北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(三山層-5)

7. 林道「大日向-日影線」の三山層

 霧久保沢入口(標高943m)と都沢下流部左岸(標高1040m付近)を結ぶ林道「大日向-日影線」が、抜井川の南に敷設されています。林道は、ちょうど2本の高電圧送電線(東京電力)に挟まれた間を、ほぼ等高線に沿うように延びています。

 この林道の地質概要は、第1章「模式地を訪ねて;ラミナが教えてくれたこと」の項で触れました。また、石英閃緑岩の話題は、第7章「山中地域白亜系の西端;石英閃緑岩の分布とその影響」で、詳しく述べたいと思います。そこで、ここでは、三山層の堆積構造を中心に扱います。【下図を参照】

 

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林道「大日向―日陰」線のルートマップ

 石英閃緑岩の露頭は、林道の「刈又」南側にある送電線鉄塔付近まででしたが、熱変成の影響があることと、周囲の地形の特徴から、推定分布は少し東側にしてあります。ここより東側は、白亜系(三山層)の露頭が見られました。

 地形図の「P995」付近(【図-④】)では、青味を帯びた結晶質の灰色砂岩と風化しやすい中粒砂岩の互層が見られ、「N10°W・70°W」でした。少し北東側では、帯青灰色中粒砂岩層と細粒砂岩層で、中粒砂岩層には直径2~15cmの砂岩礫(円礫)が含まれていました。走向・傾斜は、N40°W・50°NEでした。これらは、都沢付近から西に繋がる三山層ですが、都沢付近と比べると、かなり砂相になっています。

 林道の標高980m(【図-⑤】)付近では、薄紫色を帯びた結晶質の砂岩層と、珪質で灰白色砂岩層の互層部があり、互層に挟まる黒色泥岩は粘板岩化されていました。これらは、石英閃緑岩体による熱変成の影響と思われます。石英閃緑岩体の一部が、地下に岩枝状に延びているのかもしれません。石英閃緑岩との接触交代作用により、薄紫色に見える部分は細粒の黒雲母(クロウンモ)が、灰白色部分は珪酸成分が、それぞれ富化されていると思われます。粘板岩化された泥岩は、源岩の黒色頁岩が粘板岩へと熱変成されていく途中です。


 林道と井田井沢との交差部から東へ20mほどの地点(【図-⑥】)から、南側の曲がる辺りまでの切り通しに、砂泥互層(【下図】)や、それらの褶曲(向斜・北落ちの一部)などが観察できました。

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 閃緑岩(diolite)の大礫を含む砂岩層の露頭が見られました。東側(図の左)から、礫岩層を含む砂礫層(5m)、砂泥互層(3m・泥岩部分は粘板岩化)、閃緑岩の大礫を含む砂岩層(4m)、砂泥互層(7m+)の順に重なっていました。
 閃緑岩の巨礫は、直径20cmの球体と、10cm×15cmの回転楕円体の2個で、周囲の砂との境目がわかりにくくなっていました。異質なものが含まれているはずなのに、境が不明瞭となる原因はわかりません。他は、粘板岩の亜角礫のみで、チャート礫が含まれていないことも、特徴のひとつです。

 また、閃緑岩礫を含む層準と東側の砂泥互層部に「ロードキャスト」があるようにも見えます。先に堆積した泥岩層を、砂岩層が浸食したと考えると、西側露頭の方が新しいと解釈できます。両側の砂泥互層部を見ると、北東落ち(東側露頭)とも見えるし、南西落ち(西側露頭)とも見えます。西側露頭(図の右)では、傾斜が垂直から南西落ちに変化するとともに、地層が斜交するような構造になっています。

 湾曲部の東側露頭では、砂泥互層の北落ちの褶曲構造(その南翼と思われる)が見られました。層理面のはっきりとした灰白色中粒砂岩層と黒色頁岩層の互層でした。これらは、熱変成される前の状態だと思われます。石英閃緑岩体は、岩枝状に地表近くまで貫入してきていても、熱変成の影響を与える範囲は、かなり限られているのかもしれません。

 小さな沢状地形・標高990m付近(【図⑥】の東)側では、珪質中粒砂岩層があり、礫岩層との挟みで、「N60°W・82°N」でした。

 一方、井田井沢の東隣の沢の奥で、(推定した矢沢断層のわずかに西)粗粒砂岩層と礫岩層の境では、「N30°W・78°W」でした。走向・傾斜の値の不自然さから、矢沢断層通過の位置を推定しました。ちなみに、露頭幅10mの礫岩層は全て角礫で、チャートや堅い灰色砂岩(直径3~4cm・最大径20cm)でした。

