、すぐに戻ることになるので、帰らずにいた。

 その時、強烈な思い出がある。
 冬は石油ストーブの灯油は生命線なので、年末年始を見越して備蓄しておく。ところが飲み水がなかった。居酒屋で飲んで、遅く下宿に帰ってきたら、管理人のお爺さんが凍結防止の為、共同の水道の水を落とした後だった。喉の乾きに絶えられず、水を作ることにした。コッフェルに窓横のきれいな雪を入れ、ストーブで暖めると水ができた。しかし、良くみると、かなり煤塵があった。市街地の雪は、見かけより遙かに汚れていることを実体験した。

 ちなみに【写真】は、春の暑寒別岳山行でのスキー滑走の様子である。

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雨竜沼への下り(青と白の世界)

 

【編集後記】 昭和30年代後半は、変革期だった

  ある程度、若い世代の人には、何のことだか意味不明かも知れない。

 「年越し」と言えば、文字通り、年を越した翌日の元旦から、ひとつ年齢が増えた。これを「数え年」と言う。

 改めて調べてみると、中国をはじめとする歴史的な極東文化圏では、満年齢(実年齢)と数え年の両方を使っていた歴史がある。その文化的背景や、太陽太陰暦(陰暦)の影響や宗教的な理由については、省略するが、私の子どもの頃には、まだ存在していた。

 祖父母が、『いくつになっただい?』と尋ねるので、『本当は◆◆歳だけれど、数えで◇◇歳になる』などと応えていた。一歳違うのだと理解していたが、実際は、生まれた時期や、それを話題にする時で、最大2歳の違いができる、複雑なものらしい。

 日本の法律では、明治の末期に「満年齢に統一する」ように法制化している。しかし、人々が、それを使い続けているので、戦後の昭和25年(1950年1月1日)に、更なる法整備で一本化したようだ。

 だが、私の田舎では、私が小学生の頃まで(昭和30年代の後半)、年越しの晩には、上記のような遣り取りがあった。

 昭和から平成への御代替わり、平成から令和への御代替わりは、確かに大きな歴史的変換時期だと思う。しかし、昭和30年代後半(東京五輪は昭和39年)というのも、時代感覚としては大きな変革期だったような気がする。