北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(蛇紋岩帯―4)

6.蛇紋岩礫を求めて

 山中地域白亜系の南側は、多くの箇所で先白亜系や蛇紋岩体と断層で接していることがわかりました。そこで、この断層を「抜井川断層」と命名しました。また、南北性の断層(白亜系堆積後の活動)によって切られているので、それ以前に断層が形成されたと考えていました。
 平成8年度、蛇紋岩は大きな地質構造と見なした方が良いのではないかと考え、蛇紋岩の露出する北限から、分布が確認できる範囲までの幅をもたせ、「蛇紋岩帯断層」として扱うことにしました。ただし、根拠のないまま、形成時期は、白亜系の堆積後だろうと、安易に考えていました。

 しかし、植田勇人先生の神居古潭帯「蛇紋岩メランジュ」の説明(前述P45)や、黒瀬川構造体に関する内容(前述P48)によれば、蛇紋岩帯断層の活動時期は、白亜系堆積の時期と同時期の可能性もあります。ある限られた時期に蛇紋岩メランジェが上昇し、それが止まってから、再び白亜系が堆積したことも想定できます。地質学的な時間スケールを無視して、想像をたくましくすれば、白亜系の堆積輪廻で、浅海性または陸化した瀬林層の堆積時期を境に、蛇紋岩メランジェの上昇が止まったとする新説も生まれそうです。
 または、白井層「軟弱砂岩の正体」で話題にしたように、先白亜系の一部(海底火山活動堆積物)を蛇紋岩メランジェと一連のものと解釈するならば、白井層後背地として存在していたことも考えられ、上昇時期は白亜系堆積前の可能性さえあります。

 植田先生のWebsiteと出会うまで、『蛇紋岩の固体貫入』の意味がわからなかったので、放置したままの論文がありました。主に群馬・埼玉県側の最近の研究によれば、次のような情報があります。

 

①『蛇紋岩起源の砕屑物(蛇紋岩片やクロムスピネル粒子など)が、白亜系礫の中に含まれ、しかも、現在分布する蛇紋岩体に向かって増加している。』 (荒井章司・久田健一郎/1991)

②『乙父沢(おっちざわ)層の緑色岩と蛇紋岩は、密接な関係があり、複合的岩体を形成している可能性が高い。そして、蛇紋岩は、石堂層の堆積時(128~126Ma)に固体貫入した。』(久田健一郎・荒井章司/1986)

③『乙父沢層の緑色岩類は、K-Ar年代(120Ma)から考えると、蛇紋岩と同時期の噴出物で、クロムスピネルの組成変化トレンドからみて、島孤火山的性質ではなく、ホットスポット的要素(MORB)のあるマグマ起源のものかもしれない。』 (石田 高 ・荒井章司・石渡 明 ・久田健一郎・松沢真樹/1992)

④『山中層群(山中地域白亜系)の南側の蛇紋岩の分布形態から、左横ずれの断層運動をした。』(久田健一郎ほか/1987)

 

 私たちにも理解できるように換言すると、①蛇紋岩の固体貫入時期は、白亜系の堆積後の出来事ではなく、石堂層堆積時に、既に始まっていたと言います。

 ②乙父沢層の緑色岩類は、岩石学的な分析によると、例えば、今日のハワイ諸島の火山島にマグマを供給する「ホットスポット」のような環境にあったのではないかと言います。私たちは、乙父沢の具体を知りません。しかし、従来、秩父累帯南帯に区分されていて、海底火山活動起源の地層であるという点から類推すると、位置関係や岩相から、乙父沢層は、新三郎沢層として新たに提唱したい層準に良く似ています。

 ③『蛇紋岩の固体貫入と乙父沢層の緑色岩類は、複合的である』の意味がわかりません。蛇紋岩メランジェを形成した一連のものと言う意味なのでしょうか?

 緑色岩のK-Ar年代(120Ma)が、蛇紋岩の固体貫入(=石堂層堆積時期・128~126Ma)と、同時期と述べている点です。
 K-Ar年代測定の誤差範囲という意味ではないはずですし、固体貫入時期に、幅があることを意味しているのかもしれません。つまり、蛇紋岩が、まだ地殻深部にあった時期と、周囲が浸食され、地表に露出するまでの差というのなら理解できます。その間隔が、600~800万年間にも及ぶというのでしょうか。

 ④重要な情報で、白亜系が堆積する前に、断裂帯のようなものに沿って、海底火山活動や蛇紋岩の固体貫入があり、蛇紋岩は、既に、白亜系に堆積物を供給するような高まりを成していたのではないかという意味のようです。その結果、蛇紋岩起源の鉱物の広がりから、白亜系堆積盆の後背地に蛇紋岩体が露出していたと推定でき、白亜系の中に蛇紋岩礫が見つかることもあると、述べています。

 これらの情報は、岩石学的・鉱物学的手法で研究している専門家が言うことで、しかも、K-Arによる絶対年代測定の話題が出てくると、私たちには手に負えない話になってしまいます。

