北海道での青春

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佐久の地質調査物語(三山層-2)

2.大野沢中流部の調査から

 大野沢のイオドメ滝から第7沢合流点付近までと、大野沢林道入口~第6沢の地質は、第2章「鍵掛沢断層群」で説明してありますのて、内容を絞ります。下流から見ていきます。【下図参照】

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大野沢中流部(断層で接している)

「イオドメ滝」は、乙女ノ滝などに匹敵する大きな滝です。
 平成6年7月9日調査では、天然の「ロックフィル・ダム」の淵の上流は粗粒砂岩層や礫岩層で、珪質細粒砂岩層も挟まっていました。N85°W・60°Nの走向・傾斜で、川の流れに従っていました。(滝の途中で推定した測定値よりは、確かなようです。)
 ここから、第6沢との合流点までが、砂岩や礫岩の粗粒岩層からなる上部瀬林層が分布しています。
 北から流入する小さな沢との合流点付近に、塊状の珪質細粒砂岩層があり、前後の粗粒岩の岩相とは少し異なりました。

 次の沢との合流点、標高1040m付近には、礫岩と粗粒砂岩を造瀑層とする三段の滝があります。下流側から、落差2.0m・1.5m・1.0mと続き、落差の合計4.5mと大きいですが、傾斜しているので、イオドメ滝より見劣りします。

 標高1050m・第6沢との合流点から、閃緑岩礫を含む礫岩層を確認しました。沢に入った地点(8~25m)で、細粒砂岩層との挟みで、EW・85°Nでした。本流では同様な露頭がありませんでしたが、この辺りまでが、上部瀬林層だと考えました。そして、この東側に、「大野沢断層」を推定しました。

 再び、本流に戻ります。沢の標高1055m付近で、黒色頁岩層、標高1057m付近で、黒色頁岩と黒色細粒砂岩の互層(N60°E・62°N)が見られました。ここからは、石堂層と考えました。
 第7沢との合流点から、第7沢を登り、大野沢林道に出ました。露頭幅2mの礫岩層、その上流に黒色頁岩と黒色細粒砂岩の互層「EW・60°N」、さらに同質の互層、灰色中粒砂岩層でした。この日の調査は、これで終了でした。

 

            *  *  *  *

 

 同じ年(平成6年)の8月7日に、大野沢本流調査の続きを行ないました。
 本流と第7沢の合流点の少し南側に、高さ8~10m・幅12mの崖があります。砂泥ほぼ同比率で、黒色頁岩層(8~20cm)と暗灰色中粒砂岩層(2~20cm)の互層が見られ、走向・傾斜は、「N20~40°E・30~40°NW」でした。(図では、走向30°と傾斜40°を採用してあります。)
 沢が大きく蛇行する部分で、いくぶん砂の多い砂泥互層「N80°E・50°N」が見られ、蛇行部の奥の互層で、「N80°E・60°N」でした。
 次の川の蛇行部で、走向・傾斜に変化が現れました。「N80°W・北落ち~垂直」から、「N70°W・70°S」・「N84°E・50°S」と、変わりました。砂泥互層の岩相は同じですが、他の沢の情報も含め、この辺りに境があると考え、「鍵掛沢断層」を推定しました。石堂層と三山層の境です。
 但し、傾斜に関しては、標高1066m付近の黒色頁岩層で「N60°W・70°N」と、再び北落ちに変わりました。その50m上流では、泥優勢な黒色頁岩と中粒砂岩の互層が見られました。

 「1173東沢」との合流点(標高1075m付近)の下流40mで、泥優勢な砂泥互層から、「ストライプ層準」が現れました。三山層に特徴的に現れる岩相で、黒色頁岩と白色~灰色細粒砂岩の互層が、縞模様に見えます。「N80°W・70°N」という走向・傾斜ですが、これらを良く観察すると、地層の傾斜とは逆に、上下が逆転していることがわかることがあります。ここの露頭では、それは確認できませんでした。
 三山層の分布は、上流部へと続きますが、大野沢の中流部とした定義は、「イオドメ滝」から「1173東沢」までなので、ここで項を改めます。

 

3.大野沢上流部の調査から

 

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大野沢中流部~上流部

 本流と「1173東沢」との合流点から、15mほど上流の右岸側(沢状地形)から水が滲み出していました。この辺りから人工的な石積みに沿って、ストライプ層準が、黒色頁岩(層厚10~15cm)と灰白色細粒砂岩(5~15cm)の互層の中に見られました。
 南東から流入する小さな沢との合流点の下流5m地点で、砂泥互層が見られました。
 標高1085m付近に、大野沢本流と大野沢林道が交差する地点(橋)があり、これより上流では、泥優勢の黒色頁岩と黒色細粒砂岩の互層「N80°W・70°N」が見られました。
 すぐ上流には、露頭幅18mの滑滝があり、典型的なストライプ層準が見られました。黒色頁岩層(10~50cm)と灰色細粒砂岩層(2~10cm)が互層し、いくぶん泥優勢です。この互層の一部に、走向・傾斜は、「N50°W・70°NE」という値で、北東傾斜でしたが、【フレーム現象】と呼ばれる【下図】のようなが露頭が見られました。
 傾斜とは逆の層序であることがわかります。『やや固まった砂岩層の上に、泥が静かに運ばれてきました。続いて同様な堆積過程で、砂層、泥層の順に堆積しました。そして泥と泥に挟まれた砂の単層が十分に固まらない内に、振動や周囲からの圧力を受けました。すると単層内でできた亀裂に沿って、黒色の泥が砂層を破り、上に向かって吹き出しました。』という堆積に関するストーリーが推定できます。

