北海道での青春

紀行文を載せる予定

圃場三題(如月の句)

① 土恋し 散歩の午後(ひる)や 圃場道(ほじょうみち)

② 麦のあお 滑走路の如(ごと) 西北西

③ 土匂う 土手で腕組み 時代考 

 

 公民館主催の「区民の集い」という文化作品展示会が、祝日「天皇誕生日」にあり、例年のように俳句作品で参加した。テーマ探しに、散歩がてら駒場公園から長野牧場を散策していて、春を待つ圃場での様子を俳句にしてみようと思った。

 

 【俳句-①】は、季節風は冷たいものの、一番気温の上がる昼下がりに、圃場に延びるカラマツの落ち葉道を散歩した時の、心地よさを詠んでみた。

 農閑期は、冬越し野菜の点検と健康維持を兼ねて、水田地帯の耕作地と山の畑周辺の散歩(60~90分)をしている。この日は、車で遠征してみた。
 長野牧場と略すが、正式には、家畜改良センター茨城牧場・長野支場である。子供の頃は、『しばしょ』と発音していた。(明治39年長野種馬所として発足)

 「土恋し」が春の季語だが、都会の人々がコンクリートより大地に憧れるという意味ではなく、私の場合、「暖かくなってきたので、そろそろ野良仕事にでも出たいなあ」という気持ちの表れである。
 冬型気圧配置の時の、佐久地方の昼下がりは、季節風さえ弱ければ、群青の空の下、長閑な春の訪れを予感させ、心を和ませてくれる。

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圃場から南側(茂来山)を望む

 

 【俳句-②】は、圃場の一部に秋蒔き小麦を育てている所がある。ちょうど、トラクターの畝幅だけ空けて、冬越しの麦の青い芽が、滑走路のように連なっている様を詠んだ。

 現実の規模から見れば、プロペラ軽飛行機ぐらいになろうが、素人目には広大な飛行場のように見えている。
 実際、この圃場の施設の一部は、太平洋戦争時に飛行場として整備されていた経緯もある。長野県には、松本市塩尻市にまたがる松本飛行場があり、周囲は松本平広域公園として整備されている。市街地の外れではあるが、イベント開催だけでなく、多目的に使用され、気持ちの良い環境である。

 一方、規模は遥かに小さいが、ここも佐久市民に愛されている施設である。
 ちなみに、畝は、ほぼ東西に延びていたが、厳密に行くと冬の季節風の方向と一致していて、西北西(東南東)方向であった。

 俳画は、風景を印象で表現しているが、実際は、八ヶ岳を左手に、中央から右手側に、美ヶ原高原~北アルプス方面の山々が見えている。(槍ヶ岳穂高連峰などは、この地点より少し南側の千曲川堤防からの方が良く見える。)

 

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【俳句-③】は、大地から陽炎があがり、有機的な匂いがする訳ではないが、春の匂いがするような気がする。私は、その光景を土手から眺めながら、考え事をしていると詠んだ。具体的な内容は表現できないので、時代考とした。

 『今年、どんな作物を育てようか?』とか、『昔の思い出を振り返っていたのか?』とか、『理不尽な世の中を憂いているのか?』とか、読み手は様々なことを想像してもよい。しかし、私の心境は、『こんなにも安寧な山里で、のんびりと日向ぼっこをしていていいのか?』という気持ちであった。

 今、インターネットで探ると、世界の情報が入ってくる。戦闘やテロに明け暮れている地域、失業や貧困に苦しんでいる人々、人権問題、感染症に苦しんでいる昨今など、人々の苦悩は尽きない。それに対して、自分の力でどうすることもできないが、老後の今に感謝しているだけでは物足りないという思いもする。

 そして、社会や世間に対して、少し申し訳ないなという気持ちになった。 

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圃場から北側(浅間山)を望む

 

 【編集後記】

 令和元年度の私たちの俳句会は、この2月を最後に、3月から会合を自粛することになる。新型コロナ・ウイルスの感染者は、新聞やテレビのニュースで話題になる程度で、近くでの感染者は出ていないが、何しろ全員が高齢者である。

 令和2年2月27日(木)、安倍晋三首相が、全国の小・中・高校に臨時休校措置を呼びかける異例の対応に踏み切った。翌2月28日(金)の次は、2月29日(土)・3月1日(日)と週休日が入り、3月2日(月)から春休みまで、臨時休校に入った教育委員会所属の小・中学校が多かった。

 かつて、私も携わったことのある現場を知っているだけに、2月28日の一日だけで、様々な準備や対応策を練るのは大変だろうなと思った。

 そんな慌ただしい如月末から、既に時は容赦なく流れているが、一条の光明さえ見えてこない状況が続いている。