 しかし、極めて貴重な情報なので、私たちは、既に調査した資料の見返しと、白亜系と蛇紋岩分布域の境目に注目して、再調査することにしました。特に、蛇紋岩礫なら、私たちにも見つけられる可能性があります。

 

(1)新三郎沢と棒向沢の調査の見返し

 新三郎沢では、下流側から観察していくと、石堂層の基底礫岩層、蛇紋岩帯と続き、標高1255m付近の小さな沢の二股から下流へ5mの地点で、枕状溶岩流の堆積層が観察できました。【下図の①地点、写真の説明図参照】

 

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新三郎沢~棒向沢のルートマップ

 見かけ上、下位にある層準から、青色を帯びる凝灰質中粒~粗粒砂岩層、玄武岩質溶岩層、枕状溶岩を含む玄武岩質溶岩層の順番に重なっています。枕状溶岩は、特徴的な割れ目は無く、急冷周縁相は見られませんでした。また、固結時の重力示唆するような溶岩の変形も観察できません。

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 これより上流側にも、同質の火山角礫岩層が分布しています。そして、標高1300m付近には、結晶質石灰岩の大きな岩塊があり、その周囲を青緑色~緑色の凝灰岩層と火山角礫岩層が覆っていました。この日の調査の目的は、白亜系であったので、この後、標高1310m付近まで、さらに火山角礫岩層(主)と青緑色~緑色の凝灰岩を含む凝灰角礫岩層(従)からなる分布を確認しただけで、調査を終えました。新三郎沢の更に上流部のデーターを得られなかったのは、悔やまれます。

            *  *  *  *

 一方、棒向沢では、蛇紋岩帯の北側に、新三郎沢と同じ岩相が観察できました。
 石堂層の基底礫岩層に続き、標高1170m付近の本流へ南から流入する小沢の合流点で、火山角礫岩層が見られます。これより上流側にも、同じように南から流入する小沢が棒向沢の本流と二股を作っている場所があります。そこで、標高1170m付近を第1沢と呼ぶことにしました。【図-②】以下、合流順に、第4沢まで命名しました。

 第4沢【図-③】は、本流が南に曲がる地点と一致し、合流部はわかりにくいですが、4つの沢は規則正しい間隔で合流し、それぞれの二股で、火山角礫岩が認められました。沢の流入する方向が地層の走向と一致するのか、それとも浸食に弱い部分があるのかわかりませんが、規則正しい分布には、何らかの意味があるのではないかと、思いました。
 第4沢の上、棒向沢が南に向きを変えた標高1210m付近の西側の崖に、蛇紋岩体が露出しています。上流・下流側に比べ、川幅が広く勾配が緩やかになり、特に、右岸側が開けているので、浸食に弱い蛇紋岩の貫入(蛇紋岩帯断層)が東側からつながっていると思われます。蛇紋岩の分布は、かなりな幅(新三郎沢では約250m)で、ほぼ東西方向に連続しているからです。しかし、上流部には点在するものの、棒向沢でのまとまった分布は、西側の崖だけで、露頭幅10mもありません。(堆積岩と違い、走向・傾斜という言い方はしません。ほぼ垂直に近い分布なので、ここで幅というのは、層厚に相当します。)

 蛇紋岩の分布幅にこだわるのは、蛇紋岩帯としては薄すぎるからです。必ずしも蛇紋岩帯が、東西性の蛇紋岩帯断層に沿って連続しているわけではありませんが、途切れたり、薄くなったりするのは、全て、周囲の地質構造から説明できます。そこで、ここに断層の存在を疑っています。(ルートマップの中の点線部分です。)   
 そして、すぐ上流(【図-④】)に先白亜系と思われる地層が出てきました。珪質の硬い砂岩、石墨化した泥岩、灰色硬砂岩、青緑色中粒砂岩、黒色泥岩などの地層から構成されています。鍵掛沢で見られた岩相と極めて良く似ているので、先白亜系だと考えました。

 ここからが、問題を含んだ地域です。
 ひとつは、標高1230m付近(【図-⑤】)の小さな滝の連続している灰色砂岩層に、「蛇紋岩の成分が染み込んだように見える」露頭があります。肉眼で見えるので、成分という表現は不適切ですが、火成岩の貫入岩の熱水が砂岩粒子の間に染み込んだような産状をしています。蛇紋岩の礫が取り込まれたものなのかどうかは、大きな問題を残しています。同様な蛇紋岩の産状が、標高1260m付近(【図-⑦】)の黒色頁岩層でも認められます。南東から流入する沢の合流点と、西南西から流入する沢の合流点の間です。

