北海道での青春

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佐久の地質調査物語(瀬林層-2)

3.腰越沢の調査から

 腰越沢の入口は国道299号線に面していて、すぐに礫岩層が見られます。礫種は、白色~黒色チャートが主体で、花崗岩や、黒色頁岩の直径2~3cmの円礫です。入口から40m入った粗粒砂岩層の泥岩との挟みで、N65°W・20°Nの走向・傾斜でした。
 沢の標高960m付近では、下位から、(ア)灰色中粒砂岩層(1.5m)・砂質の黒色頁岩層(0.5m)・礫岩層(4.0m)【図-拡大】、(イ)明灰色細粒砂岩と黒色頁岩の互層N52°W・78°NE、(ウ)明灰色細粒砂岩層(小滝を形成)の層序でした。
 右岸からの小さな沢との合流点、標高970mでは、(エ)珪質の細粒砂岩層があり、黒色頁岩との挟みで、N60°W・80°Nでした。
合流点から上流では、(オ)黒色頁岩層N55°W・63°S、(カ)露頭幅5mの礫岩層、(キ)灰色中粒砂岩と黒色頁岩の砂泥互層N50°W・60°NEと続きます。
 これらの走向・傾斜を地質構造に反映させると、小さな向斜構造と背斜構造が考えられます。そして、(イ)と(ウ)の間に小断層が推定できました。右岸からの小さな沢付近の崖崩れ箇所とも関係ありそうです。

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腰越沢のルートマップ(地質断面図)


 沢の標高985m付近から(ク)硬い黒色頁岩層が出始め、沢の流路が急変します。ここに小滝が形成されています。上部瀬林層と下部瀬林層の境を、この(ク)地点としました。小滝の上流は(ケ)黒色頁岩と珪質の細粒砂岩の互層が続きました。

 標高1010m付近の互層では、N60°W・50°Sの走向・傾斜でした。その上流から標高1040m付近にかけて、(コ)珪質の明灰色細粒砂岩層が続きます。途中、同質の砂岩層から成る小滝(落差4m)も含め、下部瀬林層に特徴的な砂岩層だと思われます。そして、(サ)暗灰色中粒砂岩層(N60°W・70°N)までが、下部瀬林層の分布域と考えました。
 走向・傾斜を地質構造に反映すると、小さな向斜・背斜構造が考えられます。【図の断面図を参照】

 大礫(最大直径50cm)を含む内山層の基底礫岩層は、標高1050mの三股の少し下流、標高1040m付近から現れます。白亜系(下部瀬林層)との関係は、不整合関係です。沢の二股や三股などの地形は、地下の地質の様子を良く反映している場合があります。平成8年当時の三股は、標高1050m付近にあって、内山層と白亜系との境は1045mの少し下流の河床でした。標高で5mの差がありました。(cf 第4沢でも、差があり、地層の境は、水平幅で8m下流にありました。)

 内山層の基底礫岩層の上流では、明灰色中粒砂岩層(左岸からの小さな沢の合流、標高1070m付近)が見られ、その上位に黒色頁岩層が熱変成により粘板岩化された層準に変わりました。
 大野沢支流・第4沢では、基底礫岩層からすぐに黒色頁岩層に、岩相が急変したので、層序変化は多少違いますが、内山層の調査から、地域により両方のパターンが認められたので、堆積環境を反映したものと思われます。

 この上流部は、N20~30°W・20~25°Eと、安定した走向・傾斜で、黒色頁岩層の単斜構造が続きました。レンズ状に礫岩層が挟まったり、凝灰質中粒砂岩層の挟みもありました。
 沢の上流部、標高1180m付近では、貝化石を多産する層準がありました。二枚貝が主ですが、巻貝も認められます。沢の標高1190m付近で沢水は伏流してしまい、調査を終了しました。

 腰越沢の内山層は単斜構造ですが、内山層の中には、いくつかの褶曲構造があります。褶曲構造の軸方向は、南北性の断層によって切られ、しかも移動しているものもありますが、概観すると、基本的には、白亜系の褶曲構造軸と共に、現在の方向で東西性を示しています。しかし、白亜系の褶曲構造は、褶曲面が南に大きく傾いた横臥構造をしている場合もあるので、褶曲構造が形成された時期は、少なくとも複数回あり、二段階以上の形成過程があったのではないかと考えています。

 図の解釈では、白亜系の褶曲構造が先に形成され、その後で、内山層も含む地域全体の褶曲構造が造られたという考え方を採用しています。
 【注;地質断面図】沢の入口から内山層基底礫岩までは、N60°W方向に、そこから上流部は南北方向に、地層断面を切って作成してあります。

 


