北海道での青春

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佐久の地質調査物語(西端―1)

       山中地域白亜系の西端

 佐久地方は、北西-南東方向に細長く延びた山中地域白亜系の西の端に当たりますが、「本当の西端は、どこか?」という点は、課題でした。そこで、平成5年に、「古谷集落北側の沢」調査(26.Sep.1993)と「井田井沢」周辺地域の調査(3.Nov.1993)を行なって、その限界を確かめました。また、「霧久保沢」調査(22.June 1990)や鉱山跡、石切場の調査などで、周辺地域の様子を調べました。
 
1.古谷集落北側の沢調査から

 平成5年の秋、「古谷集落北側の沢」の調査に初めて入りました。この沢は、柏木橋下流で抜井川に右岸側から合流する無名の支流ですが、古谷(こや)集落の北側にあるので、フィールドネームとして、沢の名前にしました。
 沢の地質概要は、内山層の基底礫岩層(【図-⑨~⑩】)を境に、上流側は内山層、下流側は白亜系が分布しています。
 薄く下部瀬林層(【図-①】)があり、「矢沢断層」と続きます。その北側は、抜井川本流の向斜構造の北翼に相当し、三山層(【図-②・③・④】)、上部瀬林層(【図-⑤~⑥】)、下部瀬林層(【図-⑦~⑨】)です。また、推定した落差の小さい「馬返(まけし)断層」は、この沢付近で落差が解消されていると思われます。

 

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古谷集落北側の沢・ルートマップ

 

 沢の入口(【図-①】)は、礫岩層と珪質塊状の明灰色細粒砂岩層で、下部瀬林層です。これは重要な情報です。向斜構造北翼の三山層の連続が予想されるにも関わらず、わずかでも下部瀬林層が露出している事実は、矢沢断層が通っていることを意味します。同時に、都沢付近で上部瀬林層は欠如していますが、下部瀬林層は存在し、さらに西側へと延長してることを裏付けてくれます。

 沢に少し入った標高945m付近(【図-②】)と標高955m付近(【図-④】)には、三山層を特徴付けるストライプ層準があります。それぞれ北落ちと南落ちで、傾斜が反対なので、向斜構造が考えられます。中間の小向斜構造の軸部に当たる(【図-③】)には、薄紫色~青緑色を帯びた光沢のある結晶質砂岩がありますが、熱水による後からの富化した岩相だとわかり、三山層として良いとわかりました。

 沢の標高960m付近(【図-⑤】)から上流は、上部瀬林層が分布しています。結晶質で、明灰色~黄緑色を帯びた灰色中粒砂岩が、露頭幅15mに渡り見られます。ここから水平距離で20m上流(【図-⑥】)には、同質の中粒砂岩の上に礫岩層がありました。
 標高970m付近(【図-⑦】)では、砂質の黒色頁岩層があり、熱変成されずに層理面を残しています。これが、シダ植物を含む化石層準に相当し、下部瀬林層の最上位層準です。
 標高990mの二股(【図-⑧】)の上下は、滑滝になっていて、粘板岩の間に礫岩層が挟まれていました。いずれも、礫岩は全て角礫で、最大12~15cmのチャートの角礫が見られました。【図⑤】~【図⑧】が瀬林層(上部層)です。内山層の基底礫岩層と比べると、分級が悪いという共通点はありますが、礫の大きさに関わらず円礫である内山層に対して、瀬林層の礫は、「大礫は角礫~亜角礫で、小さな礫は全て角礫」という特徴があります。礫の摩耗度から、両者は区別がつきます。

 標高1015mの二股付近(【図-⑨】)では、粗粒砂岩層(川底露頭)と、礫岩層(左岸側)がありました。粗粒砂岩層の中には、コングロ・ダイクが見られました。全体は、折れ曲がる形態で、長さは3.7m×幅15~20cmです。コングロ・ダイクの西側から、方向(長さ):「N70°E(1m)+N60°W(1.5m)+EW(1.2m)」でした。
 標高1030m付近(【図-⑩】)では、最大直径15cmの円礫を含む礫岩層が見られました。やや下流の【図-⑨】も含めて、内山層の基底礫岩層群として良いと思います。

