北海道での青春

紀行文を載せる予定

お盆三題(葉月の句)

 ① 茄子の牛 孫と作りて 先祖(みな)迎ふ

 ② 殖えた子の 気配に微笑む 田舎盆

 ③ 送り火の 明日は二学期 おらが頃    《お盆三題》

 

 今年の梅雨は遅くまで長引き、特に関東甲信・東北の太平洋側での日照時間が、平年の半分以下となる地域が多かった。佐久地方でも、七月下旬になってようやく梅雨が明けた。お墓参り(八月朔日)の後は、次々と台風がやってきた。

 お盆になっても、一向に秋風は吹かずに、残暑厳しい八月となった。今月は、お盆の風物詩をテーマに俳句を創作してみた。

 

 【俳句-①】は、お盆に帰省した長女の子(孫)に、伝統文化を伝えようと思い、茄子の牛と胡瓜の馬を、孫と一緒に作り、先祖供養をしたことを詠んだ。

 私の亡父と長女は、生まれ年が五回り(60年))離れた牛年である。特に、父の好物が茄子だったので、茄子の牛から最初『父迎ふ』とした。しかし、私の父方・母方の数代前までの人々の位牌を、特設の仏壇に並べて供養していることに気づき、多くの先祖を『みな』と読ませて、皆さんを迎える意味を込めてみた。

 自身が茄子の牛などを作った記憶は、祖父とだった。父の代になった頃は、帰省はしたが、お盆の準備を整える花市(8月12日)に家を空けていることが多かったからだ。
 昔は、トウモロコシのひげ(めしべ)を短くして尻尾を付け、より「リアリティー」を高めた。『ご先祖様は、馬や牛の背に乗って来る』との説明は、『先祖の霊は、迎え火の煙に乗って天から飛んで来る』との説明に矛盾すると思っていた。私は、地上では牛馬に乗るのだと考え、玩具の自動車を飾ったこともあった。(ミニカーの時代では無かったが・・・)

 大人になって思うに、野菜で作った牛馬は、農作業を共にしてきた家畜の位牌に相当するのではないかと推理する。

 筆供養や針供養をして、無生物に対しても慈しむ心がある日本人なら、まして農作業などで苦楽を共にした家畜を、人間と一緒に供養する気持ちにもなるのではないか?

 

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茄子の牛・胡瓜の馬

 

 【俳句-②】は、お盆の頃、村の中を歩いてみると、聞こえてくる様々な声から、普段と違う人々がいる気配がわかる様を詠んだ。

 『怠け者の節句働き』と言う諺がある。今や実際に言う人はいないが、お盆中は農作業の替わりに、少し長めに散歩をしてみた。普段と違うことを発見する。

 県外ナンバーの自動車が駐めてある。きっと戸主の弟や姉妹が、子供を連れて帰省しているのだろう。私と年齢が近い人だと、小中学生だった頃の顔が浮かぶ。
 老夫婦だけのお宅に、子供の声がする。息子や娘さん夫婦が子供を連れて来たんだ。孫と老人の笑い声も聞こえてくる。私が子供の頃の昭和30~40年代の田舎の様子を思い出す。まさしく、殖えた子で騒々しいが、活気と笑い(時には泣き声)がある人々の気配を想像して、微笑んでしまう。

 ちなみに、俳句仲間のSさんは、『殖えた』という部分が気になるようで、『意味はわかるが、どうも引っかかる』という指摘であった。私は、戦中・戦後の「生めや殖やせや」のイメージで、子供らが村にも町にも溢れ、そして兄弟姉妹が何人もいた時代の貧しくはあったが、逞しく活気のあった世情を彷彿させる意味を強調させたかった。

 

 

 【俳句-③】は、かつての長野県下の短い夏休みの終わる寂しさを思い出させる送り盆の夜の気持ちを詠んでみた。

 8月16日の翌日から、二学期が始まった。

 先祖の霊を見送り、送り火の明かりが消える。明日からの勉強の日々を想像すると、自由で楽しかった夏休み中の「慣性の法則」は、なかなか断ち切れそうもない。

 しかし、一日行くと学校は楽しくなる。そして、テレビニュースで9月1日の都会の子の学校が始まった様子を見て、自分たちより、もっと大きな辛さとギャップを背負った登校かと思うと、羨ましさより気の毒に思ったものだ。

 

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盆飾り(先祖の位牌を並べる)

【編集後記】

  本文の【俳句―③】での学校の二学期が、お盆明けから始まるという話題は、今年(令和2年)の夏なら、全国の児童・生徒が味わった体験だろう。コロナ禍で、一学期の授業日数が十分に確保されず、各学校や教育委員会では、様々な授業時間数の試算をして、登校日を決めたことかと思う。

 それにつけても、私感だが、「世界の教育事情に合わせて、9月を新学期にしよう」等という話題と試みが、消えてくれたことはありがたい。日本では、どうしたって、新学期は、春4月ですよ。

                 * * *

 

 ところで、韓国では、「秋夕(チュソク)」と言って、旧暦の8月15日、謂わば中秋の名月の頃、先祖の霊を祭り、お墓参りをする「お盆」行事が行なわれているようだ。

 韓国は、政権が変わったり、何か事件があったりすると、旧来のものを捨てたり破壊したりして、古いものが残っていないことがある。例えば、漢字を捨てた、寺や仏像を破壊した、日本統治下の建物を壊した等・・・それなにに、旧暦の盆が残っているのが不思議である。(多分、先祖を敬う儒教的思想が強かったからだと推測する。)

 日本でも、私の子どもの頃は、節句を旧暦で祝った。雛祭りは、四月初めに、端午の節句は、六月に・・・ほぼ一ヶ月遅れであった。節分(2月3日)明けから、春というのは、関西や九州など暖かな人々は、そう感じるが、信州を始め北国では、まだ冬である。

 その意味で、特に雛祭りが、ひと月遅れの4月に挙行されるのは、信州の自然環境に良く合っていた。しかし、いつの頃からか、『お握り・おむすびが、全て三角形になっていった』のと呼応するように、「月遅れの」という話題はすっかり消えていった。