北海道での青春

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地質調査物語(山中地域白亜系について)

   山中地域白亜系について

 長野県南佐久郡佐久穂町大日向地区の古谷(こや)集落から、十石峠(じっこくとうげ)にかけて、白亜紀前期の地層(下部白亜系)が見られます。
 この地層の分布範囲は、「山中地溝帯」と呼ばれ、群馬県多野郡神流川上流部を経て、埼玉県秩父郡小鹿野町にまで達しています。幅が2~5km、長さが西北西-東南東方向に約40kmと、極めて細長い長方形のような分布をしています。佐久地域は、その西の端に当たり、全体の1/5ほどの範囲になります。
 【下図】に、山中地域白亜系の分布域と主な水系を示しました。丸印(○)は、市町村役場の所在地や支所の位置です。

 

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 山中地溝帯は、日本の白亜系模式地のひとつで、古くから研究が行なわれてきました。日本の地質学の黎明期、大塚弥之助博士(1903~1950)の研究をもとに、原田豊吉博士(1860~1894)が、明治24年(1890)に提唱した名称で、多野郡鬼石町(現・藤岡市鬼石)より上流の神流川流域の古い呼び名・山中谷(さんちゅうやつ)または山中領(さんちゅうりょう)に因んで名付けられたと言います。群馬県側の谷状地形から「地溝帯」と呼んだようですが、ふさわしくありません。私たちは固有名詞だと理解して、ずいぶん長い間、山中地溝帯と呼んできましたが、近年は、どの文献でも「山中地域」・「山中層」などと表現しているので、改めることにします。
 地質構造帯という観点からみると、山中地域白亜系は、広義の秩父帯に属します。
 明治時代に来日したドイツの地質学者エドムント・ナウマン博士(Heinrich Edmund Naumann 1854~1927)が、日本列島の地質構造が帯状配列をしていることに気づいて発表して以来、日本列島の地質構造については、多くの研究がなされてきました。

         
 今日では、プレート・テクトニクスによる、地球規模の地殻変動と変遷のメカニズムが解析できるような研究方法も加わり、【下図】に掲載した「日本列島の主として中新世以前の衝突・付加体の分類と分布(『日本列島の形成』平 朝彦・中村一明編・岩波書店)と題する画期的な説明もあります。

 日本列島は、現在の位置とは別な所で作られた地塊(構造帯の原型)が、島弧に移動してくるプレートの上に乗って、あたかも掃き集められるようにして、今日の日本列島に付け加えられたという考え方です。その意味で、「付加体」という表現が使われています。 

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【凡例】1 飛騨変成帯(大陸の一部?) 2 三郡変成帯(変成を受けたペルム紀付加体) 2' 上越変成帯3 山口帯(ペルム紀付加体) 4 舞鶴帯(ペルム紀三畳紀陸棚相)4' 上越帯・先白亜紀陸棚相5 丹波・美濃帯(ジュラ紀付加体)5' 足尾・八溝帯(ジュラ紀付加体) 6 北部北上帯(ジュラ紀付加体)6' ジュラ紀付加体?7 領家帯(変成を受けたジュラ紀付加体) 8 三波川帯(変成を受けたジュラ紀付加体) 8' 西彼杵帯  9 秩父帯(ジュラ紀付加体)  10 三宝山帯(ジュラ紀付加体)11 四万十帯(白亜紀第三紀付加体)  12 阿武隈帯(先白亜紀陸棚相・ジュラ紀付加体を含む) 13 南部北上帯(先白亜紀陸棚相) 14 神威古潭帯(変成を受けたジュラ紀付加体)15 幌加内オフィオライト(ジュラ紀末海洋底)16 蝦夷層群(白亜紀砕屑相) 17 日高帯(白亜紀付加体) 18 湧別帯(白亜紀付加体) 19 日高変成帯(第三紀に衝上した島弧地殻)   20 常呂帯(ジュラ紀付加体)  21 根室帯(白亜紀末~第三紀初頭弧海盆)  22 伊豆・南部フォッサ・マグナ新生代衝突・付加体(島弧地殻を含む)
A;飛騨外縁構造帯 B;長門構造帯 C;中央構造線 D;黒瀬川構造帯 E;フォッサ・マグナF;棚倉構造帯  G;双葉構造線 H;早池峰構造帯

 

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 ところで、『日本列島の形成』という本は論文集です。読み進めると、当地域の成因については、わずかな扱いで、下記のように説明されていました。

 狭長な分布をとる山中地域の下部白亜系は、三波川帯および秩父帯が、ナップ群を押し上げながら横ずれ的運動をして移動してくる過程で形成された「横ずれ堆積盆」における地層の可能性がある。

 

 白亜紀の中頃、離れていた領家帯(内帯)に対して、三波川帯・秩父帯の連合(外帯)が、接するように動いてくる。古期中央構造線である。領家帯の一部は、衝上断層で、三波川帯に乗り上げた。白亜紀末に向け、この移動中、いくつかの地塊の集まりである秩父帯の内部に「ずれ」ができ、割れ目ができます。その割れ目が堆積盆となって、周囲からの堆積物を集めて埋まりました。これらの堆積物が、山中地域の白亜系ではないかと言うものです。

 山中地域は、中央構造線という極めて大きな断層を境に、日本海側(内帯)と、太平洋側(外帯)とに分けた地質構造区分の言い方では、外帯に属し、秩父帯の一部分です。
 日本列島を形成するという大きな事件の中で見てくると、ささやかな出来事だったというイメージです。しかし、たとえ小さな事件でも、秩父帯が付加されていく時の一連の地質構造帯と連動していたということも確かです。それに、小さいと言っても、これを歩いて調べるとなると、当然のことながら、なかなかの広さです。次のページに「抜井川流域の沢」として、調査地域の水系を載せました。私たちは、これらの地域の川や沢、尾根の踏査をしました。

 

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 【編集後記】

 山中地域白亜系の本格的な調査は、平成4年度からですので、既に30年ほど昔のことです。休日や夏休みなどの調査日の帰宅後、すぐに記録をノートにまとめ、あまり日数が経たない内にルートマップなどの図表を作成しました。記録はたくさんあって、それらを冊子のように整理しました。(平成27~28年)

 今は、昔の地図や記録を頼りに、確認しながら「はてなブログ」に載せています。