北海道での青春

紀行文を載せる予定

春三題(弥生の句)

① 御代替り 憂ふ世界ぞ 春動く

② 春一番 声かけられて 女学生

③ 春を呼ぶ やまとなでしこ 世界新     《春三題》

 

 平成30年度最後の「みゆき会」が3月15日にあった。全員参加で、記念撮影をすることができた。今月のテーマは「春」としたが、俳句の中に国際政治への思い入れが、第1句に強く表れた。来年度もがんばっていこう。

 

 【俳句-①】は、日本国では平成から次の元号に替わることで、おめでたい春を経て、5月1日(御代替り)を迎えるが、国際情勢を眺めれば、憂うことばかりであり、今年の春が、私たちの知らない所で、大きく動いていることを、詠んだ。

 会員Sさんは、「憂う世界」を皇后美智子様雅子様、または先代と比べると解釈したようだが、まったく違う。私の憂う対象は国際政治と混乱した世界情勢である。

 米国と中国の貿易摩擦問題は、中国の隠しきれない不動産・金融バブル崩壊の危機を顕在化し、既に企業倒産や労働者の大量解雇に現れた。
 携帯電話業界不振は、韓国経済の要サムスン電子を揺るがした。その隣国は、自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射問題・日韓基本条約(昭和40年)の違反や、慰安婦問題日韓合意(平成27年)の破棄、さらには徴用工訴訟問題など、でたらめな国際外交をしている。

 欧州では英国のEU離脱交渉が進まない。依然として続くイスラム世界の紛争に、南米ベネズエラ問題が加わった。移民・難民の流入問題は、世界全体に広がり、日本にも実質的影響を与え始めている。

 家内は、人のことより我が家の老後経済を考えてと嗜まれるが、どちらも机上の議論ばかりで、なすすべもない。

 

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動く春(地球はどこに向かうのか)

 

 【俳句-②】は、8年目の命日を迎えた3.11の日、春の嵐の中を散歩中に、女子学生から爽やかな挨拶を受けたことを詠んだ。北風の強い日だった。向かい風の私と、追い風の少女が、道の左右ですれ違いざまに、互いの視線が合って、挨拶をしただけの出来事だが、好意的に感じられた笑顔が印象的で、嫌なことを忘れさせてくれる思いがした。

 ちょうど、18歳の時、ある私立大学受験で、受験番号がひとつ違いで、隣の席に座った女子高校生に似ていたような気もする。帰りの総武線の電車で、別れてから半世紀近く経つ。国民的アイドル芦田愛菜さんに似ていたかな?

 

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国勢調査2020・キャンペーンポスター

 

【俳句-③】は、日本女子選手の活躍が顕著であり、胸の透く思いをさせてくれることを詠んだ。直接的にはスピードスケートの高木美帆選手が、1500mで世界新記録を出したことを話題にしたが、テニス・フィギアスケート・バドミントン・卓球・水泳など、様々な所で大活躍である。

 私が高木姉妹のファンになったのは、平昌五輪(2018年)パシュートの優勝インタビューで、ふたりが『今、食べたいものは、カボチャコロッケです』と答えたことがきっかけである。

 性格の違う姉妹ではあるが、母の手作りの故郷の食べ物を最高と意識する感覚に、感動したからだ。誰が食べてもおいしいものはある。新鮮で、貴重で、高価でと条件があるが、身近な食材の中に良さを知る人が好きだ。

 

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高木美帆1500m

 

【編集後記】

 【俳句―①】を詠んだ平成31年春(3月)から、既に1年半が経つ。同じ年の5月から、令和元年と元号が替わり、今は、令和2年の秋となっている。

 この間、新型コロナウイルス感染症の世界的流行(パンデミック)によるコロナ禍が治まらずに、東京オリンピックパラリンピックが延期されたことは、私たち日本国民にとって予定外の展開となり、経済的な将来への不安が増し、先の見通しが立てにくくなっている。

 『上見て暮らすな、下見て暮らせ』という表現は、あまり好きな考え方ではないが、それでも、私たちは氷河期を生き残り、戦後の敗戦と困窮から復興を経てきた人々の子孫だという誇りをもって乗り切っていきたいと思う。

 この時、ふと教訓的な体験を思い出すことがある。

 私は、赴任した初任地が温泉地帯だったこともあり、朝シャンを兼ねて入浴してから出勤していた。以来、夜は入浴しないで、朝風呂に入ることが多くなった。

 冬の朝は、大変である。忙しいので、湧かしながら風呂に入る。当然のことながら、時には、「水風呂」に入る羽目になった。冷たいが、じっと我慢していると、湯の沸き出し方向から暖かさが伝わってきて、「ありがたい」と感じる。

 ところが、しばらくしてかき混ぜると、今度は冷水塊を「冷たいなあ」と不満感情でとらえるようになる。明らかに、全体の水温は上がっているのに、水温に格差ができると、冷たさを嘆くのである。

 この時、いつも思うことは、皆が貧しければ、自分の貧しさ(苦労)を憂えない。

 しかし、物理的には豊かになってきているのに、格差ができてくると、自分の劣勢を嘆くようになる。どこかで、「足りることを知る」感覚が必要なのだと思う。

 幸い、私たちの世代は、日本が貧しかった時代(子どもの頃)を知っている。孫や娘たちに、『昔は・・・贅沢が過ぎる』などと言っては嫌われている。

 これからも、物理的・精神的に豊かで平和な社会の存続を望んでいるが、多少の不便や苦労にも耐えられる感性と、対処できる適応力は身につけておかねばと思う。

 

 これで、平成30年度版が終了し、次回から、令和元年度版に入ります。