北海道での青春

紀行文を載せる予定

地質調査物語(瀬林層の模式地を訪ねて)

     瀬林層の模式地を訪ねて

 群馬県多野郡中里村(現在は神流町中里)に、立派な「恐竜博物館」があります。近くの瀬林(せばやし)いう集落から、恐竜に関する化石が発見されたのを記念して建てられました。
 漣岩(さざなみいわ)と呼ばれる漣痕化石が見られる岩盤から、2種類の恐竜の足跡化石が見つかり、その近くの八幡沢(はちまんざわ)で、サンチュウリュウの脊椎骨の一部が発見されました。それで、恐竜に関する資料と、白亜紀を中心とした世界各地の化石、山中地域の地質が展示されています。私は、家族で訪ねたのを含め、何度か足を運びました。
 ところで、今回の目的は、恐竜の足跡化石や地質研究者で、当恐竜博物館の展示設計をされた松川正樹先生(東京学芸大学)に、瀬林層の模式地を案内していただくことでした。
 私たちは、神流川の支流で、漣岩の脇を流れる間物沢川(まものざわがわ)を歩きました。

 下の図表は、先生の論文(1983・英文)に掲載されたルートマップと、説明を聞いてまとめたメモです。

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 間物沢川での岩相の変化を、下流からたどって行くと、およそ次のようでした。
 ①~②;チャート層から成る先白亜系を、同質の礫を含む石堂層の基底礫岩層が不整合に覆います。小滝の上流は、砂質の黒色頁岩層が続き、旧道に懸かる一の瀬橋付近では、海棲二枚貝の化石を多産する層準がありました。多くの化石研究者によって掘られ、深くえぐられていました。横山又次郎博士(1860~1942)が、日本人で初めて白亜紀の化石として記載した化石の産地だという説明を聞いて、私たちは感慨深くハンマーを打ち下ろしました。
 ③~④~⑤;少し上流に進むと、層理面のはっきりしない塊状の砂岩が現れます。青味を帯びた明灰色で、風化に強い珪質な砂岩です。これが、下部瀬林層に特徴的な砂岩で、石堂層の砂岩と比べると、きれいな感じがします。
 続いて、泥質部分が多くなり層理面がはっきりしてきて、上部瀬林層となります。河岸のえぐられた小露頭から産出する化石は、保存状態が悪いので、種名まではわかりませんが、淡水~汽水棲二枚貝のCostocyrena類(ヤマトシジミの仲間)だと思われるものでした。それからは、砂泥互層が比較的安定して続きます。
 ⑥;小さな滝にぶつかります。『この礫岩をどう見ますか』と、先生から尋ねられました。見ると、全体(マトリックス)は、青味がかった灰色の砂岩ですが、その中に、長経が、15~20cmもあるラグビーボールのような閃緑岩の巨大な礫が入っています。下流側から見直していくと、砂泥互層から砂岩・礫岩と、少しずつ粒度を増していくようにも見えましたが、角がなく丸味を帯びた閃緑岩の大礫の存在は、異質な印象を受けます。瀬林層の最上位層準に当たります。すぐ上の層準は、露頭がなくて確認できませんでした。 (閃緑岩の大礫が見られない沢もあるとの説明でした。実は、この巨大な礫の存在は、その後、私たちを大混乱させる一因となりました。)
 ⑦~⑧:少し上流で、黒色頁岩層が現れました。砂質ではなく、典型的な黒色頁岩です。これが、三山層です。この先は、これまでの南落ち構造から、傾斜が北落ちに変わり、対応関係もあることから、向斜構造であると説明を受けました。

 晴れていても6月の沢水は冷たく、長く浸かっていると、すっかり冷えてしまいます。
私たちは、沢が開けた所にあった人工の鱒釣り場から、間物沢川を離れ、国道に出ました。そして、恐竜の足跡化石のある「漣岩」露頭を観察しました。上部瀬林層の二枚貝層準のやや下位に当たります。国道の拡張工事で崖を崩した時に、偶然に現れた露頭のようです。大きな穴と小さな穴が、それぞれ等間隔で左右交互に並んでいて、偶然の配列と言うには、不自然な感じがしました。
 しかし、これも足跡化石が知られるようになって、ようやく解明できたことで、かつて著名な地質学者さえ気づかなかったと言います。重要性が理解されない頃、近所の子どもたちが、穴めがけて小石を投げ、入るのを競ったというエピソードもあるくらいです。

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漣岩(さざなみいわ)露頭

   ~ 漣岩と恐竜の足跡化石 ~

 海岸や三角州の浅瀬に堆積した砂には、打ち寄せる波や水流の影響で、波の方向と垂直に波模様(波列)ができます。多くは次々と破壊されてしまいますが、運良く堆積物で覆われ固まると、漣痕化石になります。この過程のある時、水底または一時的に陸域となった砂の上を大型恐竜が歩いて行きました。(写真・左上のくぼみの跡)
この後を小型肉食恐竜が、追跡するように速足で歩いて行ったと思われます。(写真右側、帽子付近から右斜め上に向けての跡)
これは、白亜紀前期の海岸で、頻繁に繰り返されていた生態系の日常であったのかもしれませんが、その痕跡が化石となって残るのは、極めて稀な事件です。私たちは感慨深く、恐竜の足跡化石を見上げました。   (写真撮影は別の日に)


