北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(西端―3)

3.石英閃緑岩の分布とその影響

 

 【熱変成岩】
 古谷集落北側の沢の標高945mと955mの間(古谷集落北側の沢・ルートマップを参照/図版【図-③】)には、薄紫色~青緑色を帯びた光沢のある結晶質砂岩があります。この砂岩は、かなり熱変成が進んでいるように見えました。ところが、水平距離で30mと離れていない前後の黒色頁岩層【図-②と図-④】は、剥離性が残り、熱変成による粘板岩化は進んでいません。
 一方、前年(19.July 1992)の林道・大日向-日影線の調査で、類似した色彩を帯びた結晶質砂岩を見つけていました。この砂岩の近くには、石英閃緑岩体が広く分布しています。さらに、岩体と接触している露頭もあったので、熱変成されたものであると、理解していました。
 しかし、30mと離れていない所で、強く熱変成されたものと、ほとんど影響の及ばないものがあるという産状は、不思議な気がしました。それで、平成5年度佐久教育ジャーナルには、熱変成を受けた砂岩は、先白亜系かもしれないと載せました。

 もっとも、問題になる地点(【図-②】~【図-④】は、小向斜構造としか考えられず、古い時代の地層が、わずかに顔を覗かせているという解釈に無理があります。問題のまま、残っていました。

           *  *  *  *

 ところが、平成7年10月29日に、由井俊三先生(元北海道大学教授)から、熱変成についての説明をいただき、この辺の事情が一気に明らかになりました。
 林道大日向-日影線終点に近い、北側(2本あるので)の高電圧送電線の下、標高995m付近の露頭(【図-②】)で、先生から説明をいただきました。

また、【図-③】では、砂岩層と接触する石英閃緑岩体(節理)が見られました。

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タイガー・ロック

 石灰岩などに花崗岩質マグマが貫入すると、化学反応を起こして、鉱物を富化していきます。
① 細粒の黒雲母(クロウンモ;薄紫色~薄赤紫色に見える部分)ができ、

② この後、カルシウム(Ca)成分の多い 輝石(青緑色に見える部分)ができます。

③ 最後に、黒色の磁鉄鉱が、絞り出され るようにして作られます。
 黒い部分へ、糸につるした小さな磁石 (商品名・ピップエレキバン)を近づけてみると、みごとに引き寄せられていきました。

 『秩父では、青緑色をした岩石を、俗に、「タイガー・ロック」と呼んでいます。佐久地域では、あまり調べられていないので、皆さん、せひ調査してみてはどうですか?』と、由井先生からお勧めがありましたが、皆、『難しそう』と、黙ってしまいました。

 花崗岩質マグマとして、ここでは石英閃緑岩の貫入岩体があります。「スカルン鉱床」のように、大規模に鉱物が富化する地帯では、石灰岩ドロマイトが原岩にあるようですが、ここでは、レンズ状石灰岩が付近にある程度です。「接触交代熱変成作用」を受けた変成岩であって、決して古い時代の岩石である必要はないということが、わかりました。岩相の色の原因についても明らかになりました。

 「古谷集落北側の沢」で問題となった結晶質砂岩は、三山層のものとして良さそうです。地下に熱源があり、接触交代反応が行なわれたと考えられます。地下に岩枝(がんし)状に石英閃緑岩が貫入してきていると想定すれば、無理なく産状を説明できます。

 また、熱源が小さければ、20~30m離れているという条件は、変成と非変成を十分に分ける距離だと言えそうです。

 ただ、三山層の中に、石灰岩に相当する岩体はないのが疑問でした。

 

 

4.霧久保沢の調査から

 石英閃緑岩の貫入岩体によって、白亜系の連続した西への広がりは、区切られますが、西側の接触部には白亜系が分布しているらしいことに気づきました。

 そこで、平成8年度には、林道の西端と、尾根を挟んで南側を流れる霧久保沢の調査(22.June 1996)を行ないました。 

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再掲: 林道・大日向―日陰線(霧久保沢のルートマップ)

