北海道での青春

紀行文を載せる予定

梅三題(如月の句)

① 野良を待つ 爺じの里は 梅つぼみ

② 仏壇の 茶に添え西に 梅一輪

③ 梅ひらけ 萬天に向く たなごころ(掌)

 

 公民館主催の「区民の集い」という文化作品展示会があり、例年のように俳句作品で参加した。俳画製作の予定もあり、バレンタインデー・昼食会を設けた。
 今月は、「梅」をテーマにしてみようと思う。

 

 【俳句-①】は、佐久地方は寒冷地なので、降雪があると雪は日陰にしばらく残るが、今季は雪が少なくて、快晴の日が続くと、野良仕事再開を思うが、まだ梅は蕾であったことを詠んだ。

 人に様々な個性と魅力があるのと同じで、草花にもそれぞれの美しさがある。桜の花も魅力的だが、梅は古式ゆかしき趣があるような気がする。歴史的にも、代表的な桜・ソメイヨシノが江戸期に全国に拡散し、武士道と桜というイメージの形成前には、春の訪れを象徴する花は、梅の花であったようだ。

 佐久地方では、立春の後、光の春が徐々に進行し、梅の蕾から開花するのが3月下旬、そして、桜が4月中~下旬と、順番に咲いて、春が過ぎ行く。子どもの頃から、それを見てきたので、この順序性が好きだ。

 北の雪国、札幌の5月連休、梅と桜とライラックが同時に咲いていたのも懐かしいが、楽しみは少しずつにして欲しいと思ったものである。

 

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梅の蕾(つぼみ)

 

 【俳句-②】は、仏壇の花がなくて、「もったいないなあ」と思いつつ、蕾の付いた梅の枝を一輪、お茶に添えて供えたことを詠んだ。

 この句で私のこだわりは、お茶碗の横(左)に一輪差しを置いたのだが、これを「西に」としたことである。これによって、読み手に仏壇の方向を感じて欲しいと願った。

 実は、仏壇の位置は宗派によって違うらしい。一般に、仏様(先祖)が北に向くのは避ける傾向があるが、基本的に向きに決まりはない(日蓮宗)と言う。推奨する程度だが、南面北座説(南向き)は、曹洞宗臨済宗が、西方浄土説(東向き)は、浄土真宗・浄土宗・天台宗等だと言う。真言宗では、本山中心説と言って、本山(高野山)の方向に座して拝む。イスラムの聖地を向く考え方に似ている。

 我が家は、仏間の北西隅に仏壇があり、曹洞宗だが、それが普通のことのように思っていたが、そうでもないようだ。

 

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梅の開花

 

 【俳句-③】は、梅はまだ蕾ではあるが、これが開花すると、幼子の手のひらのような可愛い花弁を四方八方に広げて、青空を背に映える様子を想像して詠んだ。

 梅も桜も開花した花の様子は似ているが、なぜか、満開の桜がぼんやりと春霞みに似合うが、梅はすっきりと見える。その原因は、花の密集度合いの差によるのではないか。梅の方が、ひとつひとつの花が独立し、私が、たなごころ(掌)と表現したように形が明らかに見える。梅は、花を楽しんだ後も、梅漬け用の青梅の収穫時期に、もう一度注目される。

 ところで、「区民の集い」の出品作品には、この句を選んだ。俳画は、春の小川をイメージして添えた。

 

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区民の集いへ出品した春の小川

 

【編集後記】

 現在は、令和2年の9月である。明日は、みゆき会の月例の句会がある日で、数日前から練ってきた俳句を、今朝の未明に練り直し、なんとかまとめ上げた。会に入った1~2年目の頃は、なかなか俳句が作れなくて、出発の30分前頃までかかったことがある。

 最近は、数日から一週間は前から候補作を作り、第2次案・第3次案ぐらいを経て、少なくとも一日ぐらい前にはできている。季語選びは、机やパソコンに向かうが、創作活動はもっぱら、布団の中で、寝ているのだか起きているのだか、わからないような状態で、思いついたら枕元のメモ用紙に書き留めている。時々は「酔拳(すいけん)」になることもあるが、多くは「睡拳」の方である。
 天気予報では、明日は再び猛暑が戻ると言うが、晴れていることが嬉しい限りである。