北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(蛇紋岩帯―3)

5.蛇紋岩と黒瀬川構造帯について

 1994年(平成6年)、さいたま市(当時の浦和市)で、地団研埼玉大会が開催され、中・古生界プレシンポジウム『関東山地はどこまでわかったか』が行わました。その成果が、世話人会でまとめられ、地球科学49巻(1995年)で発表されました。
 私たちの調査している山中地域白亜系の話題も含まれています。
 【図・下】は、地球科学『P22の第1図』に色付けし、従来佐久地方で呼称されている地層名を付け加えたものです。
 この章に関係する内容に話題に絞り、詳しくは、後述します。

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関東山地の地体構造区分 と 佐久地方の地層

 

(1)関東山地の大きな地質区分(地体区分)として、概要は、北側から以下のような配列になると説明しています。

 領家帯・中央構造線・三波川帯・跡倉ナップ群・御荷鉾(みかぶ)構造線・秩父累帯北帯・南縁帯・黒瀬川帯・秩父累帯南帯・仏像構造線・四万十累帯です。

 従来の見解と違う点は、「五日市-川上線」が、秩父帯と四万十帯を分ける構造線とされてきましたが、両帯を分ける仏像構造線の一部ではなく、四万十帯の中の構造線であると考えられていることです。

(2)中央構造線(MTL) に相当する構造線は、佐久側から、「内山断層」・「大北野-岩山断層」・「牛伏山断層」へと延び、さらに、「平井断層」・「奈良梨断層」と続いているのではないかと考えられています。

(3)「跡倉ナップ(nappe)群」という聞き慣れない地層があります。
 【写真・下】は、信州理研主催の「信州自然学」下見の折り、伊那市髙遠の美和湖付近での「中央構造線露頭」を観察した後、それの断層が南に延びる方向を映したものです。
 私は、日本列島の帯状配列に関して、領家帯/中央構造線/三波川帯という単純配列をイメージしていましたが、そうではないようです。P44の「内帯と外帯への衝上の後、内帯上部が浸食され、下位の領家帯が露出した」との説明のように、もう少し複雑な要素があるようです。

 『跡倉ナップは二畳紀石英閃緑岩・白亜紀トーナル岩類・白亜紀跡倉層・古第三紀溶結凝灰岩などの多様な地質体からなる。三波川帯とは低角の跡倉断層により境され、南縁は、御荷鉾断層により秩父累帯北帯と境される。跡倉ナップは、北から順に、「領家南縁帯・南部北上帯・阿武隈帯・黒瀬川帯」に区分され、それら全体として、かつて領家帯と三波川帯の間に存在した地帯である古領家帯に相当すると思われる。』と説明されています。≪前出の地球科学・P20から引用≫

 つまり、美和湖付近で見た「領家帯と三波川帯が、直接接している中央構造線露頭」で失われていた一部分は、跡倉ナップ群などであることを示唆しています。

 ところで、私たちが調べた「大月層」が、跡倉ナップ群に相当するのではないかと説明されています。観察記録等は後述しますが、単純な白亜系ではなくて、疑問に感じていましたが、そう言われてみると、少し納得できるような気がします。

 

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中央構造線が通る分杭峠美和ダム湖(伊那市高遠から南側を望む)

 

(4)佐久側の従来、呼称されていた地層は、以下のような区分と考えれば良さそうです。

 ○大月層(別名・初谷層/白亜系)・・・・・・・跡倉ナップ群
 ○海瀬層群(中古生層)・・・・・・・・・・・・秩父累帯北帯
 ○山中地域白亜系(蛇紋岩帯を含む)・・・・・・黒瀬川
 ○御座山層群(先白亜系・中古生層)・・・・・・秩父累帯南帯
 ◆天狗山層群と合羽坂層の北部(中古生層)・・・秩父累帯南帯
 ◆合羽坂層群の北部(中古生層)・・・・・・・・秩父累帯南帯
 ◆合羽坂層群の南部(中古生層)・・・・・・・・秩父累帯南帯
 ◇川上層群(白亜系)・・・・・・・・・・・・・四万十帯
 ○高登谷山層群(白亜系)・・・・・・・・・・・四万十帯

 脚注 ① ( )の中の時代は、従来の解釈を示す。 

    ② ◆と◇印の地層は、地層区分が大きく変わったもの。

    ③ 中古生層とされてきたものは、区分定義が曖昧であった。

 

 私も含めた諸先輩が著した「南佐久郡誌」で呼称していた地層区分は、それまでのものを踏襲しましたが、「天狗山層群と合羽坂層群・川上層群」の一部が、大きく変わっています。

