北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(石堂層のイメージ)

          石堂層のイメージ転換

 平成7年8月10日の調査での出来事です。
 「アンモナイトかも知れない?」と苦労して採集した後、新三郎沢の中流部で、一休みしながら、蛇紋岩礫をめぐって論争している最中に、松川正樹先生が現れました。
 「ハンマーの音は、良く響きますね」と、3年ぶりに笑みを浮かべながらの登場です。モンゴルから帰国し、北海道での調査の後、東京の自宅にも帰らずに、その足で私たちの調査している場所を捜し出して、合流してくれました。しかも、右肋骨のけがを押してのタフネスぶりには、まったく頭の下がる思いです。

 ところで、宮坂 晃 さんが苦労の成果を鑑定してもらおうと、ニコニコしながら差し出した化石は、「巻貝が押しつぶされたものですね」と、一件落着でした。しかし、蛇紋岩礫については、疑問のまま残りました。(後述します。)

 この日の調査で、石堂層下部と最下部の様子が明らかになりました。
 抜井川上流部の支流・新三郎沢では、石堂層の直接的な「不整合面」は観察できませんでしたが、基底礫岩層はあり、蛇紋岩帯断層と接していることがわかりました。そして、蛇紋岩の分布する上流部には、海底火山活動を示唆するような地層(一部は乙父沢層に相当か?)が見られました。また、御座山層群の中には、レンズ状石灰岩層が取り込まれていました。結晶質の石灰岩で、肉眼レベルでは化石は見つけられませんでした。

 

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 翌日(8/11)は、棒向沢(ボーメキ沢)に入りました。
 沢を遡っての観察は、より下位の層準を見ていくことになります。下流部は、珪質の灰色砂岩が多く、泥が混じる黒色中粒砂岩層(二枚貝化石を産出)、黒色細粒砂岩層(シダ植物の茎と思われる植物化石を産出)、珪質で硬い暗灰色中粒砂岩層と続きます。

 そして、標高1160m付近に送電線が走っていて、この少し下流から、基底礫岩層が見られました。主にチャートと灰色砂岩礫から成る礫岩層で、「N30°W・20°NE」の走向・傾斜を示していました。
 一方、大きな礫の並びをみつけ、走向・傾斜を測定すると、「N25°W・38°NE」でした。

 ふたつの測定値は、ほぼ同じ傾向を示しますが、この内、傾斜の値が重要です。

 粒度の大きな礫の方が、急角度で北東に傾いています。逆に言うと、大きな礫の堆積面は、全体的な礫の堆積面よりも、南西側の方が高くなっていることになります。
 これは、礫が南西側から供給されたことを意味しています。実際、現在の河川が海との間に作る三角州のような所で、これと似た現象が知られています。これだけの情報で、結論を出すわけにはいきませんが、石堂層の基底礫岩層が、現在の方向で言うと南~南西側から供給された可能性があります。

 

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礫岩層の中の、礫の配列に注目する

 

 

 続いて、送電線のほぼ真下に、落差5mほどの滝があり、この造漠層が、基底礫岩層でした。円礫と角礫の両方があり、礫種はチャート・灰色砂岩・結晶質砂岩で、最大直径は5cmです。この少し上流から、連続露頭となります。礫の最大径は8×10cmの角のとれた礫でした。いくぶん礫の大きさが増していくように思われました。しかし、その上流の観察できた最後の礫岩層露頭では、粒度の最大経は、5×7cmと小さくなります。また、灰色砂岩礫が多くなり、粒度の小さな礫は角礫である傾向がありました。層序の下位の方が、礫の大きさは増大傾向にあると言えますが、単純ではありませんでした。

 

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石堂層の基底礫岩層の分布(ルートマップ)

           

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 石堂層の調査は、空白域のあった抜井川上流部にも及びました。
 そして、抜井川上流部から曲久保林道までを概観すると、不整合面は、蛇紋岩帯断層で切られたり、露頭で確認できなかったりして、観察はできませんでしたが、基底礫岩層の層準が追跡できることがわかりました。【上図】

