北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(瀬林層-5)

(ウ)大野沢の最上流部・大野沢林道の橋の手前露頭

 橋の手前露頭では、【写真-下】のような砂泥互層部分があり、黒色頁岩層に植物化石が含まれていました。シダ植物の茎の部分のように見えました。
走向・傾斜は、「N76°W・75°N」と、高角度の北落ちでしたが、

【写真】の左側の厚い灰色中粒砂岩層と右側の黒色頁岩層の間に、ロードキャストが認められるので、砂岩層の方が下位になります。見かけ上、地層の上下関係が逆転していることになります。
 黒色頁岩が石墨化していたり、蛇紋岩が表面に付いていたりする部分がありました。
 全体の地質構造から、この露頭の東側に、「乙女ノ滝断層」を推定しています。

 

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泥岩層からシダ植物化石産出(大野沢最上流部)

 

 橋から南に延びる沢に沿った林道の切り通しでは、白井層が分布していました。
 黒色頁岩層/黒色頁岩と粗粒砂岩の互層(N60°W・70°NE)/明灰色中粒~粗粒砂岩層(級化層理が認められ、上下が逆転している)/砂泥互層/軟弱砂岩層/明灰色中粒砂岩層/礫岩層(二枚貝を含む)、境で「N60°W・70°NE」/粗粒砂岩~礫岩層(角礫)と、連続露頭が見られました。

 沢の左岸には縞状の礫岩層(3×4mのブロックかも?)「N40°E・60°NW」と異質な部分があります。全体は、「EW・80°S」の黒色頁岩を挟む縞状礫岩層です。
 これも、前述の切通し露頭とは、異なる構造となっています。そこで、下部瀬林層の化石層準層を含み、この縞状礫岩までを含む範囲を、同一ブロックと判断し、「乙女ノ滝」断層を推定しました。

 一方、林道の橋から、大野沢本流に入ると、合流点では、塊状(massive)で珪質の灰色中粒砂岩がありました。岩相は、下部瀬林層に似ています。「N60°W・70°NE」でした。その上流40mでは、同質の中粒~粗粒砂岩からなる滑滝がありました。水量が少ないので大きな滝にはなりませんが、造瀑層となる岩相です。ここまでを、植物化石層準を含む、下部瀬林層と考えました。

 左岸側からの小さな沢の流入する標高1120m付近では、「ストライプ」層が現れました。厚さ2~3cmの黒色頁岩と灰色中粒砂岩の縞模様を成す互層で、三山層に特徴的に見られたものに類似します。この上流に、黒色頁岩層と、粗粒砂岩層がありました。

 この沢の下部瀬林層と三山層が、走向も同じ傾向で傾斜も北東落ちであることから、層序に矛盾はありませんが、大野沢中流~上流部の調査から明らかになった大きな向斜構造を優先して考えると、不自然な三山層の存在です。しかし、特徴的な岩相は、三山層でしか見つかったいないので、データーを尊重して、地質図には小ブロックで入れてあります。

 

 そして、沢の標高1130mの二股の手前30m付近から、内山層の基底礫岩層が出始めました。礫種は、白色~灰色チャートが多く、最大径45cmの円礫でした。いくぶん青味を帯びた灰色中粒砂岩を主体とした砂礫層が見られた後、標高1140m付近では、径5cmと最大径の小さくなった礫岩層が見られました。第6沢で確認できた内山層の基底礫岩層は、第7沢では断層により途切れますが、この大野沢最上部の沢まで延びてきていました。内山層分布の南限を示しています。

 この林道の橋周辺では、いくつかの断層によって切られながら、白井層と下部瀬林層、三山層が接し、一番新しい三山層を内山層が不整合で覆っているという複雑な地質の見られた地域でした。《説明図幅と詳細説明は、『大野沢最上流部』(次の第6章)でします。》


8.瀬林層の下部層と上部層の境と、

  シダ植物化石層準の関係

   ~瀬林層の下部層と上部層の境をどこにするか? ~

 瀬林層の模式地「間物沢川」では、瀬林層の下部層と上部層の境は、塊状で珪質な砂岩から、砂優勢な砂泥互層に変わる辺りに設けていました。シジミ類(Costocyrena)が見られた層準は、上部層に属します。また、恐竜の足跡化石の見られる「漣岩」露頭も、上部層の最下部になります。つまり、海が最も浅くなった時期に相当し、汽水性の堆積環境になり、一部地域は陸化した可能性のある辺りを境目とし、そこが上部層の始まりとしています。

 この考えに立つと、佐久地域の「シダ植物化石を含む泥岩層」が、上部層と下部層の境目となるのは良いと思いますが、問題は、この層準を上部瀬林層の始まり(最下部)とするか、それとも下部瀬林層の終わり(最上部)にするかは、議論の分かれるところです。

