北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(瀬林層-3)

6.大野沢支流・第5沢付近の内山層

 

 「ベリンジャー事件」という地質学の悲劇エピソードがあります。化石というものが、大昔に生きていた生物の遺骸であると、認識し始められてきた頃の話です。
 著名な博物学者ベリンジャー(Beringer)博士は、石灰岩層から化石を見つけては記載し、学会に発表していました。化石採集の度に同行させられ、地層を掘らされることに嫌気のさした二人の弟子は、石灰石に石鑿で疑似化石を掘って、発見されそうな場所に埋めておきました。ある時、石に刻まれた模様が明らかに生物ではないことに気づいた博士は、二人を問いただし、真実がわかったのです。既に、古生物の化石として世に出版してしまった書物を、ベリンジャー博士は、全財産と、残りの生涯をかけて回収したと言います。

                *  *  *

  実は、私たちも、似たようなことをしてきたと、ここに、白状しなければなりません。大野沢支流・第5沢と、それに沿って延びる大上林道の地層の一部を、石堂層だとして、平成6年度佐久教育に「ジャーナル」として発表しました。まあ、与えた影響はほとんどありませんが、間違えた背景には、次のような事情がありました。

 

(ⅰ)礫が混じる砂質の黒色頁岩層は、石堂層の同質の岩相と似ていた。

(ⅱ)第5沢の標高1055m付近に、レンズ状の灰色チャート層があり、造瀑層として滝を形成している。また、苔が付いて黒く見える砂岩は、結晶質の非常に硬い砂岩で、先白亜系に類似していた。そこで、滝の下の礫岩層を石堂層の基底礫岩層と考えた。

  ≪ただし、層厚の薄いこと・岩相には、疑問をもっていた。≫

(ⅲ)向斜構造があり、南翼に石堂層が分布しているので、その北翼に当たる当地にも、石堂層があるのではないかと推理していた。

 

 これらは、その後の調査や検討により、全て解決し、間違いであることがわかりました。後述するように、内山層の一部は、部分的に先白亜系よりも硬く、白亜系よりも古そうに見えることがあります。この地域の砂岩層の一部は、瀬林層などの珪質砂岩よりも硬く、緻密な結晶質の砂岩でした。(別項で述べていますが、矢沢の「クランク」構造の沢も、この類です。化石が発見されなければ、内山層とは思えませんでした。)

 

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大野沢支流第5沢付近(大上林道)のルートマップ

 

 大野沢林道の標高1010mから、大野沢支流第5沢に入りました。

 沢の入口は、石英や長石などを多く含むアルコース粗粒砂岩と砂質の黒色頁岩の互層でした。(【図-①】)
 アルコース砂岩(arkose sandstone)というのは、花崗砂岩とも呼ばれ、酸性~中性の火成岩やその変成岩が風化され、供給された堆積物からなる粗粒砂岩のことです。最近あまり聞かれなくなりましたが、地向斜~造山運動の後、隆起・浸食された砕屑物が周囲にできた堆積盆に、堆積した岩相の特徴です。走向・傾斜は、N10°W・80°Wと、ほぼ南北走向で、垂直に近い西傾斜を示していました。

 その上流10mに、凝灰質の明灰色中粒砂岩層で形成された滑滝(落差2.5m)がありました。軽石石英が押しつぶされていました。(【図-②】) 滝の上流は、風化すると黄土色となる凝灰質な粗粒砂岩と、砂質黒色頁岩の互層(N20°E・70°W)です。

 沢の標高1025m付近(【図-③】)では、露頭幅5mの礫岩層が見られました。最大径10cmの灰色チャートの亜角礫です。粘板岩や硬い灰色砂岩も亜角礫です。この少し下流にも、同質の礫が入る砂礫層が見られました。
 沢の標高1030m付近では、砂質の黒色頁岩層(NS・70~80°E)が見られました。これまでも垂直に近い急傾斜でしたが、ここで落ちが西傾斜から東傾斜に変わっています。【図-③と④の間】
 二股となる沢の標高1045m付近(【図-④】)に、最大径15cmのチャート円礫を含む礫岩層と、粗粒砂岩層が見られました。

 この上流から標高1055mの滝(【図-⑤】)までの間は、砂質の黒色頁岩と中粒砂岩の互層が点在し、標高1050mの露頭幅8mの互層では、NS・60°Eでした。

 大上林道側(右岸)からの枝沢との合流点手前、標高1055m(【図-⑤】)に、全体が粗粒砂岩でできた落差4mほどの滝【写真・下】があります。滝の上部は、結晶質の非常に硬い細粒砂岩で、チャート礫を含む礫岩層を挟んでいました。この滝が、非常に硬いので、平成6年に調べた時、大きな誤解をしていました。