 ふたつめは、標高1245m付近(【図-⑥】)で、青緑色を帯びる凝灰質砂岩と、少し上流で、火砕流堆積物からなる地層が見られます。 

 みっつめは、標高1285m付近(【図-⑧】)で、「染み込んだように見える」蛇紋岩の産状を示す黒色泥岩層と凝灰質砂岩層・珪質の灰色細粒砂岩層から成る構造不明部分があります。特に、黒色泥岩の中に、蛇紋岩(serpentinite)と輝緑凝灰岩(schalstein)が、もまれているように入っています。・・・・・これは、鍵掛沢上流部、標高1220mの二股を南東に入った沢の、標高1280m付近で観察される露頭と、産状・岩相ともに類似しています。鍵掛沢上流部と棒向沢上流部は、大局的には、一連の堆積構造ではないかと考える根拠です。
 構造不明な地層の観察できる地点から上流は露頭が少なく、途中に珪質な灰色中粒砂岩から成る小さな滝が二ヶ所と、蛇紋岩の露出を見るだけで、白井層の分布域となります。

 

(2)都沢の蛇紋岩露頭付近の見返し

 都沢では、白亜系と蛇紋岩帯が、断層で接していると解釈していますが、露頭の中には、両者が直接に接している部分もあります。

 都沢の標高1020mの二股を左股に入ってすぐ、南に伸びるカワラ沢との合流点から東へ約15mの地点で、蛇紋岩は砂泥互層と接しています。暗灰色中粒砂岩の中に、黒色頁岩片、軽石片とともに、蛇紋岩片(?)が含まれていました。ここで、「?」としたのは、「蛇紋岩の成分が染み出たような産状」をしているからです。ちなみに、白亜系は三山層です。

 この「成分が染み込んだような」という曖昧な表現は時々登場しますが、貫入岩の熱水が、砂粒子に染み込んでいるように見える産状のことです。ただ、蛇紋岩は、風化・浸食に弱いので、角礫のまま残っていることは少ないでしょう。だから、礫の状態で堆積物となった後、周囲の地層に染み込むようにして成分が移動したのかもしれません。

 また、白亜系の中に蛇紋岩体も認められます。ひとつは、臼石橋から上流側へ3本目の無名沢・標高1045m付近(高さ10m×8m幅)で、鍵掛沢断層を推定した場所です。こちらも三山層になります。

 もうひとつは、大野沢の上流部・標高1110mの大野沢林道露頭(砂泥互層中)です。こちらは、蛇紋岩体というより、染みこんでいるという産状で、瀬林層のシダ化石を含む層準付近に当たります。

 これらは、地層の中に含まれているもの(堆積性)なのか、断層によって下から持ち上げられてきたもの(断層性)なのかという意味では、判断ができません。いずれにしろ、白亜系分布域の南側に蛇紋岩帯があり、白亜系の中にもわずかながら存在しています。今後の課題として残ります。

 

(3)蛇紋岩礫に関するまとめ

 白亜系と蛇紋岩帯との境付近に注目した調査でしたが、白亜系(瀬林層と三山層)の中に、蛇紋岩起源の物質があることは事実ですが、それが流水で運搬された堆積物でかどうかは、不明です。データが少ないのと、やはり肉眼レベルでは非力です。しかし、三山層の中に蛇紋岩礫が含まれている可能性は、あるのではないかと思いました。

 そこで、以下のようにまとめます。

① 三山層堆積時に海進があり、固体貫入後、地表に露出していた蛇紋岩の一部は、堆積物として三山層に供給された可能性は、あるのではないか。


② 蛇紋岩の重要性から、単独の貫入した岩体として扱うよりも、「蛇紋岩帯」としてブロックで考えた方が良いだろう。
・・・「蛇紋岩メランジェ」との考えに立てば、先白亜系とした御座山層群の詳細な調査が必要で、特に、蛇紋岩帯断層とした「南限」の扱いには課題が残る。

 

【編集後記】

 結局のところ、「蛇紋岩メランジェ」のような固体貫入の時期がいつかは、確かめられませんでした。ただ、本文中の論文での指摘のように、私たちが「蛇紋岩帯断層」と考えている内容は、地層ができてから、それを断ち切るような動きをしたのではなく、地層の堆積(形成過程)を起こすような地殻変動と連動して起きていたというイメージを抱かせてくれます。

 

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泥質メランジェ(尾滝沢)

 ところで、「メランジェ」とは、ドイツ語やフランス語で、「混ぜる」ことや、「混ぜた飲み物」を言うようでが、地質学でも、その言葉を使います。

 「メランジェ」大体の意味は、「様々な岩石が破壊されたり変形したりして、混ざった状態にあること」です。地すべりや土石流、断層運動などで元からあった岩石が混合してでき ると考えられていますが、特にプレート沈み込み帯で形成される付加体に見られるものを メランジュと呼んでいます。 

 【写真・上】は、内山川の支流・尾滝沢で観察された「大月層」の泥質部分です。(他の機会に、改めてもう少し詳しく紹介します。)「大月層」は、「跡倉ナッペ」と同じ内容と言われています。元の泥が細かく剪断されたような、何らかの強い圧力を受けたと思われる産状です。

 蛇紋岩も地下深くから、他の岩石(地層)と共に、強い圧力を受けて混ざりながら上昇してきたのでしょう。なかなかイメージし難いです。    (おとんとろ)