(5)山中地域白亜系は、「黒瀬川帯」に属すことになりますが・・・。

 日本列島の大まかな地質構造区分で言うと、私たちの調査域は、西南日本外帯・秩父帯に属します。さらに、秩父帯を「秩父累帯北帯」・「黒瀬川構造帯」・「秩父類帯南帯」の3つに分けた時の、黒瀬川帯(構造帯)と呼ばれる区分になります。一体、黒瀬川帯というのは、何なのでしょう。 一般的な解説は、以下のようです。

 

   黒瀬川構造帯(くろせがわ・こうぞうたい)】
 西南日本の外帯・秩父帯に、周囲の堆積岩とは異質な花崗岩や変成岩が、蛇紋岩と共に分布することは、古くから知られていましたが、『黒瀬川構造帯』として、注目されるようになったのは、市川浩一郎・石井健一・山下 昇 ・中川衷三・須槍和巳の5名の精力的な研究によります。

 黒瀬川構造帯は、西は九州の八代から四国・紀伊半島を経て、関東山地に至るまで、
南北の幅は数km以下ですが、東西方向への延長は、1000km以上にも達する大断層です。破砕された蛇紋岩の中に、火成岩・変成岩などの基盤岩類や、シルル紀デボン紀の堆積物が取り込まれ、「蛇紋岩メランジェ(メランジ)帯」とも呼ばれます。

 近年、四国にも海洋プレート起源の岩石から成るジュラ紀付加体が広く分布していることがわかりました。しかし、黒瀬川構造帯に接する地域に限って、貝化石を含む礫岩層や黒瀬川帯の岩石を起源とする地層が分布していることが明らかになってきました。このことと、黒瀬川構造帯には、大陸の基盤岩類と推定される岩石が分布していることを考え併せると、かつて小大陸が存在し、そこに起源があるのではないかという説もあります。黒瀬川構造帯と、近接する地域を合わせ、黒瀬川帯と呼び、その起源と考えられる小大陸を「黒瀬川古陸」と呼んでいます。そして、この小大陸が、現在のような蛇紋岩を伴う構造帯となったのは、白亜紀以降と推定されています。

 

 佐久地域の観察によると、山中地域白亜系は、蛇紋岩体や御座山層群と、断層や不整合関係で接しています。御座山層群は、主体はジュラ系と思われますが、化石情報から古生代の岩石も取り込んでいるようです。古くは「秩父古生層」とも呼ばれ、私たち素人は、先白亜系と呼び、「中古生界」的扱いをしてきました。

 しかし、「黒瀬川古陸」の話題は、ひとまず置いておくにしても、前述の情報を総括すると、①佐久地域に分布する蛇紋岩は、南側に分布する御座山層群の一部と合わせ、蛇紋岩メランジェと言えそうである、②黒瀬川構造帯と接し、貝化石を含む層準とは山中地域白亜系そのものであろう、③白亜系は「蝦夷層群」のように、前孤海盆の堆積物層である可能性が高い、(新たな知見です・・・・どうなのか?)

④堆積時代の一致から、北海道の蝦夷層群の西側に広がる川端層(かつてのモラッセ相)から、本地域の北側に展開する内山層との関連を連想できます。
 「内山層」は、本地域に続き調査し、さらに北へ、内山断層を越えた新第三系の調査へと展開していますので、後日、報告します。

 そうなると、先白亜系と概括している御座山層群との関係や、蛇紋岩についての調査・考察が必要になってきます。

 

【編集後記】

 本文で紹介したような内容となると、字面の理解はできても、どうも私たちのような素人には、本当の内容は勉強不足でわかりません。

 この白亜系の調査の後で取り組んだ内山層(新第3紀中新統)を調べる頃から、現在の地層分布も、日本列島自体が地質時代を通じて移動してきているので、「地層が堆積した当時の、方向はどうなっていたのだろうか?」という疑問を持つようになりました。それで、山中地域白亜系も、現在の方位から、反時計回りに90°近く回転して考えてみるようにもなりました。(後日、話題にします。)

 ところで、中央構造線に相当するのが、「内山断層」とすると、私の自宅のある所は、内帯?、それとも外帯?・・・という疑問も生まれます。

 内山断層の西への行方は、わからなくなりますが、諏訪地方で、中央構造線は湾曲していると推定されているので、ほぼ延長ゾーン上で、どちらかと言うと、太平洋側に近いのかもしれません。だから何と、言われても困りますが、自分の住んでいる場所の地球の歴史には、興味が湧いてきます。     (おとんとろ)