北海道での青春

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佐久の地質調査物語(三山層-1)

     三 山 層 と 堆 積 構 造


 三山層は、山中地域白亜系・最上位の地層で、群馬県側~秩父地方では、厚い黒色頁岩層を堆積させた最大の堆積盆でした。しかし、第1章「都沢付近の地質」で紹介したように、佐久地域では、混濁流堆積物に特徴付けられる大陸棚のような堆積環境であったと思われ、石堂層堆積盆を越えることはなかったと推定しています。

 都沢では地質構造の解析が難しかった内容も、『大野沢にも主向斜軸は延びていた』という手がかりが見つかり、研究推進に役立ちました。また、大野沢最上流部では、白井層の解明につながる情報も得られました。そんな大野沢の調査は、平成4年度からの都沢に次いで早く始まり、主に平成5~7年(1993~1995)にかけて行なわれました。

 この章では、大野沢の三山層を中心とした地質について紹介しようと思います。抜井川の支流「大野沢」は、「都沢」と共に大きな沢なので、下流部・中流部・上流部・最上流部という区分をしています。区分は、次のようです。

 

下流部:古谷ダム湖の下の、抜井川本流との合流点から、断層の通過地点ともなる
    「イオドメの滝」までを下流部と呼ぶことにします。
中流部:それより上流側、三角点の標高から名付けた「1173東沢」との合流点まで
    を中流部と呼ぶことにします。
○上流部:それから上流を上流部と呼ぶことにします。特に、「シダ植物化石層準」を       

     話題する時は、最上流部という言い方もします。

 

 

1.大野沢下流部の調査から

 

 古谷ダム事務所の裏、「古谷大橋」の北側の階段を使い、橋の下に下りました。
 橋の下は、青緑色を帯びた(凝灰質)中粒砂岩と黒色頁岩の互層でした。大野沢支流・第1沢の合流点からすぐ上流では、巨礫を含む礫岩層が、露頭幅20mに渡って見られます。礫種は、最大径10cmの閃緑岩(Diolite)、黒色チャート、先白亜系と思われる結晶質砂岩です。上流に向かい粗粒砂岩層に漸移します。

 その上流で、祖粒砂岩層は、礫岩層に変わります。いくぶん礫の大きさが小さくなり、結晶質砂岩の円礫(直径2~3cm)と、白色~黒色チャート(直径1cm)の角礫となります。砂岩層との挟みで、「N85°W・85°N」でした。

 沢が少し広がり、青味を帯びた中粒~細粒砂岩層、そして、第2沢合流点付近では、砂優勢な黒色中粒砂岩と黒色頁岩の互層です。「N20°W・20°E」でした。
 第3沢との合流点の少し上流に、滝(落差3m)があり、滝の前後に珪質の細粒砂岩層の連続露頭(20m)があります。塊状で層理面は、わかり難いです。

 第4沢合流点の下流側に大きな堰堤があります。珪質砂岩層に礫岩層(1.5m)が3枚挟まります。堰堤は越えられないので、一旦、林道に出て再び、本流に戻りました。
 沢に戻り、もうひとつ堰堤がありましたが、こちらは、越えられました。珪質の硬い砂岩層が続きます。
 そして、流路が大きく湾曲する標高985m付近では、沢の両岸で岩相が違い、右岸に珪質細粒砂岩層、左岸には下流側から礫岩層(3m)・砂泥互層(2m)・礫岩層(2m)が、見られました。共に硬い岩相で、川の流れる方向と走向が同じなのかもしれません。沢の湾曲部に入り、標高990m付近に、低い堰堤があり、石英脈(Quartz vein)の入る珪質中粒砂岩層が見られます。砂優勢な黒色頁岩との互層、いくぶん凝灰質の明灰色中粒砂岩と続きます。互層部の砂岩層には、炭化物が含まれていました。

 

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大野沢下流部のルートマップ

 

