北海道での青春

紀行文を載せる予定

自然の神秘三題(水無月の句)

① ユーカラを 伝ふが如く 四十雀 

② 保護色も フォベア(中心窩)のお陰 青梅とる

③ 雨蛙 観天望気 高らかに

 

 非常事態宣言が解除されたので、「みゆき会」の句会が、三ヶ月振りに開かれることになった。今月は、「自然の神秘」をテーマに、俳句を作ってみることにした。

 気のせいなのか、昨年のこの時期と比べると、四六時中、四十雀シジュウカラ)が鳴いているようなのが不思議で、当初は「四十雀・三題」にしようと思ったほどであったが、その後、他の魅力的な題材も出てきて、上記のような内容となった。

 

 【俳句-①】は、四十雀(シジュウカラ)の囀(さえず)りが、アイヌ民族語り部が、後世へと伝える叙事詩(ユーカラ)のように聞こえてきた様を詠んだ。
 冒頭にも述べたが、四十雀の鳴き声が、頻繁に聞こえてくる。寝床で目を覚ますと、昼間、畑で農作業をしていても・・・、聞こえてこないのは夜中ぐらいである。中国の監視カメラよろしく、私の動向が探られているかと思うほどだが、それだけ数多くの四十雀が、近くに生息していたのだろうか。
 この点に関して、いきなり話題を展開するが、英語の「our(我々の)」と同じ『アウワー・アウワー』と発音するカラスが近所に住んでいた。カラスの鳴き声と言うと、『カアカア』か、少し濁った『ガアガア』なので、とても印象深く、すぐに聞き分けられた。
 一方、四十雀の鳴き声は、同じように聞こえる。それ故、1匹が何度も現れるのかもしれないし、何匹もの個体が次々にやって来ているのかもしれない。どちらでも良いが、ひとつ問題にしたくて、重要なことは、四十雀の囀りは、鳴き方の種類(バリエーション)が多いことだ。
 一番ポピュラーなのは、『ツピツピツ』(5文字)を基調として、『ツピツピ』(4文字)と『ツピツピツピ』(6文字)が組み合わさった、まるでモールス信号のような鳴き方をする。
 繁殖期の『ツツピー』を3回繰り返して囀るのは良く聞いた。また、私の起床時刻と前後して、『ピツ・ピツ・ピ』を3回繰り返した囀りを聞くことがあり、『また来たな』と、来訪を楽しみにしていた。ところが、囀りの最後を空手の「寸止め」のようにして3回で終わりにするパターンと、2回で終わるパターンが組み合わさっていた。

 専門家たちは興味を持って調べているそうで、何らかの情報交換をしているのではないかという仮説もあるようだ。

 今回、私が敢えて、「ユーカラ」の如くと表現した囀りは、ヒトが朗読を録音したテープを早送りしたように聞こえ、独特な抑揚のある鳴き方である。文字を持たなかったアイヌ民族が、ユーカラを口伝したように、四十雀も鳥語でお話をしているように感じられたからだ。それが不思議でならず、短い俳句で表現しようと工夫してみたが、せいぜい、「ユーカラの如く」であった。

 ところで、四十雀に執心するので、バードウォッチング好きと思われても困る。鳥も植物も大好きだが、鳥は辛抱強く待っていないと見つからないし、植物名は覚えるのが面倒で、専攻する気にはならなかった。私は、対象物が勝手に動くことなく、名前の種類も少ない岩石(地質)を愛好する一人である。

 

f:id:otontoro:20201102114059j:plain

シジュウカラ

 