 結論から先に述べると、『下部瀬林層のトップie,最上位層準』にしたいと思います。
 その理由は、次の点からです。

(ⅰ)佐久地域の瀬林層は、岩相の違いから【A】陸域に近い相、【B】やや沖合い相、  【C】さらに沖合相の3つの地域に区分できます。しかし、【B】や【C】地域の下部層から「Costocyrena」が見つかり、化石が異地性のものであると解釈しても、堆積盆自体が浅い海か、汽水性環境に近かったことが予想されます。この為、「間物沢川」のように、海水環境から汽水環境へと変化するような顕著な差となって現れ難いです。

(ⅱ)砂泥互層部も含め、泥相の方が珍しい瀬林層の中で、植物化石層準は泥相です。
【B】地域では、これに対応する泥相の層準が認められます。植物化石を産出する箇所は少ないですが、泥相という共通した岩相で、佐久地域の全域に広げることができそうです。

(ⅲ)泥相は、明らかに深海に堆積したものではなく、湖や河川デルタ・海岸湿地のような汽水域、内湾のように潮流の影響が少ない、浅い水深での堆積を示すのではないかと思われます。そこで、「海進」ie,堆積盆の沈降が始まり、上部層に閃緑岩や花崗岩の巨礫を堆積させる前の、ステージだと考えました。

(ⅳ)佐久地域の三山層は、典型的な黒色頁岩層というより混濁流堆積物層が多く、東側地域(群馬県側)と比べると、黒色頁岩層が、あまり発達していません。
 特に、県境付近一帯は、分布していません。堆積後に浸食されたと解釈することも可能ですが、東側地域との間を画する、例えば高まりのようなものがあって、元々薄かったか、堆積しなかった可能性も大きいです。いずれの場合でも、理由(ⅰ)や(ⅲ)の背景として、三山層の下位に当たる瀬林層も、東側地域より海成層の要素が少ないとことが考えられます。

 

 また、この分帯に従うと、佐久地域の瀬林層は、特異な分布をすることになります。
 下部瀬林層は、抜井川に沿った大きな向斜構造の両翼に分布しますが、上部瀬林層は、北翼だけに分布しています。
 これは、都沢付近の地質(第1章)で説明したように、南翼では、早めに浅海ないし汽水性の堆積環境に移行してしまい、上部瀬林層を欠いているからです。

 

【編集後記】

 本文中の瀬林層の上部と下部の境をどこにするかの理由の中で、『ここの泥相は、・・・湖や河川デルタ、海岸湿地のような汽水域、内湾のように潮流の影響少ない、浅い水深での堆積を示すのではないか』と述べていますが、それが実験で確かめられればいいです。

 そんな話題で、思いついたことがあります。

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雪解け水の水たまりにできた三角州

 雪解け水が、自然界で起こる現象を再現してくれた。奇しくも季節外れの春の大雪が、3月31日の晩から4月1日にかけて降り、『エイプリル降―る』などとふざけていたが、その後の暖かな陽光で雪解け水が、数10mの坂道を流れ下って表土を洗った。坂道に河川ができ、泥や砂・礫などの粒子が運搬された。そして、坂の先の水たまりは海となり、河川の流入地に三角州(デルタ)ができた。河口地殻には礫や砂、沖合には砂と泥、そしてさらに沖合には泥と、みごとに分級された。(平成10年4月4日・撮影)

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蛇紋岩地帯にできた浸食地形(自然界で起こる現象の小規模実験)

 続いて、【写真】は、バッドランド(地形用語)のミニチュア版です。

 地表がいくつかのガリ(gully 細い溝)で刻まれた地形があります。花崗岩や粘土層地帯で、植生が乏しく乾燥した斜面にできやすく、浸食に対する差から、崩れずに残った部分と、崩壊して崩れたガリに分かれます。その結果、土や岩の柱が乱立しています。

 新三郎沢の蛇紋岩地帯の場合、浸食に弱い蛇紋岩は、粘土になりやすく、土砂崩れを起こします。雨水は小さな溝を伝って流れ、ガリを形成していきます。たまたま、泥の上に小石が載っていると、浸食されないので、下の泥が柱のようになって小石を支えます。もっとも、激しい雨で、下の泥も流されてしまえば、小石も敢えなく転がり落ちてしまうでしょう。はかない自然芸術の一場面です。

 ・・・このまま終われば、綺麗な落ちですが、望月少年自然の家の「河川デルタ」は、事件に発展します。年度末の3月に、凹凸のできた坂道には、補正予算から土砂を入れて整備したばかりです。それが、雪解け水で流失してしまい、その後には私たち職員が、一輪車で坂道を何往復もして修復するという重労働が待っていました。  (おとんとろ)