 ヘアピンカーブの奥、標高995m付近に、堰堤があります。堰堤の下流10mに、直径2cmのチャート礫を含む粗粒砂岩層が見られました。堰堤の上は、白色~黒色チャート・硬砂岩礫を含み、全体は粗粒砂岩層が滝を形成していました。落差は小さいものでしたが、S字の綺麗な滝です。

 堰堤から40m上流では、チャートや結晶質砂岩礫(直径10cm円礫)の礫岩層が見られました。沢から標高差で20~25m上の大上林道には植物化石を多産する露頭があり、その直下に当たります。ここから、湾曲部奥のしばらくの間は露頭がありません。

 湾曲部の東側、標高1000m付近で、チャート礫と閃緑岩礫(直径5~10cm円礫)の入る礫岩層が見られました。

 そして、南から流入する小さな沢の合流点では、チャート礫を主体とする礫岩層がありました。この礫岩層は、巨大な礫を含む内山層の基底礫岩層と岩相は異なりますが、層準的には同等層と考えています。林道のヘアピンカーブの東側にも、内山層の礫岩層が認められ、これが繋がっていると考えられます。 

  その上流の礫岩層の中に、厚さ70cmの「流紋岩の岩脈(ryolite dyke)」が認められました。大上林道にも流紋岩が露出しているので、岩枝と思われます。貫入方向はEWです。
 大野沢支流・第5沢との合流点の下流側に礫岩層(層厚1m)、上流側10m地点に、泥優勢な黒色頁岩と中粒砂岩の互層があり、黒色頁岩層から二枚貝と魚鱗化石が見つかりました。
 南から流入する小さな沢との合流点(標高1017m付近)では、礫岩層(2m)、暗灰色中粒砂岩層が見られました。この辺りから沢は開けてきます。
 南東から流入する沢(標高1018m)の合流点付近では、下流側から礫岩層(チャート直径2~3cm円礫) を挟む珪質明灰色砂岩層、泥優勢の黒色頁岩と暗灰色中粒砂岩の互層が続き、「N66°W・60°N」の走向・傾斜でした。

 その20m上流の黒色頁岩層から二枚貝化石(シャミセンガイ?)を見つけました。ここまでが、内山層の分布域です。

 沢の標高1020m付近で、沢は再び狭まり、黄土色風化の中粒~粗粒砂岩を造瀑層とする『イオドメ滝』(落差4m)がありました。層理面は明瞭ですが、対岸なので直接測れません。「N30°W・50~60°N」と推定しました。上流側に地層が傾斜しているのは確実です。

 上部瀬林層と考え、滝の下流に「四方原-大上峠断層」を推定しました。(断層については、鍵掛沢断層群の項目を参照)

 

 【編集後記】

  本文中、「大野川下流部調査1993年(平成5年)7月4日」の調査者:堀内は、堀内 義 先生のことです。先生は、若い時と管理職になられた時の二度、佐久に赴任されていました。奇しくも、私の義父・通称「ウッチャン」と山歩きをしたようです。

 佐久赴任中、私たちと調査に同行していただき、地質だけでなく、野山の植物についても教えていただきました。江戸時代、歯ブラシとして使ったと言う、「クロモジ」の木は自宅に持ち帰って植えました。(今は、枯れてありませんが・・)

 ところで、先生が長年、温めてこられた「フォッサ・マグナ(Fossa Magna)」についての疑問を解決すべくまとめられた「研究冊子」を、贈っていただきました。

 堀内 義 先生の冊子の表紙は、以下のようなものでした。

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「守屋層」の研究からスタートした仮説(研究誌の表紙)

 

 『置き去りにされた島「佐渡」』と、やや衝撃的なタイトルですが、実際は、地道な地質調査と論文研究を元に、半世紀も前に先生が抱いた疑問と、その後の研究課題を解決すべく導き出された結論です。尚、仮説(ものがたり)としていますが、論文に近いものだと思いました。早速、eメールにて感謝と共に、仮説への賛同の気持ちを伝えました。

 自然科学は、時として「閃き」のような瞬間で、急旋回して物事が解決していくこともありますが、それまでは、長く地道な調査が必要です。そんな姿勢を、先生から学ばせていただきました。 (おとんとろ)