北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(軟弱砂岩・後半)

   「軟弱砂岩」の枕状溶岩説

 軟弱砂岩の正体として、さらに、「枕状溶岩(pillow lava)」ではないかと考えています。実は、白井層後背地の候補地と考えても矛盾しない場所に、枕状溶岩があるからです。【抜井川上流部ルートマップ】を参照。

 

 

 

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 茨口沢の対岸(南側)に、新三郎沢(しんさぶろうさわ)があり、この沢の調査をしました。抜井川本流との合流点から遡ると、石堂層の砂質黒色頁岩層・珪質砂岩層・基底礫岩層と分布しています。そして、標高1235m付近から蛇紋岩が現れます。この蛇紋岩を含む範囲は、佐久地方白亜系の南縁を区切る断層が走っていて、蛇紋岩帯断層としています。この南側、沢の標高1255m付近の右岸に、枕状溶岩の露頭があります。
【写真・左と説明図、および、抜井川上流部ルートマップ】を参照。

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 勿論、この露頭からと言える訳ではありませんが、白井層後背地の候補地として、従来、御座山層群(先白亜系)とされている場所に、枕状溶岩があるということは、類似した露出が当時の陸域にもあって、それが軟弱砂岩の正体である可能性は、大きいと思います。 
 この沢は、ここから上流の標高1310mにかけて、レンズ状の結晶質石灰岩塊を取り込んだ砂岩層と、火山角礫岩・凝灰角礫岩などの海底火山起源の堆積物から成る地層があります。
 全体は、岩相から大きくふたつのグループに分けられ、周囲の地質構造から見て、南側(上流部)が下位層となり、下流側の上位層は、石堂層に不整合で覆われています。
(新三郎沢は蛇紋岩帯断層で接しているが、西隣りの棒向沢では、不整合関係で接する。)
 下位層は、凝灰角礫岩層が多く、青緑~緑色を帯びた火山灰堆積物の変質された地層が挟まります。上位層は、火山角礫岩層が多く、枕状溶岩も観察できます。
 「我田引水」とは思いますが、まさに、白井層堆積盆に、凝灰質な砂礫を供給した後背地の条件に、ぴったりと当てはまります。緑色岩類を含むことで知られている、群馬県側の「乙父沢層」に対比できるのかもしれません。

 

 もうひとつの「軟弱砂岩」

 

 軟弱砂岩は、白井層だけの専売特許ではありません。【白井層分布】で、「◎」印をした2箇所、または同じ露頭ですが、【抜井川上流部ルートマップ】の「Nan.ss」で示した抜井川本流でも見つけました。この層準は、石堂層の比較的上位層準に当たります。

 石堂層は白井層堆積盆を飲み込み、全体を覆うように堆積しているので、白井層に一次堆積した軟弱砂岩が、二次堆積したとは考えられません。そこで、石堂層への供給のされ方も、白井層後背地の一部が陸化したまま存在し、そこから枕状溶岩塊が運搬され、砂岩層に取り込まれたと思われます。
 しかし、軟弱砂岩の存在頻度から見て、軟弱砂岩が白井層に特徴的に見られる現象であることは、確かです。

 【編集後記】

 

 本文で紹介した「枕状溶岩」露頭の拡大写真です。枕状の名前の由来のように、いくぶん細長い枕や米俵のように見えるものが、典型的なもののようです。ここのは、それらの特徴や急冷縁も見られませんでした。

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 【写真―下】は、平成24年に、長野県大町市から仁科三湖を経て、姫川沿いに下り、糸魚川まで、フォッサ・マグナ(大地溝帯の構造線)を見に行った時、途中で撮した露頭です。人工的に、多角形の石垣を積んだように見えます。また、一部は、一端固まったものが破れて、当時の重力方向へと垂れ下がっている様子もみられました。

 

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  また、枕状溶岩と言えば、こんな思い出もあります。米国の記録映画で、ハワイ島の火山から流れ出した溶岩流が、海中で転がるように進んでいきながら、破壊されたり、固結したりしていく様子を見ました。そして、枕状溶岩の実物を大学の地質実習(巡検)の旅で見ました。
 北海道根室半島の花咲岬で、大きな枕状溶岩と節理を見て、感激しました。もう、ずいぶん昔のことになりましたが、今でも「海霧が濃霧だった」のと共に覚えています。
 海底へ玄武岩質溶岩が流れ出て、海水で急に冷やされ、固結する時に周囲から亀裂が入ったものが、ちょうど大きな車のように見えるので、「車石」と呼ばれているようです。 

                            (おとんとろ)