 1050m二股(【図-⑪】)のわずかに下流では、灰色中粒砂岩層があり、わずかに黒色泥岩を挟んでいました。境で、N18°W・32°NEでした。
 1060m~1070m(【図-⑫】)では、粘板岩が優勢です。変成度が低い砂質の黒色泥層には、サンドパイプや生痕化石も見られました。
 標高1100m付近(【図-⑬】)では、細粒砂岩と黒色泥岩の互層が、「N40°W・12~32°NE」と、極めて安定した走向・傾斜を保ちながら、緩やかな傾きの地層が観察できます。水量が少なくなる上流部では、南傾斜の沢に対して、地層の傾斜か北落ちなので、ちょうど尾根に向かって続く階段のような露頭の上を歩くことになりました。
 粘板岩の原岩は、泥岩~黒色頁岩と思われますが、北側ほど強く熱変成されています。これは、北側の地下に変成の熱源となった火成岩体が潜伏しているのではないかと思われます。腰越沢上流部にも、同様な熱変成による粘板岩が認められたので、潜伏した熱源の存在を裏付けます。
 標高1130m二股(【図-⑭】)では、粘板岩が見られました。この少し下流では、白チャートの角礫が薄く入る礫層がありました。一方、少し上流で、コングロ・ダイクが見られました。幅40cmから消滅×長さ3mで、先端に向かい粒度が小さくなっていました。
 二股から右股へ進みます。標高1150m(【図-⑮】)では、厚さ50cmの礫岩層がありました。泥相の中で、固い礫岩があるので小さな段差となっています。礫種は、結晶質砂岩とチャート礫で、最大直径は、白チャート(30cm)・結晶質砂岩(6cm)でした。正常な礫岩層には、チャート礫が含まれています。N40°W・10°Nの走向・傾斜の礫岩層のすぐ上流に、鉱泉が湧きだして、「硫黄バクテリア」らしきものが認められました。
 標高1070m(【図-⑯】)付近では、砂相はほとんど無くなり、粘板岩だけになりました。かろうじて見つけた薄い砂層との境で、N70°W・12°Nでした。
 標高1200m二股(【図-⑰】)では、N40°W・16°Nの粘板岩層の中に、コングロ・ダイクをみつけました。この沢では3例目です。(【図-⑨⑭⑰】)
 さらに、上流部に向かって粘板岩の階段は続き、尾根に至るようです。推定で、標高1230m付近まで登り、引き返しました。

  余談ながら、内山層では、サンドパイプ(sand pipe・泥凄貝類の巣穴化石)【図-⑭'】、小さな鉱泉【図-⑮】の湧き出し(硫黄バクテリアが棲息)を見つけたり、素手イワナを捕らえたりする快挙もあったりと、話題の多かった沢でした。
 また、沢の入口の東側、柏木橋付近には、かつて長福寺があり、跡地に看板があります。

 

 平成18年10月1日の調査では、上流部、標高1130mの二股から左股沢に入り、標高1160~1175mのガレ場【図-⑱】で、海棲生物化石を採集しました。同行した天野和孝先生(上越教育大学教授)から、次のような化石種の説明をいただきました。素人が採集するにはいいですが、正確な種名までは分かり難いです。

○Echinoidea (ウニ類)

○Periploma (異靱帯類・斧足綱の二枚貝)

○Acilana(トクナガ貝)   ○Lucinoma (キヌタレ貝)

○Delecto pecten(デレクトペクテン・ホタテ貝の類)

 

 【編集後記】

 本文中の『中間の小向斜構造の軸部に当たる(【図-③】)には、薄紫色~青緑色を帯びた光沢のある結晶質砂岩がありますが、熱水による後からの富化した岩相だとわかり、三山層として良いとわかりました。』の内容については、このシリーズ2回後の「タイガーロック」の話題の所で、説明します。古そうな岩相だったので、先白亜系かと思い、地質構造の解析に悩みました。

 2005年(平成17年)の調査は、調査の主体が内山層に移っている時期で、この沢へは、地質や構造を調査するという目的ではなく、内山層の化石(南部域)と、コングロダイクの観察が目的となっていいました。

 そして、私たちの委員会では、天野和孝先生(上越教育大学教授)から、ご指導をいただくようになっていました。

 ところで、沢の入口で観察できる「瀬林層上部層」は、都沢付近で、同層の上部層を欠いている(堆積していない)ことを考えると、瀬林層の堆積環境の3相「【A陸域に近い相】・【Bやや沖合相】・【Cさらに沖合相】」の内、A相とB相の間、かろうじてB相ということになると思います。そして、瀬林層の上部層と下部層を大きく矢沢断層が切っていることになります。大規模な断層なので、失われた部分(瀬林層上部層)が多くあるのは、わかりますが、証拠となる地層に乱れや破壊の跡が無いのは不思議です。寧ろ、目視できるような断層と違って、反対にわからないのかもしれません。 (おとんとろ)