北海道での青春

紀行文を載せる予定

「もののあはれ」を考察(神無月の句)

① 簾(すだれ)剥ぐ もののあはれや 焦げ臭さ 

② かざし振る エノコロ草に 蒼天(そら)も揺れ

③ ひと偲び 滲む明月 掌(て)を合はす

 

 佐久市文化祭に出品する「俳画を添えた俳句」を10月の句会で準備するのが恒例となっている。それで、自分の俳画の作品は秋、それも仲秋が増えてきた。
 ところが、コロナ・ウイルス感染防止策の「三密を避ける」方針から、1箇所同時開催を止めて、大きな分野別に、会場と日程をずらして開催することになった。昨年の台風19号の洪水被害の影響で、中止となった文化祭より、救われた気持ちにはなるが、少し残念である。私たちの俳句のジャンルは、11月3日(文化の日)頃の開催ではなく、11月23日(勤労感謝の日)頃と、3週間も遅くなった。これなら、11月の俳句でもよかったかとも思う。
 ところで今月は、印象深かった出来事等を選び、俳句作りをしてみた。


 【俳句-①】は、10月1日の更衣(ころもがえ)に因んで、家屋の方でも簾(すだれ)を取り外した時に感じたこと、考えたことを詠んでみた。
 それを「もののあはれ」と表現してみたのだが、これには少し説明が必要であるかもしれない。

 簾からの直接的な感想は、数ヶ月間の日差しを浴びて煤けた古竹の隙間に微細な砂埃が付着し、「焦げ臭い」匂いなのだが、同時に、一夏の人々と生活を共にしてきた簾の匂いや変色した素材が、単なる物理的劣化の産物ではなく、物の命を生きてきた歴史であるかのように感じられたからである。最近、私は、ややアニミズム的発想をよくする嫌いがある。
 もっとも背景には、「詩歌のちから(宮坂静生・信大名誉教授)」を載せた信濃毎日新聞(10月8日付)を読んだことがある。
気になった部分を拾うと・・・『本居宣長は、源氏物語の核心に「もののあはれ」を指摘し、日本人の知的感性の結晶だと考えた。「もの」とは人に関してはままならない運命という意味か。季節に関しては、秋から冬への推移を捉え、寂しさ、悲しさを託した重い言葉である。つまり、「もののあはれ」は、漠然とした季節の哀歓を言ったものではない。』また、本居宣長は「徒然草」の吉田兼好の隠者風な美意識を「さからし」(利口ぶり)と批判している。
 この文章に触れて、「もののあはれ」という表現は、遷移する大自然の中で、自然と人間の生活が織りなしてきたことへの、時に親しみ・喜び・悲しみなどの気持ちを同居させた「季節感」なのかなと思った訳である。
 そんな観点で簾を眺めてみると、「簾は、サングラスもしくはマジックミラー」のような存在で、真夏の昼下がり、簾の内側にいる人は大胆にも下着姿で昼寝をしていたかもしれない。屋外からは何も見えず、中の人が何をしているのかさえ、想像もできない。一方、道行く人は、簾の中にいる人からは、しっかりと風体を観察され、服装の柄や値踏みまでされていたかもしれない。
 そんな存在だった簾を剥いだ日から、生活は大きく変わらざるを得ない。まさしく「すっぴん」状態は、手にとるようにわかるし、道行く人を優越感に浸り、秘密探偵のようにして見ていた自分でもいられなくなる。
 片づけた簾を巻いていると、自分の生活は簾と共に生きてきたような気になり、
匂ってくる「焦げ臭さ」に風情を感じた。

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簾を剥ぐと変わる日常

 

 【俳句-②】は、青空にエノコログサをかざして、童心に返ったかのように、振ってみると、空も揺れているように感じられた。
 エノコログサは、俗名で「ねこじゃらし」とも呼ばれる。実体験のある方は、わかると思うが、猫の見ている前で、エノコログサを振ると、興味を示して前肢(ヒトなら手に相当)を出してくる。すぐに掴まれないように、意地悪く変則な動きをして、自分の方で楽しんでしまう。一番興味を示すのは、子猫のようで、大人の猫は挑発には乗ってこないようだ。

 それを意識して、青空を相手に天の反応を見ていたわけではないが、エノコログサのしなやかな穂先を見ていると、思わず振ってみたくなるものである。
 エノコログサは、漢字だと「狗尾草」と書き、狗(犬)の尻尾を意味している。伸長方向に触るとすべすべした感触が楽しめる。日本には、縄文時代に粟(アワ)の雑草として帰化したと言われるほど古くからあり、イネ科に属するので、食用にもなるらしい。穂の中の小さな実がそれだが、食べるとなると気が遠くなる程、集めてこないと1食分とはならないと思われる。 飢餓で、それを実践した時代を想像すると気の毒である。私たちは、もっぱら黄金色(イネよりももっと金色に見える)の穂を鑑賞している、平和で満ち足りた時代を生きている。 

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青空は「猫じゃらし」で動くものか

 


 【俳句-③】は、故人への追悼句である。今年は、コロナ禍だからという訳ではないが、私の年回りの関係なのか、私とほぼ同年齢の方や、少し先輩の方々の不幸が続いた。
 信濃毎日新聞の「お悔やみ欄」を見ていても、主力は80歳後半から90歳代であるが、60歳代や70歳代の方も、ちらほら見受けられ、驚く。
 健康長寿は、人類普遍の願いでもあるのに、寿命が60代と90代では、親子ほども違い、一世代もの差があるからだ。

 先に述べたような訳で、偲ぶ人は複数いるのだが、特に、この句を挙げたのは、私より3歳年上のIさんの突然死が背景にあった。
 私の妹の夫と、ひとつ違いの弟である。『自慢の弟です』と言うように、身体や諸能力に恵まれ、銀行マンから、訳あって中小企業の社長を経て、人生後半は夫婦で十分に楽しみながら前向きな余生を生きる予定だった。
 最後に会ったのは、2年前、身内だけの集う甥の結婚祝いの会で、『夏野菜を栽培して、それを朝食の味噌汁具材や食材にしている』ことを趣味にしていると語っていた。実は、私の実践とも共通していて、大いに盛り上がった。甥の妻が、企業のタイ国との輸出入担当関係の仕事をしていると知り、かつての海外出張の経験から流暢にタイ語で会話していたのを、私は「すごいなあ」という思いで聞いていた。
 その彼が、今年の9月20日に、心筋梗塞で倒れ、運悪く発見が遅れて蘇生できなかった。それから一ヶ月余りを経た、仲秋の名月を見ると、悲運な最期を想像して、明月が滲んでいた。そして、掌を合わせた。

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仲秋の名月で偲ぶ一年

 

【編集後記】

  11月は、今まで完成していた作品を取り上げて、それを挙げたというより、作品を創作しつつ、それを「はてなプログ」にしてきた。それで、挙げるスピードが鈍ってしまった。

 これからどうするか? 初期の目標と本来の目的は、地質研究の成果を公表することである。一方、十分にはまとまっていないが、量としては多い、M少年自然の家施設や、小学校での通信の類もある。どうしたら良いか、迷っている。いずれにしろ、狭い範囲での公開なら、許されるが、もし、大きく拡散されることはないと思いつつ、そうなれば、プライバシー問題にも発展しさうである。

 今日は11月最後の日なので、取り敢えずブログを挙げて、今月の成果をひとつだけ増やしておこうと思う。