① 氏神に 柏手ふたつ 淑気満つ
② 薄化粧 令和二年の 初浅間
③ 初晴や 群れて祝賀の 鳶の舞い
1月の題材は、令和2年元旦に孫らを伴い家族で、菩提寺や氏神様などを初詣した時、正月らしい印象的な場面に遭遇したので、それらの体験を俳句にしてみることにした。題して、元旦三題である。
【俳句-①】は、氏神様の社(やしろ)に初詣し、柏手を打った時の厳かで清浄な雰囲気に感動して詠んだ。
私の住む佐久市前山地籍には、戦国時代に、佐久郡(ごおり)へ侵攻した甲斐の武田信玄によって滅ぼされた伴野貞祥(ともの・ていしょう)の居城「前山城(伴野城)」がある。その縁で、氏神様の伴野神社(とものじんじゃ)や、洞源山貞祥寺(どうげんざん・ていしょうじ・曹洞宗)がある。
元旦の午前中には、さらに真言宗智山派の尾垂山前山寺(おたるさん・ぜんざんじ)を加えた3カ所に、御年始を兼ねて、参拝した。
山城(やまじろ)の前山城の山腹にある伴野神社の麓には清水が湧いている。私たちが小学校低学年の時は、これを学校用プールにしていた。周囲をコンクリートで覆っただけのプールだが、東信(上田~佐久地方)で、2番目の歴史的教育施設だと聞いている。ただ、きれいな清水は真夏でも冷たくて、プールは深いので、泳げない子は恐くて入れない。しかし、その厳しさのお陰で、浮き袋に頼った時期がしばらくあったが、小学二年生では、十分に泳げるようになっていた。今は防火用貯水槽となっている。その横の急な石段を登ると、杉の大木に囲まれた社がある。
神殿に向かい、二礼、大きく柏手(かしわで)を二度打つと、淑気に満ちた冷気が、共鳴するように感じられた。深々と一礼して、家内安全を祈った。
【俳句-②】は、伴野神社参拝の後、集落を結ぶ山道を越えて見晴らしの良い高台に出た時、名峰・浅間山(標高2568m)が見えたことを詠んだ。
例年になく雪のまったく無い正月(元旦)だったが、浅間山でさえ雪が少なく、まさに冠雪は薄化粧であった。一年中、朝な夕なに眺めていて、八ヶ岳や荒船山と共に佐久平を代表する山岳だが、元旦に見る「初浅間」は格別だった。
特に、昨年の元旦は平成31年だったので、令和時代になって初めての元旦ともなった。それで、敢えて令和2年を強調してみた。
【俳句-③】は、浅間山から視線を、やや下の方に転じると、10数羽の鳶
(トビ)が乱舞していた。その雄大な飛行の姿が印象的で、俳句に詠んだ。
そもそも、何の目的でトビが群れているのか知りようもないが、
私には新年の祝賀の挨拶を交わす為に山里に集まり、神楽の舞いを皆で執り行っているように感じられた。
勝手な擬人法だが、餌を捕ろうと旋回するなら、1羽の方が良いに決まっているからだ。銘々が、滑空飛行からスラロームへ、そして旋回するのを披露し合うことで、それを楽しんでいるようにさえ感じられた。たまたま初晴れの元旦午前10時頃の鳶の乱舞だったのだが、少なくとも鳶たちにとって何らかのコミュニケーション手段ではないかと推理している。
とても麗しい光景だった。今年の瑞祥であるといいなあ。
【編集後記】
『今年の瑞祥であるといいなあ。』と願ったのも束の間に、2019年秋頃から、台湾メディアが「中華人民共和国では、原因不明の肺炎による死者が出ているようだ」という報道があったと言うが、ついに事実が白日にさらされた。
「新型コロナ・ウイルスによる疫病である」ということが、正式に、世界中でわかるようになった。発症の年度を記した『COVID-19』である。
その後、最初に集団感染の起きた中国湖北省・武漢市(一千万都市)での惨状が伝えられるようになった。さらには、全世界へとパンデミック(感染症の爆発的な大流行・蔓延~拡大)が現実のものとなった。日本も例外ではなく、その影響は、今日でも続いている。
過去(小さな歴史でもあるが)というものは、過ぎてみると驚くことばかりだが、まだ、この令和2年元旦には、私は、鳶の乱舞を見て、神楽の舞いだ等と、のんきな事を考えていた。