北海道での青春

紀行文を載せる予定

「さくら咲く小径」で三題(弥生の句)

① 春入り日 里山越しに 槍ヶ岳(やり)を見ゆ

② 引鴨の 水面で習ふ 隊の則(のり)

③ 休校の 若人漫歩 春の野辺

 

 令和元年度最後の「みゆき会」は、「新型コロナウイルス感染拡大防止」の為、安全策を取って、会合開催を自粛した。予定されていた3/15の句会は、中止となった。

 少し前に、俳句の題材を捜そうと、東京電力・杉ノ木貯水池から「さくら咲く小径」の散歩コースを歩いた。俳句会は開かれなかったが、個人的に弥生・三月の句を作ってみた。

 

 【俳句-①】は、千曲川の堤防から入り日の方向を見ると、北アルプスの特徴的な山容の槍ヶ岳(3180m)が、里山越しに彼方に見えたことを詠んだ。

 佐久市杉ノ木の千曲川堤防沿いからは、一年中、槍ヶ岳は見えているが、雪の消えた早春の佐久平里山に対して、白銀の鋭く尖った山峰は目立つ。同じ理由で、晩秋には、一足早い積雪の飛騨山脈北アルプス)の名峰の存在に気づくのである。

 折々の季節感は、佐久を代表する浅間山(北)や八ヶ岳(南)、荒船山(東)で感じているのに、四季の大転換期には、上記のような理由で、槍ヶ岳などの北アルプスを意識する。

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北アルプス槍ヶ岳(3180mASL)

 

 【俳句-②】は、散歩コース北側の貯水池付近で、水鳥たちの様子を観察していると、北帰行の為の準備をしているのではないかと思い、詠んでみた。

 写真は、カルガモ親子であるが、それまで鴨の群れでは見られなかった集団行動を目撃する機会が増えてきた。

 まず、子鴨と思われる小さな鴨の一部は、貯水池を離れて千曲川本流か、支流の滑津川に移動して、少し流れのある所で泳いでいる。一方、親鴨の群れは、子鴨を一列にして、等間隔で泳がせている姿を目撃した。初冬や厳冬期には見られなかった。

 それを見て、私は、鴨たちの群れが日本列島上空や海の上を渡って、シベリアに飛んでいく時の飛行隊列練習を、水面でしているのではないかと想像していた。その真実の所は、わかりようもないが、擬人法で推理すれば、生死を分ける大旅行(冒険)なので、訓練をしてから旅立ちの日を迎えるのではないかと思う。

 

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カルガモの親子の水練風景?

 

 【俳句-③】は、新型コロナ対策で、3月2日(月)から臨時休校処置が要請された。全国一律ではなかったが、実質2月29日(土)から小・中・高校生は自宅待機となった。そのせいか、それまで見かけなかった若者が、のんびりと春の日差しを楽しみながら散歩している様子を詠んだ。

 元気にランニングしている子、祖父母と散歩している小学生もいる。健康的な姿もいいし、孫と笑いながら歩く老人も溌剌としていて良い。
 だが、私としては、普段のんびりとして、千曲川堤防や春の野辺を散策しないような中学生・高校生が、漫歩している姿を発見し、青春の思い出に、そんな春もあったと、のんびりとしなさいよと、声援を送りたい気がした。

 しかし、この事態が若者にとっては、寧ろ、苦痛やストレスになって現れてくることを、それからしばらくして知ることになった。

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欅(ケヤキ)の枝から透けて見える春の青空

 

【編集後記】

 新型コロナ・ウイルスの感染拡大防止策によって、児童・生徒らは休校で自宅待機、テレワーク可能な会社員は自宅での仕事、時差出勤や交通手段の変更など、普段の生活が大きく変わった。いろいろな業種と自営業者は、営業制限が出てきた。

 私自身が、子どもの立場になって想像して見ると、最初は「学校に行かなくて家に居ることが嬉しい」と感じていたが、「堂々と外出ができない、友達とも遊べない」となると、「SNSでの交流や、テレビ視聴・ゲーム遊び」に夢中になってくる。

 しかし、それらも飽きてくる。少し真面目に生きようとすると、それらには、本当の生き物としての生気(Animal spirit)や魅力がないことに気づく。

 全ての子どもが、そう思ったかどうかの確信は無いが、『学校で学べることは素晴らしい』と体感した人が、かなりいたのではないかと思うのだが・・・・・甘いかな?

 少なくとも、日常生活の有り難さと、学ぶ機会が保証されていることの当たり前ではないこと(すなわち、恩恵と価値)に気づいた体験は、大切にして欲しいと思う。自分も、それらの経験を、現役世代や都市に生活する人々より切実ではないと思うが、明らかにしていると感じた。