 推定断層の東側、P1046の北では、泥優勢な黒色頁岩と中粒砂岩の互層で、少し東側の、黒色頁岩層では、「N30~50°W・70°N」と、走向・傾斜は、元の周囲の全体的な傾向に戻っていました。(図には、走向40°と表示してある。)また、付近には、崩壊堆積物を上に乗せた砂岩層の「ずれ」た跡が認められました。

 

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 P1046の北東側、(【図-⑦】)地点では、砂泥互層部分に、【写真・下】のような「く」の字に変形した露頭が見られました。
 周囲の傾斜の傾向から、【写真】の左側(NNW側)が上位と思われます。変形現象は子どもが立っている付近の無層理の砂岩と、砂泥互層を合わせた、厚さ5m~最大10mほどの部分的なものでした。
 変形の様子から、【写真】の上下方向からの応力があったことが予想されますが、後からの変形というより、堆積時の「層内滑り」ではないかと考えています。例えば、堆積盆の縁や斜面にあった地層自体が固結化が進み、層としての形は保ちながり滑り、その動きが止められた時の衝撃で、一番変形し易い上位層が持ち上げられるように曲がった。歪んだ部分には無層理の砂が埋まり、静穏に戻った後、さらに上位の砂岩層が堆積していったのかもしれません。
 もうひとつの可能性として、「氷河」が流れ下るように、少しずつ変形が進んだというアイディアもありそうですが、どこか不自然な気がします。

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「層内滑り」の露頭 林道「大日向―日陰」線

 

 P1046の北東、標高1000m付近(【図-⑧】)の林道で、【写真・下】のような露頭が見られました。
 手前から恐竜の脊椎骨が繋がっているように見える部分は、明灰色の細粒砂岩層で、元の堆積構造を残していると思われます。その周囲の地層の層理面は、極めて乱雑です。かつて砂泥互層であった部分が、いったんは堆積し、ある程度固化した後、混濁流(turbidity current 乱泥流とも言います)によって破壊され、再堆積したものと思われます。

 混濁流は、大陸棚斜面や、海底でもやや急な所で発生することが多く、不安定な堆積環境であったことが推定されます。堆積物の荷重によって自然に発生する場合もあれば、地震などの揺れがきっかけとなって起きることもあるようです。

 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災、2011年、平成23年3月11日(金)、14:46・18秒発生・Mw9.0)以来、津波による砂礫などの堆積物証拠を古文書と照らし合わせて研究する試みが盛んになっています。
 将来的に、古い時代の堆積構造も、どんな原因や理由で造られたのか、わかるようになるとすばらしいです。

 

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混濁流堆積物の説明図 (林道「大日向―日陰」線)

 

 【編集後記】

   本文中で触れた「層内滑り」の話題となると、すぐに思い出す光景が、台湾の地質です。

 1999年(平成11年)9月21日13:47に、台湾中部の南投県・集集(チーチー)の地下19kmを震源とするM奈奈7.3、最大震度6の内陸直下型地震が起き、大きな被害が発生しました。その翌年の年末から、新年正月にかけて、信州理科研究会の第4次台湾自然観察の旅に参加して、台湾の地質観察をしました。

 台湾島の中央部を車で横断するという、大ざっぱな観察でしたが、地質構造から全ての時代を外観できるという幸運に恵まれました。そして、特に地震によって山が崩壊した様子は、『雪山の全層雪崩のような現象が、地層でも起こるんだ』と驚きました。

 ところで、ちょうど平成3年の元旦は、自動車で横断したのですが、唯一、ある程度時間をとって観察した「眉渓(メイシー)」付近のエピソードを紹介します。

 尚、当時、台湾では、軍事上の秘密(?)から正確な地形図は販売されていなかったので、ルートマップは、全て歩測・目測によるものです。   

 

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台 湾 の 眉 渓(メイシー)付近のルートマップ

(1)露頭―①では、【下図】のような脆く、割れ目の入った黒色頁岩層(間に砂がわずかに挟まる)があり、全島の広い面積を占めています。地震での崩壊の元凶です。

(2)露頭―⑩では、砂と泥との境で、まさしく層内滑り(特に、泥相)が見られました。岩が崩れる為に、コンクリートシェルターか造られている。

(3)小櫻橋から仁愛橋の間(露頭―②)走向が、N0°~20°Wと振れ幅が小さいのに、傾斜は、同じ東落ちでも、20°~80°と大きく変わる。例えると、タックの入ったズボンを履いた時のゆとりと同じである。台湾にかかる歪みを、広大な量を占める地層が少しずつ解消してくれているようである。

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  また、機会があれば、地質と共に「霧社事件と眉渓層」のエピソードも取り上げたいと思います。日本列島より小さな島・台湾島なのに、富士山よりも高い山が地殻変動や圧縮・褶曲構造でできたり、台湾海峡側に堆積物を次々と溜めて成長してきたりした地史の一端を見てきたように思います。貴重な体験でした。 (おとんとろ)