 そこで、北傾斜の地層で、北側が上位に見えますが、説明図のように、固まっていた砂岩層が下位で、地層が逆転していることがわかります。この事実から、都沢で見られた「向斜軸面が著しく南側に傾いた向斜構造」は、大野沢へも延長していることが確認できました。

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堆積構造(フレーム現象)

 
 図の「露頭の無い沢」との合流点~次の合流点(推定標高1089~1093m付近)は、地層の境目に沿って沢水が流れるという連続露頭が見られました。右岸側は、黒色頁岩と細粒砂岩の互層で、左岸側は、塊状な暗灰色中粒砂岩層です。走向・傾斜「N60°W・60~70°NE」の値を示す境目を、沢水が勢いよく流れていました。

 北から流入する沢は滑滝状になって合流し、塊状の明灰色中粒砂岩層です。方解石脈(calcite vain)が入っていました。さらに上流部へ標高1200mまで詰めましたが、露頭はなく、転石で[①下部瀬林層と思われる粗粒砂岩塊、②閃緑岩塊]を見つけただけでした。(内山層の気配は無し。)この転石情報から、内山層は、この沢の水系より、さらに上流部であることが推定できました。

 再び、本流に戻りました。泥優勢な互層(N70°W・75°N)、塊状の明灰色中粒砂岩層と続きました。北から流入する沢の合流点(標高1008m付近)で、ストライプ層準が見られました。「N80°W・70°N」と急傾斜の北落ちです。しかし、縞模様となる薄い砂泥互層の砂の葉理面に注目すると、片面が平坦(flat)なのに対して、一方が、泥の葉理で切られて楔状になっていました。非常に細かな層の観察ですが、実際の傾きとは逆の層序でした。(第1章・「ラミナが教えてくれたこと」参照)

 また、【下図】のような露頭を見つけました。
 北落ち傾斜の互層の一部なので、細粒砂岩層より黒色頁岩層の方が、見かけ上は上位です。重要なのは、間にある粘板岩の岩片の解釈です。これが、地層の上下判定の鍵を握ります。粘板岩岩片は、泥に浮いているのか、泥をかぶっているのかの解釈です。

 岩片の短径が垂直に堆積している情報から、弱い水流による分級作用があって、後から砂粒子と共に運ばれてきた岩片が、泥に沈んでいると解釈することが正しいと思われます。

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堆積構造(礫の位置から)


 【図】のように、黒色頁岩層の上に岩片を含む細粒砂岩が堆積したと、判断しました。この証拠からも、地層が逆転していることがわかり、都沢で見られた「向斜軸面が著しく南に傾いた、覆い被さるような非対象の向斜構造」の根拠は、こんな小さなひとつの礫の存在からも裏付けされました。
 また、この露頭では、黒色頁岩層の中に、方解石脈が認められる中粒砂岩層がレンズ状に入り、堆積の未凝固の段階で、これらが取り込まれたと思われる部分も見られました。
 この少し上流で、暗灰色中粒砂岩層、砂泥互層(N80°W・60°S)と、突然傾斜が変わる露頭がありました。(走向・傾斜の記入なし)

 

 大野沢の流路が少し南東に方向を変える辺り(標高1008m付近)で、露頭幅12mに渡り、走向が180°変わる小さな褶曲構造が見られました。上流部は、それまでの走向・傾斜「N55°W・44°NE」に戻っているので、明らかに部分的な地質現象ですが、とても美しい砂泥互層が川底に6ユニットの互層見られ、浸食により小さな「ケスタ」地形を成していました。撮影した記録写真を無くしてしまい、翌年(平成7年)に撮影に行きましたが、台風による大洪水の土砂で覆われていました。この10m上流にも、同様な3ユニットありましたが、駄目でした。調査時に記録したスケッチを載せました。

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極めて小規模な「ケスタ」

 

 この露頭付近は、大野沢の流路が急変する不自然さや、事実、小褶曲構造が認められることから、小規模な構造運動があったことは確かです。
 この日の調査は、大野沢林道の「植物化石層準層」は、既に他の日に観察してあったので、標高1010m付近で、北から流入する沢の合流点を確認し、調査を終えました。

 

 【編集後記】

 同じような話題が良く出てきますが、「カメラを忘れたり、写真情報を無くしたり」して、後で使いたい時に残念な思いをします。本文中の「小ケスタの小褶曲構造」も、改めて写真撮影に行ったものの、大水の後で土砂で覆われていて、元の様子が確認できませんでした。失われた訳ではないので、いつか誰かが、また発見して驚くことでしょう。

 ところで、「ケスタ」地形は、地質構造の様子を反映して、浸食に強い場所と、弱い場所があり、断層ほど急激ではありませんが、斜面ができて、丘陵のような地形になります。まだ行ったことも、もちろん実物も見たこともありませんが、仏蘭西の首都パリ盆地が、その例に良く挙げられます。イメージとして、下図を参考にしてください。

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ケスタ地形を造りだす地下の様子

 佐久地方にも、尾根が平行に並ぶ地形があり、まだ、遠くから見ているだけですが、きっと尾根の方向に、硬い地層が平行に並んでいるんだろうなと、想像しています。(おとんとろ)