北海道での青春

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佐久の地質調査物語(三山層-4)

5.大野沢最上流部の調査から

 大野沢の標高1085m付近の橋を渡り、最初の左岸側にある「無名沢」に入りました。大野沢の向斜構造の情報を得る為には、どうしても必要になる位置にあります。しかし、標高1150m二股まで踏査しましたが、全く露頭がありませんでした。

 南から流入する沢の標高1115m付近の橋の手前にある露頭では、切り立った砂泥互層部分があり、黒色頁岩層にシダ植物化石が含まれていました。N76°W・75°Nと、高角度の北落ちでしたが、ロードキャスト情報から、地層の上下関係が逆転していることがわかりました。黒色頁岩が石墨化していたり、蛇紋岩が表面に付いていたりする部分がありました。これらは、瀬林層(上部層)だと思われます。(平成6年6月11日の調査です。詳細は、第5章「8.瀬林層の植物化石について」などの項目を参照)

 

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大野沢最上流部のルートマップ

 

 平成7年(1995年)10月29日の調査には、北海道大学を定年退官され、佐久穂町に戻られていた由井俊三先生も参加していただきました。橋から南に延びる林道を進み、標高1140m二股を左股に入り、1240m二股まで踏査しました。橋付近の切り通しでの軟弱砂岩層などの特徴ある岩相から、白井層の分布範囲だと思われます。

 橋の東側の林道・切り通しは、「60°W・70°N」の走向・傾斜で、連続露頭でした。下流側(背斜構造の東翼)から、黒色頁岩/黒色頁岩と粗粒砂岩の互層/帯青灰色中~粗粒砂岩層※(級化層理から逆転か)/砂泥互層/軟弱砂岩層/帯青灰色中粒砂岩層/礫岩層※(白と黒のチャート礫、結晶質砂岩礫、石英粒も目立つ角礫・二枚貝の抜け跡)/粗粒砂岩~礫岩・・・の順番です。※印は、図の走向・傾斜を測定した層準です。

 その少し上流の左岸には縞状の礫岩層(N40°E・60°NW)の異質な部分がありました。全体は、「EW・80°S」の黒色頁岩を挟む縞状礫岩層です。前述の切通し露頭とは、異なる構造となっています

 一方、標高1130mの二股から、右股に入りました。礫岩や砂礫岩と黒色泥岩の互層で、岩相は白井層と思われます。しかし、走向・傾斜が定まりません。級化層理情報から正常と逆転の両方の情報があり、もまれていることがわかりました。

 瀬林層(シダ植物化石層準など)と白井層(軟弱砂岩層など)の地質構造関係が、明らかに不自然なので、断層が予想され、「乙女ノ滝断層」が通過する根拠のひとつになりました。
 (ただし、上述の状況から類推できるように、ひとつの断層によって、きれいに切られている関係ではないようです。)

 標高1140m二股を左股から入った白井層の様子は、礫岩層や灰色中粒~粗粒砂岩層が、点在するような感じでした。白井層の向斜構造の東翼の情報が得られるかと思いましたが、無かったです。

 この後、大野沢に戻り、上流部を調べました。
 林道の橋から、大野沢本流に入ると、合流点では、塊状(massive)で珪質の灰色中粒砂岩がありました。岩相は、下部瀬林層に似ています。「N60°W・70°NE」でした。その上流40mでは、同質の中粒~粗粒砂岩からなる滑滝がありました。水量が少ないので大きな滝にはなりませんが、造瀑層となる岩相です。ここまで下部瀬林層とです。
 左岸側からの小さな沢の流入する標高1120m付近では、「ストライプ」層が現れました。この沢の下部瀬林層と三山層が、走向も同じ傾向で傾斜も北東落ちであることから、層序に矛盾はありませんが、大野沢中流~上流部の調査から明らかになった大きな向斜構造を優先して考えると、不自然な三山層の存在です。しかし、特徴的な岩相は、三山層でしか見つかったいないので、データーを尊重して、地質図には入れてあります。

