北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(西端―2)

2.小川が白亜系分布の西端 

 井田井沢は、古谷集落の南側にある沢で、都沢から西に延びる白亜系を追跡するには、断面が観察できる条件を備えた最適な位置にあります。ところが、表土に覆われた露頭の極めて少ない沢で、わずかな情報しか得られませんでした。
 黒色頁岩が粘板岩になっていることから、西側に分布する石英閃緑岩体が付近の地下にまで接近してきていることが予想されます。砂・礫岩の転石が多量に集積している場所があり、瀬林層の連続を推定することができました。

 一方、国道299号線沿いに付近を調査してみると、西側からの石英閃緑岩体の東縁は、(ⅰ)「広久保橋の北西10mの所にある小さな小川」であることがわかりました。
 また、林道・大日向-日影線の調査から、(ⅱ)「地図上のポイント995の北側の小さな沢、標高970m付近」から西側に、石英閃緑岩体が露出していることを確かめました。
 そこで、連続して分布する山中地域白亜系は、抜井川流域で見る限り、この2つの地点(ⅰとⅱ)を結ぶ線よりも、東側であると言えます。
 ただし、林道の西側には、石英閃緑岩の柱状節理と接する中粒砂岩や、熱変成を受けた砂岩が認められるので、厳密に言うと、白亜系の分布は、もう少しだけ西側に延長されると思われます。

 さらに付け加えれば、前述の(ⅰ-ⅱ)境界は、地下深部にあった石英閃緑岩体が迫り上がりつつ浸食されて、地表に露出したので、この上には、かつて白亜系が、あったことは十分に予想されます。

 

f:id:otontoro:20210306101017j:plain

石英閃緑岩の露頭 (林道「大日向―日陰」線)

  石英閃緑岩体の露頭~

 佐久地域の西側には、石英閃緑岩(quartz diorite)が広く分布し、抜井川本流や国道299号線沿い、林道・大日向-日影線で観察できます。
 石英閃緑岩は、斜長石(plagioclase)・石英(quartz)・角閃石(amphibole)を主成分とする深成岩です。閃緑岩は、有色鉱物として、角閃石に加え、輝石や黒雲母なども見られるようになります。石英が特徴的なので、このように呼ばれます。花崗岩(granite)や花崗閃緑岩(granodiolite)より、肉眼では、いくぶん青味がかった黒~灰色色合いが増して見えます。


 【編集後記】

 本文中の『さらに付け加えれば、前述の(ⅰ-ⅱ)境界は、地下深部にあった石英閃緑岩体が迫り上がりつつ浸食されて、地表に露出したので、この上には、かつて白亜系が、あったことは十分に予想されます。』という内容に関わり、補足します。

 佐久地方の白亜系が堆積した当時の方位は、現在のものと比べるとは、約90°程度ずれていることが知られています。日本海の拡大に伴い、日本列島が大陸から離れ移動してきたからです。とは言え、ここでは、現在の方向で、説明します。

 白亜系の石堂層(下部)のデーターによると、堆積物の供給方向は、ほぼ南側からと推定できます。また、瀬林層の3相(陸域に近い~さらに沖合)のデーターからも、南側が陸域に近いことがわかりました。加えて、陸域に近い所では、瀬林層上部層を欠いていることも重要です。

 一方、西側へは、まさに、確認した所では、本文で述べた通りですが、「赤字」で示したような可能性があります。ただし、佐久地域の三山層の発達状況を見ると、東側(群馬県~埼玉県)より、薄く、陸域に近い堆積構造を示しているので、西側も陸域に近かったことが推定されます。

 ですから、もう少し西側にも分布していたとは予想されますが、そんなに遠くまでではないはずです。この後、白亜系は、一度、陸化した後、(日本海の拡大と共に移動して)次の内山層を堆積するステージに移っていきますが、西側問題は、大きな謎として残ります。(後日、内山層の谷川調査のところで、再度、この話題を取り上げたいと思います。)

 ところで、明日(3月7日)は、火砕流堆積物の観察に行く予定です。天気も良さそうで、久しぶりに元・地学委員会の仲間にも会えそうで、楽しみです。(おとんとろ)