 【俳句-②】は、夫婦で山の畑の梅の木から青梅の実を収穫した時、同じ緑色をした葉に隠れているのに、器用に見分けられる人類の眼に感謝して詠んだ。

 フォベア(Fovea・中心窩)という馴染みのない科学用語を知らない人は、選句しないだろうなと思いつつ、挑戦的な俳句で、少し自己満足的だ。

 「フォベア」とは、黄斑部の中心窩のことで、視覚分解能の50%を占めると言われる視覚の中枢部である。ヒトや猿なども含めた真猿類では、フォベアを常に正面に向けて注視できるように、眼の奥に眼窩後壁(がんかこうへき)と呼ばれる仕組みも備わっている。
 この眼の発達する進化は、古第三紀末から急速に寒冷化して、地球の豊かな植生が衰え、果実などの餌が見つけにくくなる中で、生き残りを懸けて、視力獲得のをした成果だと言われている。
 実際、ヒトと犬の視覚の差を痛感したことがあります。時々、野山で飼い犬を放し、名前を呼んで、呼び戻すことを試みましたが、私の位置がわからなくて、犬はキョロキョロしていました。私には、その表情すら遠目でわかるのに、犬は臭いや音で知覚するようで、明らかに眼で私を発見したようには思えませんでした。その時、人間は、情報の大部分を視覚から得ている動物だと、改めて思いました。

 もし、人間と犬の知覚能力が反対だったらと想像してみると、とんでもないことになりそうです。下世話な話ですが、同じパンツを履いて人前には出られないし、女性のお化粧の臭いがきつくて耐えられないかもしれません。反対に、高速道路で車の運転など、きっと恐くてできなくなるはずです。

 話は、再び、青梅とりに戻りますが、収穫した梅の実の処理も大変です。新鮮な梅の実は、そのままにしておくと、すぐに柔らかくなってしまいます。家内のお手伝いをして、私も夜なべ仕事をしました。

 

f:id:otontoro:20201102114235j:plain

ヒトの眼球の構造

 


 【俳句-③】は、雨蛙(アマガエル)の独特な鳴き声が高らかに聞こえてくると、自分自身も思わず空を見上げて、観天望気をしている様を呼んだ。

 「観天望気」とは、風の向き、雲の動き、動植物の様子から天気予報(どちらかと言うと短期)をすることだが、名前の通り、『雨蛙が鳴くと雨』は案外良く当たる。

 観天望気をしたのは、雨蛙であり、それを聞いた私でもある。
 梅雨の時期、真夏の夕立前、『ケ・ケ・ケ・ケ・ケ』と良く響く鳴き声に促されて、思わず大空を見上げると、乱層雲が広がっていたり、積乱雲が金床雲に発達していたりする。どこで雨蛙が鳴いているかと探すが、見つからない。

 反対に、草花や野菜に如雨露(じょうろ)で水遣りをしていると、雨蛙が突然跳び出てくる。かわいらしい青蛙だ。捕まえて、手のひらに載せると、水かきの部分の感触が伝わってくる。ちょっと蹴られた感触を残し、逃げてしまう。

 ただ、どうも眼は好きになれない。生物の特徴だから仕方ないが、表情の無い眼球は、人情のない冷たそうなイメージで、睨み付けられたような感じもする。

 

 今月は、自然界の中で、主に動物が素晴らしい能力や機能を持ってるなと感じたことをテーマに俳句作りをしてみた。今年も、雨蛙が鳴く季節がやってきた。
 どうか、今年の夏は、雹害や洪水被害のないようにと願っている。

 

f:id:otontoro:20201102114347j:plain

アマガエル

 

【編集後記】

 私は俳句を作る時、基本的には自分が体験した場面で、「美しい・趣がある・不思議だ、なぜだろう」など、感動したり頭や気持ちに引っかかったりする内容を題材にすることが多い。

 今月の「自然の神秘」三題は、まさにその類である。唯、前にも触れたことがあるが、俳句の5・7・5(17)文字では、どうしても情報が十分に伝えられない。もともと、俳句で、『何かを説明しようとするな』と、先輩諸氏からは指摘されているから、その限界については覚悟しているつもりだ。

 だが、例えば、「シジュウカラ」と表現した時、それを見た(聞いた)人は、鳴き声の美しさに関心が行くのかもしれないが、私の感動して伝えたいことは、その鳴き声の内容が(鳥語で)何を言っているのか知りたいという方へ興味が向く。それで、私は、自分の俳句に対して、それを理解・鑑賞してもらうには、上記のような俳句の背景や説明を付けた作品にしたいと思い、実践している。