               *  *  *  *

 

 間物沢川の一連の岩相変化から、次のような堆積輪廻(サイクル)が、考えられます。
 今から、約1億2500万年前、先白亜系が、陸域として広がっていました。大きな島か大陸の半島であったのかはわかりませんが、長い間、陸域であった時代が終わり、この地域一帯は、比較的急速に沈降が始まり、海水が侵入してきました。
 海水侵入(海進)の始まりの頃は、海は浅く陸域から近いので、後背地から河川を通じて運搬された物質の内、粒度の大きい礫や砂が多く供給されます。細かな泥は、もっと沖合まで運ばれていって堆積します。この時、基底礫岩層が作られ、古い時代の地層を覆いました。石堂層の礫岩層が、先白亜系のチャート層を不整合に覆っている現象です。
 沈降が進み、海が深く陸域から遠ざかるようになると、粒度の小さい泥や砂が堆積するようになります。長い間に厚い堆積物をため、石堂層の砂質黒色頁岩層ができました。

 ところが、約1億2000万年前、堆積盆全体の沈降・拡大する動きが止まりました。海退の始まりです。河川だけでなく、沿岸流の流れも変化したのかもしれません。今までとは、いくぶん性質の異なった珪質砂岩(瀬林層下部層)が堆積しました。
 そして、1億1400万年前頃、当時の海は最も浅くなりました。海水と淡水が混じり合った汽水環境や、一部地域は淡水となっていたことも考えられます。それは、シジミ貝の化石が産出することから伺えます。(ちなみに佐久地域では、シダ類などの植物化石も見られます。)瀬林層の下部と上部の境目辺りです。漣岩の恐竜の足跡化石ができた時代は、この少しだけ上位に当たります。 

 

 これが「海進~海退」の堆積盆変遷サイクルとすると、間物沢川地域では、顕著な中断期間もなく、次の堆積輪廻に入っていったと思われます。そして、再び、海進が始まり、瀬林層上部層の砂と泥の互層が堆積しました。
 今から約9700万年前頃、(松川先生は、三山層がギリヤー統と考えていた時期もあり、説明は、この数字でされましたが、後に、三山層は宮古統と修正しているので、この数字より時代は古くなると思います・・・・)海進は、急速に進みます。

 瀬林層上部層の最上部に、閃緑岩の巨大な礫が取り込まれているのは、急激な海進を示す証拠かもしれません。一連の白亜系堆積盆が、最も大きく広がり、海が深まった時期を迎えました。深い海の底や停滞した海水域のように、酸素の供給が不十分な環境では、有機物の分解が進まないまま堆積を続けていくので、黒色の原因になります。三山層の厚い黒色頁岩層が堆積しました。

 そして、白亜紀後期の終わりには、堆積物自体の荷重や周囲からの圧力を受けて、堆積物は石化し、地層となりました。さらに、その後の地殻変動で、褶曲構造や断層が形成され、陸上に現れるようになりました。
 

 実際の堆積に、時間的な間隙は、当然あります。寧ろ、地層を構成している一番小さな単位である「単層」も、不連続な堆積が原因で作られます。ちょうど、雪が降っては積もり、しばらしてから、また積もるといった感じで、降雪の中断があることで、降り積もった前後の雪の層が区別できるのと同じ原理です。
 そして、大局的には、そのシーズン中に降った雪の層として扱うように、地層を地質学的に概観した時、大きな中断もなく堆積し続けたので、整合的に変化しただろうと解釈されています。

 

【編集後記】

 漣痕(れんこん)は、波の化石です。

 化石と言えば、生物の遺骸が石のようになったもののことを言いますが、生きて活動していた痕跡→「生痕化石」というのもあります。そして、日照りで土のひび割れした跡とか、波が砂を動かした跡というのも化石になります。

 私は、蓮痕(リップルマーク)のことは知っていましたが、新潟県直江津市谷浜での海水浴の折、水中眼鏡で海底の様子を見た時、砂模様の実物を初めて見て、感激しました。知っていることと、実際にそのものを見て納得するのは、大違いです。

 【下の写真】は、インドネシアのバリ島(Bali island)のリップルマークのものです。海底でできていた波の跡が、引き潮で陸上に出てきました。海に馴染みのない山国育ちの私には、とても貴重な大発見で、しかも、南緯8°の地平線から上ってきた朝日と共に、生涯忘れ得ぬ思い出となりました。

 

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朝の引き潮の海岸(バリ島)

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波打ち際にできた「リップルマーク」