 そして、沢の標高1130mの二股の手前30m付近から、内山層の基底礫岩層が出始めました。礫種は、白色~灰色チャートが多く、最大径45cmの円礫でした。いくぶん青味を帯びた灰色中粒砂岩を主体とした砂礫層が見られた後、標高1140m付近では、直径5cmと最大径の小さくなった礫岩層が見られました。第6沢で確認できた内山層の基底礫岩層は、第7沢では断層により途切れますが、この大野沢最上部の沢まで延びてきていました。内山層分布の南限を示しています。
 大野沢最上流部では、断層によって切られながら、白井層と下部瀬林層、三山層が接し、一番新しい三山層を内山層が不整合で覆っているという複雑な地質の見られた地域でした。

 内山層基底礫岩層が連続していないという情報から、小規模ですが、「茨口断層」の存在もあると推定しました。
 これらが、複雑に絡み合っている地域が、ここ、大野沢最上流地域のようです。

 わずかに分布する三山層は、断層運動の中で、接点のような例外的な場所や存在だったろうと解釈して、基本的には、抜井川の北側(右岸側)の支流のように、内山層が瀬林層を、基底礫岩層群を伴いながら覆ったと解釈しています。

 【図・下】は、山中白亜系から内山層までを総括した、地質図(2007年修正版)の、大野沢最上流部付近の地質図です。茨口沢断層の「左横ずれ・解消」断層による、地質図幅状の解釈を含めて、乙女ノ滝断層をずらしてあります。

 

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大野沢最上流部の地質区分(三山層に注目)

 

 

 

6.大野沢調査のまとめ

①白亜系のすべての地層が観察でき、鍵掛沢断層群を始め、都沢断層や乙女ノ滝断層など、主要な断層の証拠が得られ、それらの通過位置を推定できました。
 抜井川と大野沢の合流点から、本流をたどると、瀬林層/内山層/瀬林層/石堂層/
三山層/瀬林層(シダ植物層)/※少し南にそれて、白井層/(三山層)/内山層基底礫岩層と、全ての層準を観察することができます。(わかるまでが大変でした!)

②三山層の堆積構造解析から、都沢付近で見られた「向斜軸面が著しく南に傾いた向斜構造」は、大野沢にも延長でき、佐久地域の大きな構造であることがわかりました。

③大野沢断層と鍵掛沢断層に挟まれたブロックに、石堂層と下部瀬林層があることから、瀬林層堆積時に、3つの岩相区分(AからC相)の、ひとつの根拠が得られました。
 (第1章「5.隣接する瀬林層の謎」を参照)

④下部瀬林層の最上部の「シダ植物化石」情報から、佐久地域は「領石植物群」に相当し、西南日本外帯であったことがわかりました。(気候の特徴もわかれました。) 


 【 閑 話 】

 鉱物や金属鉱床に詳しい由井俊三先生からは、私たちの地質調査の折に同行していただいたり、反対に、貴重な露頭があるからと案内をいただいたりして、懇切丁寧なご指導をいただきました。
 この平成7年10月29日の調査で、私は初めてお会いして、名刺をいただきました。何んと、使い古しのカレンダーの裏紙(厚紙の白地)を使い、ワープロ印刷の名刺でした。
 私たち教員は、名刺を使う機会も無いので、用意することもありませんが、渡される方は何度かあって、多くは上質カラー印刷も多いです。それが、思いもよらない古紙の再利用とわかり、驚いたのは言うまでもありません。

 そして、私の尊敬するKM 先生(故人)と同じように、「もったいない」を具現できる日本人であると共に、ユニークな人だと思いました。 

 

【編集後記】

 本文の中で説明していますが、地質図に「三山層→」と、極めて小さく示してあるのが、ストライプ層準の特徴のある三山層です。縮尺の大きい図福では、多分表せなくなります。特徴的な堆積構造を示す層準は、観察した限り、三山層だけなので、敢えてこだわりました。(尚、オレンジ色を塗り忘れた部分は、瀬林層です。

 ちなみに、地質図の全体がわからないと、断層に囲まれた変な図と思われるでしょうが、ふたつの断層(大野沢断層(西)と鍵掛沢断層(東))に囲まれた細長いブロックは、ブロック全体が大きくずれています。その為、褶曲構造の軸は垂直に近いほどの状態になっています。(背景理解には、「隣接する下部瀬林層の謎」をご覧ください。

(おとんとろ)