 石英閃緑岩体として一律に扱ってきた岩体の中に、周囲より明らかに苦鉄質(mafic・鉄やマグネシウムの多い)の閃緑岩塊が、捕獲岩(zenolith)という形態で含まれている露頭が、林道終点の「P943」付近(【図-①】)で見られました。これは、貫入岩体の冷却中に、結晶分化作用が進んでいたのではないかという証拠です。
 しかし、平成10年11月に訪れてみると、石材に利用する為なのか、石英閃緑岩体を崩す作業が始まっていて、辺りの風景は一辺していました。私の報告した上述の露頭は、無くなっていました。 

 

 【説明】結晶分化作用  (crystallization defferentiation);マグマが地下深部で冷えて、鉱物が作られていく時、鉄やマグネシウムを多く含む(贅沢に使える)鉱物の方から先に作られていくという化学変化の原理があります。石英閃緑岩という、比較的、珪酸成分の多いマグマの中で、先に閃緑岩を構成する鉱物が晶出し、岩塊を作っていたことを意味しています。先に閃緑岩を作るようなマグマ貫入があり、続いて石英閃緑岩貫入があったのかもしれません。
 または、「マグマ溜り」の底に、閃緑岩を晶出して沈殿させた部分を、後から石英閃緑岩となるマグマが押し上げたことも考えられます。長時間をかけて岩体が冷えてきたことや、場合によっては二段階程度の貫入があったことの可能性を示しています。    

 ただし、火成岩の多様性は結晶分化作用だけでは説明できない。他にも、マグマの混合などの考え方もあります。

 

 霧久保沢入口から、茂来山たたら跡方面に進むと、砂岩や泥岩が「接触熱変成作用」で変成された「ホルンヘルス(hornfels)」が見られました。全体的に黒色で、一部、層が見られる状態のものもありました。
 また、石英閃緑岩が、岩脈(dyke)や岩枝(apophyse)状に貫入している産状が、観察されました。このことは、霧久保沢地域が、石英閃緑岩体貫入の中心から「ずれ」ていることを意味しているのかもしれません。全体分布から見ると、南西端になります。硬い岩盤の中で、弱線などを狙って貫入してきたものと思われます。

 蛇紋岩や石灰岩塊(時に、レンズ状の小岩体)の分布から、霧久保沢に沿った北西-南東方向に、断層を推定しました。白亜系と先白亜系を分けるもので、比較的、落差や水平移動の大きなものだと思います。調査を始めた頃は、「抜井川断層」と呼んでいました。
 しかし、専門的な情報を得て、大きな構造帯の一部というような扱いが必要だとわかり、蛇紋岩などが分布している「ゾーン」としてとらえ、「蛇紋岩帯断層」しました。

 

 【編集後記】

 霧久保沢の上流部は、硬そうな岩盤(先白亜系)に綺麗な滝があって、沢登りを楽しんだり、露頭観察をしたりと、魅力的な沢だと思いましたが、途中から尾根に上がり、「高橋鉱山」側に降りました。都沢と同じように、奥深い沢のようで、「いつかは、奥まで入ってみよう・・」と思いつつ、とうとう2回目に入ることはありませんでした。

 ところで、由井俊三先生から説明を受けたような、「スカルン鉱床」や変成作用の話題になると、私たちには難しいです。また、火成岩の鉱物組成や、まして化学分析の話題は、苦手です。私たちに、もう少し物理・化学的分析の手法があれば良いのですが・・。

 昨日(R3.3.7)、長野県の上小地区の地質を、特に火砕流や泥流などの岩石学的手法で研究されている山辺邦彦先生の案内で、地質巡検をしてきました。私たちの地域で見られる「志賀溶結凝灰岩」相当層の分布から、(ア)佐久からさらに上田方面まで噴出物が広がっていたか、(イ)本宿カルデラと同時代の「北御牧カルデラ(先生の仮説)」からのものか、と言うお話を踏査しながらお聞きしてきました。

 私たちも、鉱物・岩石学的な観察視点をもって、関連する論文にもがんばって挑戦しながら、佐久地域を見ていきたいと思いました。ありがとうございました。(おとんとろ)