北海道での青春

紀行文を載せる予定

四月風景三題(卯月の句)

① 春選挙 あまた人見し 立会人

② 末の子が 自転車乗ってる チューリップ

③ 細石(さざれいし) 囲みし母の すみれ草

 

 倉沢薬師堂花祭りに掲げる奉燈俳句の額を準備する為、午前中から集まった。

 例年、4月の俳句の中から一句を選んで奉燈俳句にしていたが、5月に奉納するので初夏をイメージして、奉燈俳句を創作する人が多かった。みゆき会としては、今年の俳画は菖蒲(アヤメ)にしようと決めた。

 それで、私も「御代替り」もあるので、奉燈句は、それに因んで俳句を詠んでみることにした。
 尚、今月の俳句は、四月の日常生活の中で、体験して気づいた印象的な場面を俳句にしてみた。

 

 【俳句-①】は、4月統一選挙(長野県議会議員)期日前投票の立会人を、2日務めた時のことを詠んだ。ただし、『あまた人見し』だけの表現だから、感動の中身は、読み手の洞察力と想像力に期待するしかないだろう。

 私は長年、教員をしてきたので、主に中学生と、その保護者らの人となりを見聞きしてきた経験は豊富である。ただ、教師という立場や学校という特別な世界に限られていた。

 それが、選挙立会人というフリーな立場から、社会的立場、経済力、健康状態、立ち居振る舞い等、現実社会に私と共に生きている本当に様々な人々の有り様があって、それを垣間見たような気がした。少し上から目線になっている自分であることを恥じたが、同情したり共感したり、教えられたりする貴重な体験をした。その具体的な内容については、俳句表現では無理だろうと思うが、多くの人々の生き様に感動した。

 

 【俳句-②】 は、隣家Mさんの末娘が自転車に乗れる年齢になっていることに驚いて、詠んだ。
 元気よく挨拶する、活発な子である。自宅からの急坂は、自転車に乗らずに付いていき、坂の下から乗り出していく様子を目撃した。

 子供の成長は早い。その子は幼い印象があったが、この4月から小学3年生となり、自転車乗りが許可されたのだろうか。兄たちの乗ったお下がり自転車であるらしいが、ヘルメットは真新しい。親の言いつけや学校のルールを守り、安全運転をしている。

 我々の子供の頃は、子供用自転車は買ってもらえずに苦労はしたが、乗れる者は何歳でも乗り出した。今は、概ね小学3年生からと決まっているようだ。その少女の新学期から小学3年生となったフレッシュさには、赤いチューリップの姿が良く似合う。

 

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新学期のイメージがある花

 

 【俳句-③】は、我が家の露地の外れに、細石(目印になる程度の大きさ)に囲まれて、菫の花が咲いていた様子を詠んだ。群生している所から、種子がこぼれたのか、二株の菫の花が咲いていた。通り道近くにあるので、踏まれないようにと、母が石で囲っておいたらしい。

 夏目漱石の『菫程な小さき人に生まれたし』のように、知らずに踏んでしまいそうな地味な花である。それでいて、『山路来て何やらゆかしすみれ草(松尾芭蕉)』のように、気品のある花でもある。

 花好きな母が、自分も含めて、家族の者が踏まないようにと、小さな生命を石で囲ってあったことを目撃し、感動した。

 

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小さなスミレの株

 

 【編集後記】

 【俳句―①】で話題にした「選挙の立会人」について、話題にしたい。

  私の「選挙期日前立会人」は、市の広報に募集があったので、『どうせ、暇な時期だし、お小遣いにもなるかな』という軽い気持ちで応募したら、採用されたので職務を果たすことになった。しかし、俳句の説明で述べたように、投票に訪れる様々な年齢、社会的・経済的背景を背負った人々、立ち居振る舞いの多様性等々、本当に社会の縮図を見るようで、世間の狭い私にとって、社会勉強の機会になった、

 ところで、ふとしたことから、私の母が、大昔、選挙の立会人を務めたことがあることを知った。最初は、6月の選挙で、私の祖母が、『大切な場所だから、新しい着物を着ていけ』と、布地を買ってこさせ、自分で縫って、それを着ていったそうだ。二度目は、冬で、羽織を新調したという。

 明治生まれの祖母は、選挙の立会人という立場を、かなり権威のある公式の立場と意識して、母にもそれを強要したのだと思う。それだけ、日本の民主主義政治と選挙が、戦後の日本で、うやうやしく受け止められていた証拠なのだと思う。

 それに比べ、昨今のそれは、ややアルバイト的要素があって、同時に選挙という重みについても、有権者が安易に受け止めているような嫌いがある。

 現代でも、選挙結果に不正投票がまかり通るような国もあるようで、平和な日本は、もっと投票行為の有り難さを感得すると共に、政治的判断力も磨いて将来を見据えた意志表示の場としての意義を、理解したいものである。