 また、調査結果から、私たちにとって、石堂層のイメージを転換することになりました。
 私たちは、群馬県・間物沢川の石堂層や、都沢~抜井川中流部などの石堂層の観察から、『石堂層は、砂質の黒色頁岩層を主体に、二枚貝化石などを多産する』という印象がありました。しかし、それは石堂層の上部層のことであり、下部層はかなり砂が卓越していました。

 石堂層は基底礫岩層を伴い、下位の地層を不整合に覆います。
 推定層厚(200~350m)のちょうど半分ほどの下部層は、砂が卓越していました。砂岩層は、暗灰色~黒色中粒砂岩と珪質の灰色細粒~中粒砂岩から成り、わずかに黒色頁岩層を挟みます。珪質砂岩は、塊状で層理面がはっきりせず、水流による風化・浸食面は、黒色に変色して丸味を帯びます。この特徴は、下部瀬林層の珪質砂岩とほとんど区別できません。

 石堂層の上部は、砂質の黒色頁岩を主体とした砂泥互層で、泥質部分は、剥離性のあるものと、無いものがあります。砂質の黒色頁岩層は、粒度分類から厳密に言うと、細粒~極細粒砂岩ですが、剥離性が漸移していて区別できない場合もあります。それで、砂質の黒色頁岩としています。

 化石層準は、下部層と上部層の両方にあり、二枚貝や巻貝、アンモナイト(稀に)が産出します。一部の下部層では、シダ植物の葉や茎、炭化物などの植物化石も見られます。ですから、石堂層は基本的には海成層ですが、最下部では陸域の影響もあった浅い海の時代があったのかも知れません。

 このように石堂層の特徴をとらえると、乙女ノ滝のすぐ上流部(三段の滝)の礫岩層は、石堂層の基底礫岩層に相当すると考えて良いのではないかと考えました。石堂橋付近の、謎の多いブロックの構造を解明する手がかりのひとつにもなりました。

 

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三段滝(抜井川本流)

 

   【三段滝】の説明
 「乙女ノ滝」の上流に三段滝がある。正式名称ではないが、形状からそう呼ぶ。抜井川の流路が著しくヘアピンカーブする部分は、硬い礫岩を主体とする粗粒岩からできている。化石多産で知られる石堂橋の西側崖露頭の層準問題と共に、わかり難い地形である。
 三段滝は、石堂層基底礫岩層に相当する礫岩層である。滝の西側(写真右手前側)、三段滝と乙女ノ滝の間を推定断層「乙女ノ滝断層」が通る。
 写真は、一段目の滝の右岸を登った所から、二段目の滑滝と、三段目の滝を写した。

 

   【編集後記】

 今日も、載せてみようと思った「乙女ノ滝」の下の大きな岩の上で修行僧の真似をした写真が見つからないので、本文とは無関係ですが、「空の断層」写真で代用します。

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空の断層?

 トリック写真でも、カメラの故障でもありません。肉眼で見たものより、鮮明さは薄れますが、空の右と左で、青空の色が違います。完全な一本の線(境)ではありませんが、明らかに空気の塊に、例えば気温の違いというようなものがあって、光の屈折の違いが、差となっているのかもしれません。

 「虹(にじ)」の場合は、水滴がプリズムになって、太陽光を七色に散乱(分光)させますが、この現象の場合、空気の性質の違いだけなのか、青色の濃淡の違いとなっていました。もうひとつの可能性として、かなり高層に雲があって、それによる太陽光にベールがかかっていたとも・・・というのは、どうでしょう。でも、それにしては、境が綺麗すぎるように思います。

 それにつけても、記録写真は、しっかりと整理しておいて、使いたい時にすぐ出せるようにしておきたいものです。       (おとんとろ)