 しかし、詳細に見ると、右岸側、滝の下1/3から右上方(左岸側)へ、幅30~50cmの白色~灰色のバンドが見えます。これは、結晶質の細粒砂岩層です。「レンズ状のチャート層(1994)」と記載していたものです。しかし、岩石を割って中まで見ると、チャート状部分は表面の2~3cmだけで、内部は結晶質の珪質細粒砂岩であることが判明しました。
 これは堆積後に再結晶したもので、明らかにチャート層でないことが理解できました。同時に、この極めて硬い地層が、内山層だとわかり、更に驚きました。(矢沢のクランクで話題にした内容です。)

 さらに、滝の上の平坦部・標高1062~1063mの範囲(【図-⑥】)でも、珪質の結晶質細粒砂岩層が見られました。ただ、一見チャートに見えた産状は、『チャート礫や珪酸分の多い礫などを含んだ砂岩層が、再結晶したものではないか』と推理するわけですが、本当のことはわかりません。特徴的な層準の延びを、大上林道でも確認できました。

 

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硬さから誤解していた小滝(第5沢・標高1055m)

 一方、大上林道での様子です。

 林道の北へ大きく湾曲する「ヘアピンカーブ」の東側(【図-⑦】)に、内山層基底礫岩層が観察できます。大野沢本流川底にも礫岩層を確認しました。対岸はコンクリート壁や木々で覆われていて、確認できませんが、基底礫岩層の延長は、対岸から三角点1165.3の西まで続き、四方原-大上峠断層によって切られているのではないかと推定しています。

 また、第5沢の支流(【図-⑪】)と、大上林道沿い(【図-⑫】)にも露出していました。
 林道沿いの路肩(【図-⑨】)では、二枚貝化石を産出する黒色頁岩と明灰色砂岩の互層がありました。分級が悪く凝灰質です。この層準は、大野沢本流でも、第5沢との合流点付近でも確認され、連続していると思われます。

 大上林道の標高1160m付近で、第5沢の標高1055mの滝を形成していた付近に対応する層準を確認できました。(【図-⑩】)

 

 コンクリート防護壁の東側の露頭は、滝と、その上流側に対応していると思われます。コンクリート壁の東側に、やや黄緑色を帯びた珪質の中粒砂岩層、小断層、礫岩層、黄土色風化の灰色粗粒砂岩層という順番で観察できました。(説明図や写真は無し)

 コンクリート防護壁の西側は、疑問の多い構造をしていました。【露頭スケッチ参照】
 【写真―下】は、露頭全体のイメージ理解と共に、右上に着目すると、楔型に現世堆積物が入っています。その左(西側)は、黒色頁岩と黒色細粒砂岩の互層の上に、西にいくぶん傾いた形で、小断層のようなものが入っています。 

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構造不明部り露頭(大上林道)

  【写真―下】は、砂泥互層と小断層部分(写真上の斜めに入る)の様子です。断層の上に黒色中粒砂岩層が、下位の砂泥互層とは非調和的で、交差するように乗っています。この産状を、新しい時代の地層が不整合で覆っていると解釈すれば、起こり得る地質現象ですが、上位の黒色砂岩層は、下位の内山層と同時代のものと思われます。それ故に、構造不明な奇妙な現象です。

 

 全体は、かなり地層が立った構造をしていますが、礫岩層(層厚3m+)付近を境に、西側の砂岩の互層部は西落ち、東側の砂泥互層部は東落ちになっています。

 また、凝灰岩層と砂岩の互層には、生痕化石のひとつであるバイオターベーション(bioturbation)と言って、底棲生物の這い回った跡が残されていました。礫岩の右側、砂岩層の表面には、蛇紋岩が付着していました。

 黒色頁岩と細粒砂岩の互層部からは、淡水性シジミ貝(corbicula)の仲間の二枚貝化石が見つかり、内山層であることが確認できました。

 平成27年8月21日に、再度確認の為に同じ露頭を見に行きましたが、木々に覆われ、露頭は隠されてしまっていました。今では貴重な資料です。

 

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小断層部分の様子




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露頭のスケッチ(大上林道)

 【編集後記】

  この構造不明部分は、今、見直してもわかりません。

(1)黒色頁岩と黒色細粒砂岩の互層の上、黒色砂岩層の間に、緩く西に傾いた断層のようなものがあります。この動きによって、同時代の地層がどこかから滑り落ちてきたとすると、ほとんど垂直で、不整合のような状態なので、まったく説明になりません。(2)「蛇紋岩が砂岩の表面に付いている」部分も、先に、蛇紋岩の礫の再調査で話題にしたものかもしれないし、断層に伴う地下からの影響なのかもしれません。

 ようするに、わかりません。

 ところで、一番、最後の写真は、一緒に調査をしたT先生(故人)の後ろ姿です。先生と歩いて観察した事実を、後世に伝えますと申し上げたら、きっと喜んでくれると思います。そう言う私も、元気な内に、まとめを残したいです。 (おとんとろ)