北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(三山層-3)

4.大野沢支流・1173東沢の調査から

 「1173東沢」というのは、地形図の標高表示P1173の東側にあるので名付けたフィールド・ネームです。大野沢でも向斜構造が予想され、その南翼情報がなかなか入らないので、貴重な情報源となる沢でした。本流調査の前年、平成7年(1993)8月13日に行ないました。

 大野沢林道と本流の交差する橋(標高1085m)から大野沢本流に入り、下流に移動して、1173東沢との合流点に出ました。沢の合流点から少し入った地点では、黒色頁岩層(N80°E・70°N、及びEW・65°N)が見られ、石英脈が入っていました。
 右岸からの小さな沢の合流点(標高1095m付近)から5m下流~10m上流にかけて、砂質黒色頁岩層(N80°E・60°N)、砂優勢な互層が見られました。
 この後、左岸側から1番目の沢(標高1100m)と2番目の沢(標高1110m)の間は、硬い塊状の灰色中粒砂岩層や、同質の砂岩と砂質黒色頁岩との互層が見られました。ここでいう砂質黒色頁岩層は、剥離性が乏しく、厳密な粒度分類では、黒色細粒砂岩層と呼ぶべきかもしれませんが、やや基準をあいまいにしています。

 沢の標高1120m~1130mでは、砂優勢な灰色中粒砂岩と砂質黒色頁岩の互層が続きます。いくぶん剥離性が戻りました。
 右岸側の下流から3番目の小さな沢の合流点(標高1135m付近)の10m上流では、砂優勢な互層(N60°E・50°NW)でした。
 右岸側4番目の沢の合流点(標高1150m付近)では、泥優勢な黒色頁岩と中粒砂岩の互層(N40°E・60°NW)となり、泥相が多くなりました。
 ただし、標高1160m付近では泥優勢な互層(N80°E・74°N)でしたが、標高1170m付近では砂優勢互層(N85°E・60°N)と変わり、泥と砂の割合は微妙に変化していきました。
 沢の標高1180m付近では、黒色頁岩層(N40°W・48°NE)が見られました。そして標高1200mで、沢水は伏流し、調査を終えました。

 標高1170m~1180mの間で、直径10cmのチャート円礫を含む礫岩の岩塊
(2×3×1.5m3) が、転石で見つかりました。岩相から下部瀬林層の礫岩と思われ、岩塊の大きさから、標高1200m以上の尾根に分布しているものと推測しました。

 

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大野沢中流部~上流部/ P1173東沢のルートマップ(再掲)

 

 1173東沢は、三山層の向斜構造を確かめる上で、重要な沢です。
 沢の入口から標高1180m付近までの走向・傾斜は、比較的、安定した北落ちです。また、岩相も砂泥互層や黒色頁岩層で、特徴が少なく、向斜構造の明確な証拠はありませんでした。

 しかし、この沢の下流では直接の証拠は認められませんでしたが、大野沢本流では、北落ちながら層序の上下関係が逆転していることが明らかになっています。
 そこで、「1173東沢」の中で、比較的、特徴的な塊状で硬い灰色中粒砂岩層と、同質の砂岩と砂質黒色頁岩との互層部分が、向斜軸付近であると考えました。砂泥互層の砂質傾向が強まり、黒色頁岩も剥離性の薄れた細粒砂岩となっています。(【図-層理不明】)

 全体の地質構造から見ても、「向斜軸面が南側に著しく傾いた向斜構造」の層厚から見ても、妥当な位置にあると考えました。層理面がわかり難い塊状の岩相である為、走向・傾斜のデーターは得られませんでしたが、転石情報からも沢の上流部に下部瀬林層の存在が推定できるので、都沢付近で認められた向斜構造の軸の延長は、大野沢にも延びていると考えました。

 

【編集後記】

 今日から、弥生・3月です。俗に、『行ってしまう、1月。逃げてしまう、2月、去ってしまう3月』と、学校での短い三学期(現在は、二期制も増えているようだが)を象徴するような比喩があります。

 私の「はてなブログ」も、もうじき丸一年が経過します。2月は、山中地域白亜系の話題を、26回(28日間)載せました。

 ところで、前に書いたものを、もう一度、見直しながら、推敲したり、資料を確認したりしていくと、新たな発見もあります。

 かなり前の回「都沢付近のまとめ(後半)」で、『標高1100m付近には、流紋岩の岩脈があり、左岸は板状節理が、右岸は柱状節理が見られます。』 という部分があります。そして、板状節理を紹介しました。なぜなら、一緒に撮したはずの柱状節理のデーターがなかったからです。

 しかし、いろいろ捜していく中で、ありましたので、併せて紹介します。

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流紋岩の板状節理(左岸)

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流紋岩の柱状節理(都沢上流の右岸)

 露頭の境は、都沢の川底と思われますが、観察はできません。共に、火山岩の冷却の時に、堆積が減少する時の割れ目が、節理となりますが、両方見られるというのには、理由があると思います。

 節理(特に、板状節理)を石材として利用した例として、板石山周辺で取れる「鉄平石」と呼ばれる安山岩を、手作業で加工している写真を載せて終わりにします。

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 撮影から、既に40年以上経過しているので、今でも手作業で形を整えているかどうかは、わかりません。   (おとんとろ)