北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(瀬林層-4)

7.瀬林層のシダ植物化石について

 私たちの調査では、シダ植物化石は、次の5露頭で確認できました。

(ア) 大野沢の入口付近から大上林道沿いの ヘアピンカーブ奥の西側付近までの
3露頭、【図-①・②・③】

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大野沢(第1沢入口~ヘアピンカーブ付近のルートマップ)

 

(イ) 古谷ダム湖流入する「崩れ沢」の   標高1050m付近の・砂質の黒色   頁岩層から(シダ植物茎破片)、

(ウ) 大野沢の最上流部、大野沢林道が南に 方向を変える地点に懸かる橋の手前、 【大野沢最上流部の図参照】

 (ア)と(イ)は向斜軸面が南に著しく傾いた主向斜構造の北翼(ア)と、南翼(イ)に対応していると解釈しています。また、(ア)の3露頭【図-①~③】は、ほぼ同一層準だと考えられます。

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大野沢最上流部のルートマップ

 

(ア)大野沢の入口付近から大上林道沿いのヘアピンカーブ付近までの3露頭

 大上林道の入口(【図-①】)と第3沢入口から30m西の露頭(【図-②】)は、砂質の黒色頁岩層の中に植物化石が含まれていると確認できるものの、保存状態や形状はあまり良くありません。それでも、大上林道のヘアピンカーブの手前(【図-③】)露頭からは、植物化石を多産し、鑑定に耐えると思われました。

 そこで、昭和63年(1988)1月7日、渡辺正樹先生が、東京学芸大学に木村達明教授を訪ね、露頭(【図-③】)から採集した植物化石の鑑定をお願いしてきました。鑑定結果は、以下のようでした。

 

◎Cladophlebis geyleriana (Nathorst) YABE ・・・・・・・・・・・・・(30個)
クラドフレビス;シダ類・真正ゼンマイ科の葉に似た化石葉で、形態名であるの  で、数属の植物が含まれる。2回羽状葉、羽状は対生、または互生。
  主葉は顕著で、二次葉は種類により1~2回分岐する。外帯から多く産出する。

◎Gleichenites yuasensis KIMURA et KANSHA・・・・・・・・・・・(20個)
グレイケニテス;シダ類・ウラジロ科で、葉の中央に胞子嚢(のう)が付く。
外帯に特有で、後期ジュラ紀から前期白亜紀に多い。

○Onychiopsis yokoyamai (YABE) KIMURA e t AIBA ・・・・・・・・(5個)
 オニキオプシス;シダ類・ウラボシ科、現世のフユシノブに類似する。
 葉は細長く、尖っていて、葉脈が先端にまで達する。日本では、ジュラ紀から前期
 白亜紀に見られ、領石(りょうせき)植物群(外帯)に多い。

・Cladophlebis sp. cf. Cladophlebis acutipennis ONISHI ・・・・・・・・・(1個)
 ニルソニア;裸子植物・ソテツ綱。
・Nilssonia ex gr. densinervis (FONTAINE) BERRY ・・・・・・・・・・(1個)

○Zamites buchianus (ETTINGSHAUSEN) SEWARD ・・・・・・・・・・・(5個)
 ザマイテス;裸子植物・ソテツ綱。外帯の代表種である。

・Undetermined alga (所属不明な藻類)・・・・・・・・・・・・・・・・(1個)

 

           *  *  *  *

 

 上記のように鑑定されても、私たちには理解し難いので、少し調べてみました。
 ジュラ紀から白亜紀前期にかけて、日本周辺(北半球)に関わる植物区は、シベリア植物区ie,手取植物群(内帯)と、インド・ヨーロッパ植物区ie,領石植物群(外帯)のふたつに分けられています。日本の手取植物群と領石植物群は、ほぼ同時代の植物群(flora)ですが、ある程度の越えられない何か(例えば山脈か?)を隔てて分布していたグループで、気候区も異なっていたと考えられています。

 植物化石から見ると、佐久地域は、「領石植物群」に相当し、外帯であったとの鑑定結果でした。これは、シダ類の化石が多く、イチョウ目や球果類(マツ科・スギ科・ヒノキ科などの針葉樹)の化石が少ないという特徴とも一致します。乾期と雨期があるような気候環境(現在の気候区分では、サバナ気候)であったのではないかと推定されています。また、海洋にも近く、かなり低緯度(南方)にあったのではないかと考えられています。
 ただ、既に白亜紀には、それぞれの地域(内帯・外帯)が、日本列島に付加されていたとという考えが一般的ですので、白亜紀であれば、緯度の差というより、暖流・寒流というような海流による気候差が原因であったのかもしれません。ちなみに、白亜紀の地球は、汎世界的に温暖な気候であったことが知られています。佐久地域も、シダ類やソテツ類が繁茂する、今日の南国のような景観であったのだろうと想像しています。

 

(イ)抜井川支流・古谷ダム湖流入する「崩れ沢」の露頭

 「崩れ沢」というのは、私たちのフィールドネームで、無名沢です。

 平成4年の夏は、地学委員がそれぞれ多忙で、伴野拓也先生(故人)と私の二人だけで「スケート場の沢」~「イタドリ沢」までを調査することになりました。主目的は、抜井川に沿って延びる向斜構造の東側への連続を確かめることでした。ちなみに、「崩れ沢」命名の由来は、古谷ダム湖周辺に、当時の佐久町(現在は、八千穂村と合併し佐久穂町)が整備した遊歩道の木製施設が、腐って崩れていたからです。
 崩れ沢では、三山層に特徴的な「ストライプ層準」を確認した後、沢の標高1050m付近で、シダ植物の茎の部分と思われる植物化石を見つけました。標高1080mの上二股まで調査しましたが、珪質砂岩(転石)を認めただけです。下部瀬林層と解釈しました。

 

 【編集後記】

 大野沢最上流部調査(1995.10/29)の調査者名「由井」は、由井俊三先生(元北海道大学教授)のことです。大学を退官されて、故郷・佐久穂町に戻られた頃で、先生は、専門の鉱物・鉱床などを中心に地元の地質を調べておられました。

 先生に案内されて、鉄鉱山やクロム鉱床跡に行きましたが、一番印象深かったのは、金の産出に伴って晶出する「ズニアイト・Zunyte」という鉱物を教えていただいたことです。金鉱床の下盤に多いそうなので、その上の金(Au)は浸食されたのだろう。『金は、みんな日本海へ流れていったのでしょう。もう少し、前なら産出できたかもしれません。』と、先生のさりげない言葉を覚えています。ただし、もう少し前というのは、まだ人類が誕生していない時代のことになります。

 ところで、10/29の午後は、私たちが、わからなかった岩相(変成されていて、時代が古そうに見えた)について、見ていただきました。すぐに一件落着となり、古谷集落北側の沢の地質構造に確信がもてるようになりました。化石や鉱物について、たぶん普通の人よりは興味があると思いますが、私は、どうも苦手です。どちらかと言うと、褶曲構造や断層のような地形や地史に興味が向きます。単純、明快だからですかね? (おとんとろ)