4.古谷集落北側の沢の白亜系と内山層

 (注)『第7章・山中地域白亜系の西端』で、別項を設けてあるので、詳細は、そちらを参照してください。
 「古谷集落北側の沢」と名付けた沢は、腰越沢の西約900m、白亜系分布域の西端に当たります。三山層から上部瀬林層・下部瀬林層・内山層が観察できます。
 上部瀬林層は、沢の標高960m~990m付近に分布しています。結晶質の灰色中粒砂岩が多く、礫岩層を挟みます。チャートの角礫を含むのが特徴で、最大径12cmの結晶質砂岩の大礫も含まれていました。標高990m付近では、砂質の黒色頁岩層があり、熱変成されずに、層理面を良く残しています。ここが瀬林層の上部と下部の境目です。
 下部瀬林層は、沢の標高1005~1010m付近の二股にかけて分布しています。
 標高1030m付近の粗粒砂岩層(コングロ・ダイクを含む)から上流が内山層分布域です。黒色頁岩が熱変成された粘板岩から成る水平距離で30mの滑滝(なめたき)には、層厚4mの礫岩層が挟まれています。また、二股には露頭幅15mの礫岩層があります。いずれも、礫岩層は、最大直径が15cmのチャートや結晶質砂岩、硬砂岩の大礫を含み、径の小さいものも、全て角礫でした。他の沢の巨大な礫が、比較的、角のとれているのに対して、角礫が多いという特徴があります。

 

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古谷集落北側の沢(柏木橋

  
5.大野沢林道の瀬林層

 第2章『3.大野沢調査から断層群が見えてきた』で、別項がありますので、詳細は、そちらを参照してください。
 国道299号線から大野沢をまたぐ古谷大橋から入り、大上峠(おおかみとうげ)を経て、群馬県南牧村(なんもくむら)に至る道路を、大上林道と呼んでいます。峠の名前を初めて聞いた時、「オオカミ→大神→狼」と連想しました。大日向と上野国(こうずけのくに)を結ぶので、「大上」だと言われていますが、昔は本当にオオカミ(山犬)が出たのではないかと想像できるような山奥です。現在ではアスファルト舗装されているので、林道とは言え、オートバイクを使ってツーリングをしている若者たちに出会うようになりました。
 大上峠に至る約1km手前から分岐し、大野沢に沿って東側に「大野沢林道」が延びています。大野沢林道入口から「コンクリート壁」で覆われてしまった露頭までが、内山層の分布域です。コンクリート壁の中央部に、推定断層「四方原-大上峠断層」が走っています。
 そして、断層から東側、第6沢までが、上部瀬林層の分布域となります。第6沢の入口付近には、断層粘土が認められ、青味を帯びた灰色中粒砂岩と黒色頁岩の互層が乱れていて、ここを「大野沢断層」が通ると推定しました。断層の東側は、石堂層の砂質黒色頁岩層となります。
 周囲の関係から、上部瀬林層の全体が、大きな向斜構造だと思われますが、実際の露頭は複雑で、小背斜や小断層・滑り面が見られます。これらは内部での小褶曲構造と考え、西側のコンクリートから滑り面では背斜構造を採用し、東側は西落ちの単斜構造と解釈しました。

 

【編集後記】

 読み返して見て、本文中の平成8年当時の三股は、標高1050m付近にあって、内山層と白亜系との境は1045mの少し下流の河床でした。標高で5mの差がありました。(cf 第4沢でも、差があり、地層の境は、水平幅で8m下流にありました。)』という意味が、わかりにくいのではないかと感じました。補足説明をします。

 沢の調査をしてみると、本流と支流で二股や三股になる場所では、そうなる何らかの理由があります。多くは、地下の地質の事情を反映しています。様々なパターンがありますが、わかりやすいのは、滝を造る造瀑層です。堅い珪質砂岩やチャート、礫岩などの層があると、浸食されにくいので滝として残ります。

 この三股(二股)の場合は、滝ではありませんでしたが、本来の沢の合流点は、礫岩層との境目にあったと思われます。それが、沢水の浸食作用を受けて、削られで上流部に移動したという意味です。

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ジバチの滝(下から眺める)~熊倉川上流部~

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ジバチの滝(沢の合流・滝の上から下を見る)~滝の上が二股~

 奇妙な地形の例を紹介します。後日、地質調査物語の「内山層」で詳しく語る予定でいますが、自然地形的境を群馬県側に越えているものの、行政区分では佐久市に一部が属する「熊倉川(上流部)」という秘境があります。

 ここに、滝の上で沢が合流する二股があり、沢水は途中で一段を経て、本流に流れ込んでいました。無名の滝ですが、同行のNさんが、滝を登攀中にジバチの巣に触れて刺されたので、「ジバチの滝」と呼んでおきます。ちなみに、Nさんは、マムシ対策用に真空にして血液やリンパ液を吸い取る医療機器を持参していたので、毒素をすぐに吸い取ってしまいました。

 他の沢のブッシュ漕ぎで、ジバチに刺され、放置しておいたら、一週間も腕が足の太さに腫れたまま苦しんだ私とは、えらい違いです。     (おとんとろ)